「救いの歴史の始まり」

 2月11日礼拝メッセージ
小平牧生牧師
「救いの歴史の始まり」(私たちに与えられた救いと聖化⑥)
聖書:創世記12章1〜3節

 神はすべてのものを創造し、最後に神の「かたち」に人間を創造されました。神は被造物が地上において増え広がると約束し、これらを支配する使命と責任を人間に授けられました。しかし、人間が神の言葉に背いたことにより、本来の神の「かたち」としての姿が歪み、神との関係が崩れ、人と人との間の関係も崩れてしまいました。聖書では、神が創造した本来のかたちから外れることを「罪」と定義しています。その結果、人間は神の御心に従ってこの地上を正しく治めることができなくなりました。しかし、神はご自身に背を向けた人間を滅ぼし、堕落した世界を破壊するのではなく、贖(あがなう)ことを選ばれました。すなわち、神ご自身が代価を払い、私たちを買い戻してくださったのです。その贖いは、単に人間を個人的に救うことだけではなく、新しい神の民を築き上げ、人間の罪によって秩序を失った世界全体を回復し再創造することです。神はそのためにアブラハムを選び、「イスラエル」を興し、彼とその子孫に祝福を約束その祝福を約束されました。そして、神の救済のご計画は「イスラエル」を抜きにしてはあり得ないのです。

① 神は、アブラハムを選び「イスラエル」を生み出された

“主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」”12:1-3

 神はアブラハムに、「国を出て、親族と別れ、父の家を離れ、私が示す地(カナン)に行きなさい。」と命じました。アブラハムは神の命令に応答し、カナンに向かいました。彼は祭壇を築いて礼拝し、神の祝福の約束を信じました。この神とアブラハムとの契約は、子イサクに受け継がれ、さらにその子ヤコブにも引き継がれました。これらの契約の継承により、約束の土地もその子孫に受け継がれ、子孫が繁栄し、彼らとその子孫を通じてイスラエル民族全体が祝福されるということです。万物の創造主である神は、アブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれたお方であり、その契約を通じてイスラエル民族全体を祝福される神です。アブラハムの子孫が星のように無数に繁栄していくという神との約束は、アダムとエバに対する繁栄と祝福の約束をも彷彿とさせ、人間が本来神の「かたち」として創造された目的を思い起こさせます。
 
 神は「イスラエル」を契約の民として特別な地位に置き、神の御心を示す模範となるように期待されました。すなわち、神との交わりの中で神の性質を表し、この地上を神の代理として治めていくという本来の神の「かたち」の姿を回復するために「イスラエル」を興されたのです。それを通して、人類が神の「かたち」を回復することが、神の大きな救済計画なのです。

② そして、神は「契約」を与えられた

“主が(モーセを)呼んで言われた。「…あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。…」”出エジプト19:3-

 神とアブラハムとの間で結ばれた契約の内容は、いくつかの約束で構成されています。具体的には、以下のような内容が含まれます。まず、アブラハムとその子孫に対する土地の約束、つまりカナンの地を与えることに関するもの、次に、多くの子孫を与え、彼らが地上の国々を支配するという子孫に関する約束、そして、アブラハムとその子孫を祝福し、大いなる国民にするという祝福の約束などがあります。これらに加えて、さらに細かい内容の約束が数多く含まれていると言われています。契約というのは文言があるだけで成立するわけではなく、アブラハムが神の前に立ち、その信仰の応答を示したことが、神との契約を成立させたのです。それによって、契約が機能するのです。

 その後、イスラエル民族はエジプトの生活を経て、モーセに率いられてエジプトを脱出し、シナイ砂漠を40年間流浪しました。その間に、シナイ山で神から十戒などの律法(契約)が授かりました。神の律法が授けられるに際し、神はモーセに、エジプトからの救出や神の恵みを思い起こし、民に伝えるべきメッセージを与えました。神はイスラエルの民に対して、神の律法(契約)を守るならば、「イスラエル」を特別な地位に置くことを約束されました。そして、彼らが神の聖なる国民として神に仕え、神のため特別な役割を果し、他の民族との間に仲介者として立ち、神の御心を示す模範となるように期待されました。神と「イスラエル」の契約もまた、律法への応答が不可欠であり、神の道を歩むためには求められることなのです。

“あなた(ダビデ)の日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。…あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。”2サムエル7:12-

 時代を経て、神はさらにダビデとの間にも契約を締結されました。この契約の内容や形式は他の契約と異なりますが、神の遠大なご計画の流れの中で、神との約束を「イスラエル」が受け継いでいくのです。ダビデとの契約も聖書の複数の箇所で記されていますが、神がダビデに対して、彼の子孫が王位を継承し、神殿を建て、その王国が永遠に続くと約束しています。これは、ダビデが王としての役割を果たすだけでなく、その子孫も神の計画の中で特別な地位を置かれていることを示しています。そして、その中心に神が共におられるということを示しています。モーセの時代には、民の真ん中に幕屋がおかれ、その中心に神が臨在してくださり、神の栄光をあらわしてくださいました。ダビデの子ソロモンの時代にも、神殿の中に神の臨在と栄光をあわらしてくださったのです。そこはまさに、神と人間との交わりの場所であり、神の「かたち」として歩むために与えられたものなのです。

③ ところが、イスラエルは神に背き続ける

“主はモーセに言われた。「さあ、下りて行け。あなたがエジプトの地から連れ上ったあなたの民は、堕落してしまった。彼らは早くも、わたしが彼らに命じた道から外れてしまった。彼らは自分たちのために鋳物の子牛を造り、それを伏し拝み、それにいけにえを献げ、『イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から導き上った、あなたの神々だ』と言っている。」…” 32:7-

 モーセによって、エジプトから導き出されたイスラエルの民は神に背きました。金を集めて金の子牛を作り、それを拝んだのです。このような行為は、神が彼らに命じた内容に違反するだけでなく、偶像礼拝を行うという神の「かたち」を損ねる不義の行為であり、神の栄光が彼らから離れていったのです。本来、選ばれた「イスラエル」は神の「かたち」として神の祝福を受け、神の栄光を証するために召命されたはずでした。しかし、彼らは神に対する信仰を失い、神の律法を遵守しなくなり、偶像を礼拝する行為を繰り返しました。その結果、「イスラエル」は南北に分裂し、北はアッシリア、南はバビロニアに征服され、エルサレムと第一神殿が破壊され、多くの民が捕囚されました。こうした出来事は、「イスラエル」が神に背き続けた結果であり、これが聖書に記されている「イスラエル」の歴史なのです。

④ それでも、神はあきらめない

“わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。” エレミヤ24:7-

 旧約聖書を見ると、神は繰り返し預言者を送り、その言葉を通して語り続けています。やがて、多くの「イスラエル」がバビロンから帰還し、神殿を再建しますが、それでも彼らはギリシアなどの周辺諸国に支配され続け、最終的にローマ帝国によってエルサレムが占領され、神殿が破壊されます。このような歴史の中で、イエス・キリストが来臨されました。イエス・キリストは「イスラエル」を救うために、「イスラエル」の王として支配するために遣わされましたが、その祝福の恵みは「イスラエル」に留まることなく、異邦人にも及びました。食卓からこぼれ落ちたパンくずを子犬が食べることができるように、異邦人にも福音の恵みが与えられたのです。

 パウロがガラテヤの教会に送った手紙にあるように、イエス・キリストの死と復活によって、アブラハムに与えられた祝福がキリストを信じる者たちにも及びました。キリストの十字架の受難を通じて、神の救いの計画を成就し、信者たちに救いの恵みをもたらす道を開いたのです。

 私たちは、イエス・キリストに結ばれ、信仰によってキリストと一体とされています。神がアブラハムの子孫に祝福の約束を与えたように、すべての人がキリストを信じることによって神の子となり、神の相続人となることができるのです。与えられた救いの恵みが「イスラエル」に嫉妬されるほど、彼らが神の前に悔い改め、霊的に回復することを信じるものです。神は「イスラエル」を見捨てておらず、彼らとの契約を破ることなく、誠実にそれを遂行されるのです。

 私たち異邦人も「イスラエル」を通して救いの恵みを受け、やがて、キキリストの花嫁として完成を目指しています。これが神の遠大な救いの計画なのです。

“善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、ともにいてくださる。”アモス5:14

Author: Paulsletter