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牧師室から
内なる覚悟の違い
大祭司の召使いの女の一人が…彼をじっと見つめて言った。「あなたも、ナザレ人イエスと一緒にいましたね。」66- イエスキリストに対する大祭司の「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか」との問い。そして、ペテロに対する召使いの「イエスと一緒にいま... -
牧師室から
What the pastors!
パーソナリティは、大嶋くんと豊田くんです。毎回、私たちの信仰や教会のいろんなことを、リスナーの方々の投稿を受けて話しています。よろしければぜひどうぞ。 https://www.pba-net.com/web/wtp/ -
牧師室から
全員で…決めた
「…すると彼らは全員で、イエスは死に値すると決めた。」マルコ14:64 正しい証言を求めているようではあっても、彼らは自分たちの正当性を示すために形式的な要求を満たそうとしているだけ。そして「全員で…決めた」と。 -
牧師室から
私は裸で逃げた
「ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。」マルコ14:51- 「ある青年」。それは自分のこと。マルコは、イエスを売ったユダとイエスを知ら... -
牧師室から
最善への確信
「あなたは何でもおできになります。…しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」マルコ14:36 「神は何でもできる」。「神のみこころが行われるように」。私たちの信仰にはこの二つの確信が大切。 -
牧師室から
自分の手で取ること
「取りなさい。これはわたしのからだです。」マルコ14:22 イエスキリストを「取って」食べる。イエスキリストの救いをいただくということは、私たちの知識の理解を超えること。自分で「取って」食べた人だけがわかる恵み。「取って、食べよ」と言われる。 -
牧師室から
まさか…
「弟子たちは悲しくなり、次々にイエスに言い始めた。『まさか私ではないでしょう。』」マルコ14:19 「まさか…」。これは他人ごとのように言う時に使う言葉。 -
牧師室から
ユダであっても
「さて、十二人の一人であるイスカリオテのユダは、祭司長たちのところへ行った。イエスを引き渡すためであった。」マルコ14:10 イエスを売るためにその機をうかがうユダ。聖書は、彼を、最後まで「十二人の一人である」という。 -
牧師室から
憤慨した時
「すると、何人かの者が憤慨して互いに言った。『何のために、香油をこんなに無駄にしたのか。この香油なら…」マルコ14:4 「憤慨して…」。自分の義に酔うようにして人を裁く。その時、私たちは無駄にしているのは自分自身であることに気がついていないのだ。
