「神のかたちである人間の尊さ」

 1月14日礼拝メッセージ
小平牧生牧師
「神のかたちである人間の尊さ」(私たちに与えられた救いと聖化②)
聖書:創世記 1章26〜28節

 イエス・キリストが地上に遣わされたことによって、人類に救いがもたらされました。
 人間の本質と価値を理解するためには、まず人間がどのような存在であったのかを知ることが重要です。人間は神の「かたち」として創造されました。この「かたち」は他に比べることのできない素晴らしい存在を指しています。しかし、人間は神の意図に反し、現実には神から離れた状態(罪)に陥ってしまいました。そのため、創造された本来の「かたち」を回復するために、イエス・キリストが遣わされたのです。本来の「かたち」に回復された私たちは、イエス・キリストを主として交わり、その似る者として変えられ、聖化され、神の計画である完成に向かって歩んでいくのです。

 創造者である神の「かたち」に創造されたとは、具体的にどういうことを意味するのでしょうか。

① 神の尊さを表しているということ

“神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」”26

“御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。”
コロサイ1:15A

 神の「かたち」とは、神の計り知れない、変わらない愛、真実、聖と義なる神の本質を指しています。私たちは元来、このような神の「かたち」に創造されたことを心に留めるべきです。それぞれの違いや多様性を超えて、一人一人が区別されることなく、神の「かたち」に創造されたことを知るべきなのです。この世界においては、その価値観に馴染んでしまっているかもしれませんが、神の価値観を自分のものとして生きるように回復されたのです。そして、神の価値観を持ち合わせ、互いに愛し合う交わりを与えられているのです。

 私たちは、戦争の終結を願い、平和を祈りますが、神の本来の目的から外れた(罪の)状態である限り、武力で戦争が行われていない状況を創り出したとしても、それは真の平和ではありません。私たちがイエス・キリストを信じることによって与えられた救いというのは、私たちが本来有している神の「かたち」に回復されたということです。私たちはイエス・キリストによって、創造時の「かたち」に回復されたのですから、本来の神の「かたち」の完成を目指して生きることが私たちの使命なのです。

② 創造的であるということ

“神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」”28

“神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。”2:19-

 神の「かたち」とは、神の創造的な性質を指します。神は人間を創造されたときに、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」と仰せられました。そして、神は人間に被造物の名を付けさせ、統治するように命じられました。この祝福の言葉には、地上において生命を増やし、地を治める役割が与えられていることが示されています。創造主である神が人間に対して尊厳を与え、彼らに特別な目的と責任を授けられたのです。

 神は創造主であり、私たちはその似姿に創造されました。ですから、私たちは神の創造的な性質を備えているのです。一度は神に背いて神から離れましたが、イエス・キリストによって本来の「かたち」に回復されました。
 ですから、私たちは神の創造の働き、イエス・キリストの再創造の働きを委ねられているのであり、招かれているのです。これらの働きは、好きか嫌いかの判断ではなく、自分の思いを超え、かつての自分では考えられない思いが与えられ、その働きに自発的に参与することができるようになるのです。これこそが神の創造的な性質であり、働きなのです。

Author: Paulsletter