牧師挨拶

私たちの教会のホームページにようこそおいでくださいました。当教会の主任牧師の小平牧生(こだいらまきお)と、恵(めぐみ)です。

私たちの教会は、「ニューコミュニティ(新しい共同体)」という、教会としては少しめずらしい名前です。

実は、この名前には、私たちの教会がめざしている願いが込められています。詳しくは「私たちのビジョン」の項目を見ていただくと、私たちの教会のことを知っていただくことができますので、そちらをご覧ください。

では、私たちの自己紹介をさせていただきます。みなさん、どうぞよろしくお願いします。

     小平牧師夫妻

小平 牧生 (こだいら まきお)

1958年に東京・神田で生まれ、生後二ヶ月で両親とともに西宮に来ました。地元の用海小学校、浜脇中学校、市立西宮高校の卒業生です。浜脇中学校時代の同級会の幹事もしています。青山学院大学在学中にイエスキリストを信じ受け入れて、大学卒業後は大阪キリスト教短大神学科専攻科、キリスト兄弟団聖書学院で牧師になるための学びをし、1986年には聖書学院の同級であった恵と結婚しました。

当教会主任牧師の働きとともに、これまでに所属団体であるキリスト兄弟団理事長、また日本福音同盟副理事長なども務めてきました。現在はアメリカに本部がありアジア各地に宣教師を送っている「アジアンアクセス」の日本理事長、また多くの教団や団体の協力によって2023年に行われるJCE7(第7回日本伝道会議)の実行委員長を務めています。説教集として「有能であるよりも、有益であることを」(いのちのことば社、2016)があります。

小平 恵 (こだいら めぐみ)

夫と同じ1958年岡山生まれです。牧師であった父親の転任に伴い、岡山県から、北海道、茨城県、山形県といろいろなところで生活した経験があります。その中で自分の故郷と言えば、幼少期から15歳まで育った北海道道東の留辺蘂町になるでしょうか。神様の召しに応えて牧師として献身して仕えるために、24歳でキリスト兄弟団聖書学院に入学しました。卒業後に、同級であった小平牧生と結婚し、二人の娘と一人の息子の母となりました。結婚によって初めて関西に来ましたが、今では西宮がもっとも長く住んでいる町です。

現在は、主任牧師である夫の働きを支えながら、自分自身も牧師として仕えています。この間、2002年から2010年まで月刊誌「らみい」(いのちのことば社)に、漫画『教えて神さまのこと』を、また2012年3月から一年間は「リバイバルジャパン」(現在は「舟の右側」)に「かとうけい」のペンネームで『すべての山に登れ』というエッセイを連載させていただきました。読書とピアノ奏楽と絵を描くことをこよなく愛しています。

副牧師挨拶

川津求(かわつ もとむ)

1993年、愛知県豊橋市で兄二人、妹一人の三男として生まれる。牧師の家庭で育ち、幼い頃から教会に通い聖書に親しんできた。小中高で好きだった科目は、体育、図工、美術、英語、そして給食。また友人とはバンドを組んだり、ゲームをして遊んでいた。高校時代にK-popにハマり、学園祭で友人と仮装してダンスをした。今振り返ると謳歌していたと思う。しかし、高校3年生の時に自分の信仰と向き合い、聖書のいう救いが何かがわからなくなった。それを境に教会から遠のいていく。

大学に進学して名古屋市にある愛知大学国際コミュニケーション学部で学ぶ。動機はK-popの熱が冷めず、韓国語を学びたかったから。大学で私は必死に聖書のことを友人に伝え始めた。“クリスチャンなら伝道をするものだ”と考え、自分がクリスチャンであることを自他ともに認められるように努力した。そのようにしてアイデンティティを確立しようと試みたのだ。

だが一方で、教会で礼拝をささげる時、なぜ自分が礼拝しているのかが分からなくなっていた。体だけが教会にあり、心には感謝も何もなかった。すべてを見透かすことのできる神様は、こんな自分のことを知っているはずだと思った。だからこそ、教会にはいられなくなった。

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そんな生活をして一年と半年の年月が経ち、人生の転機が迎えた。それまでの間、あらゆる人間関係が崩壊し、人間不信に陥っていくことになる。親の期待は、私が真面目に毎週教会にいくことである。しかし、それが叶わないので関係は悪かった。また大学の友人は、私が宗教を信じていることに不信感を抱き、退いていく。その頃は不思議と兄弟関係も希薄で、中にはどこにいるのかわからない者もいた。そして地元の友人とも離れていた。家族、友人、兄弟と誰とも相談できない孤独を初めて味わう。大学時代は、自分が自分であろうとした時だった。ただ周囲の期待に応えることができなければ、関心(心配)を示してくれない。人の期待に応えることができなければ、自分は価値のない存在なのではないか。そんな人間関係に疲れ、失望し、また自分自身にも失望した。

孤独になり気づいたことは、私は無条件に愛してもらうことに飢えていたのだと思う。しかしその時、聖書の「わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」の言葉が語られたように感じた。そしてイエス・キリストの十字架の意味を知った。キリストは誰のために死なれ、何のために十字架にかかられ、その救いとは何なのか。紛れもなく、すべて私のためであった。日が沈み暗闇の中に光輝く星が夜空に輝き出すように、孤独と失望の中にキリストを見出した。私のそれまでの人生は、キリストを無視して必要としないものだった。なぜなら、それでも楽しく生きてこられたからだ。自分が楽しければそれで良かった、それほど自己中心な存在であった。

しかし、そんな無慈悲で自分勝手な者に神は目を留め、赦しを与えてくださった。しかもそれはすでに何千年も前より約束されていたことだった。クリスチャンは伝道や良いことをするからクリスチャンなのではなく、ただキリストの愛と赦しを信じて受け入れる者のことをいうのだと知った。その瞬間、喜びが溢れ、救われたと思った。

それ以降、礼拝の意味を知って教会に戻り、不思議なことに家族、友人との関係も良くなった。またその頃から、K-popへの熱も冷めてしまった。そして大学卒業後、キリスト兄弟団の聖書学院に入学。東京聖書学院で委託生として三年学び、四年目は茨城県の羽鳥にある聖書学院を拠点にして学び、二〇二〇年に両学院を卒業。そして同年三月より、西宮教会に副牧師として奉仕している。趣味は、夜の散歩、コーヒーを淹れて飲むこと、料理、読書。