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「あなたはわたしを愛していますか」

2025 4/29
メッセージを読む
2025年4月27日2025年4月29日

4月27日メッセージ
小平牧生牧師
「あなたはわたしを愛していますか」
ヨハネの福音書21章15~19節

 復活したイエスは、ティベリア(ガリラヤ)湖畔で再び弟子たちに顕現されました。この湖は魚が豊富で、古くから漁業が盛んに行われていました。特にカペナウムは漁師町として知られ、ペテロとアンデレが弟子として召される前に住んでいたことが新約聖書に記されています。イエス・キリストは、まさにガリラヤ地方を舞台に宣教活動を展開され、湖畔にはその拠点となる町々が点在していました。「沖に漕ぎ出して網を降ろしなさい」と命じられたのも、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」というイエスの言葉に応えて、ペテロたちが網を捨てて従ったのも、ガリラヤ湖上での水上歩行の奇跡も、復活したイエスが弟子たちに姿を現したのも、この湖畔だったのです。

 イエスは、十字架刑に処せられる前日の過越の食事の席で、弟子たちに「あなたがたの中に裏切り者がいる」と告げ、さらに「弟子たち全員がわたしを見捨てて逃げ出す」と予告されました。これに対してペテロは、「私は決してあなたを見捨てません」と強く主張しましたが、イエスは「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と告げます。結局、ペテロはイエスの予告どおり、三度もイエスを知らないと否定してしまいました。翌日、イエスは十字架にかかり、死んで葬られ、三日目に復活されました。そして、復活したイエスは、エルサレムのある場所に集まっていた弟子たちの前に現れたのです。

 ヨハネによる福音書21章1節は、「その後」という言葉で始まります。この言葉は文脈の継続を示しており、イエスが再び弟子たちの前に現れたことを指しています。場面はエルサレムからティベリア(ガリラヤ)湖畔へと移っています。今朝の箇所では、イエスと弟子たちが食事を終えた後、イエスとシモン・ペテロとの一対一の対話の場面が展開されます。ここにに描かれるイエスとペテロの対話の場面では、ペテロの複雑な心の内が垣間見えます。その中でイエスは、ペテロに「あなたはわたしを愛していますか」と問いかけ、「わたしの羊を飼いなさい」と、新たな使命をお与えになったのです。

目次

① 神の愛は変わらない

 イエスとシモン・ペテロとの一対一の対面は、失意のどん底にあったペテロを回復させるために、まさに最適なタイミングと場所が備えられていたのだと思います。すでにペテロは、他の弟子たちとともにエルサレムで復活したイエス・キリストと対面していましたが、ここでは改めて、顔と顔を合わせて、イエスと一対一で向き合うことになるのです。

 ペテロは、イエスが捕らえられたとき、三度もイエスを知らないと否認しました。三度目に否認した後、鶏が鳴き、ペテロはイエスが「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うだろう」と予告された言葉を思い出します。その直後、「主が振り向いてペテロを見つめられた」と記されており、ペテロは「外に出て激しく泣いた」とあります。聖書はこのときのペテロの心情を詳しく記してはいませんが、自分がイエスに誓った忠誠をあっけなく裏切ってしまったことに対する、深い自己嫌悪に苛まれていたことでしょう。「決してつまずかない」と豪語したにもかかわらず、最も必要とされたときにイエスを見捨ててしまったという罪悪感は、想像を絶するものだったはずです。三度目の否認の後、鶏の鳴き声を聞いてイエスの言葉を思い出し、激しく泣いたという記述は、ペテロの心の痛みを如実に表していると思われます。

 復活のイエスと再会したときのペテロの心境は、きっと複雑だったに違いありません。死んだはずのイエスが目の前に現れたことへの驚き、そして再びイエスに会えたことへの大きな喜びがあったでしょう。一方で、イエスを見捨てるという取り返しのつかない失態を犯したペテロにとって、イエスとの再会は信じられないほどの恵みであると同時に、自分の罪の重さを改めて思い知らされる瞬間でもあったはずです。復活されたイエスに対して、彼は恐れと畏敬の念を抱いたことでしょう。聖書本文には「ペテロが悔い改めた」と直接記されてはいませんが、彼の行動や態度、そしてイエスとの対話から、心から悔い改めたことがうかがえます。ヨハネによる福音書21章15–17節では、復活したイエスがペテロに対して三度、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と問いかけられます。イエスがペテロに問われたのは、ただ一つ「あなたにとって、わたしはどういう存在なのか」ということでした。イエスは過去の失敗に触れることなく、ペテロの今の心を尋ねられたのです。たとえどれほど取り返しのつかない過ちを犯していても、どんなに弱さを抱えていても、それを責めることはなさいませんでした。

 「あなたはわたしを愛していますか」というイエスの問いかけに対し、ペテロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存じです」と答えます。このやりとりは、かつての三度の否認を打ち消すかのような、三度の愛の告白となっているのです。

“その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。…” ヨハネ21:1

 私たちは、イエスのペテロに対する姿を通して、イエスの変わらない愛と、神が真実なお方であることを改めて認めざるを得ません。かつてイエスは、ペテロに向かって「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と呼びかけられました。この招きは、ペテロ自身が「誰について行くのが得策か」と考えて選んだものではなく、イエスご自身がペテロに声をかけ、召し出されたものだったのです。ペテロがどれほど弱く、足りない者であったとしても、イエスについて行く限り、イエスは彼を最後まで導き、その人生を全うさせてくださいました。実際に、ペテロはそのように導かれ、イエスは彼を失敗者としてではなく、キリストの弟子として大いに用いられました。そして、ペテロはその生涯を福音のために殉教して終えたのです。このようにイエスとペテロの姿を見るとき、私たちは改めて、神がいかに真実なお方であるかを深く心に刻むことができるのです。

“イエスはガリラヤ湖のほとりを通り、シモンとシモンの兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」” マルコ1:16-

 創世記28章15節には、神がヤコブに対して直接語りかけられる場面が記されています。ヤコブは、イサクとリベカの間に生まれた双子の兄弟の一人で、生まれるときにエサウのかかとをつかんで出てきたことから、「足を掴む者」という意味の「ヤコブ」という名前が付けられました。若い頃のヤコブは計算高く、自己中心的な性格でしたが、神と向き合い、自分の弱さを認めることで次第に変わっていきました。そんなヤコブに語りかけられた約束が、次の言葉です。「わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」そして、神はその約束を最後まで守り通されたのです。私たちも同様です。神は、どんな環境や状況にあっても私たちを捨てることなく、愛し続け、その愛は決して変わることがありません。イエスがペテロに対して示された対応を見て、私はそのことを改めて深く思い知らされます。

“見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。”創世記28:15

② 愛することが問われている

 イエスはシモン・ペテロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しますか」と尋ねられました。この問いかけの後、20節には「ペテロは振り向いて、他の弟子があとについて来るのを見た」と記されています。したがって、食事の後、他の弟子たちから少し離れた場所でイエスとペテロの対話が始まったと推察できます。

 イエスは「わたしを愛しますか」と問いかけを繰り返されました。ここでの「わたし」とは、ペテロがかつて見ていたイエスの姿ではありません。復活後にペテロの前に現れたイエスは、彼のために十字架にかかり、復活されたお方であり、その存在を前提にした問いかけなのです。この問いかけは私たちにも向けられており、「わたしを愛しますか」というのは、私たちのために十字架にかかり、復活されたイエスを「愛しますか」という問いでもあります。ペテロはイエスの問いかけに対して、「はい、主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」(15節)と答え、続く同じ問いには「私があなたを愛することは、あなたがご存じです」(16節)と、最後には「私があなたを愛することを知っておいでになります」(17節)と、同じ言葉で返答しました。考えてみると、ペテロはそのように応えるしかなかったのでしょう。

 筆者の余談になりますが、ここでイエスがペテロに使われた「愛しますか」という言葉は、ギリシャ語の動詞「ἀγαπάω(アガパオー)」で表されており、これは神の愛、すなわち無条件で完全な愛を意味します。名詞形では「ἀγάπη(アガペー)」が用いられます。対話の中で、イエスは最初の二度、「アガパオー」を使ってペテロに問いかけますが、ペテロはそれに対して「φιλέω(フィレオー)」で答えます。「フィレオー」は兄弟愛や友愛を指し、人間的な愛を表す言葉であり、「アガパオー」と比較するとやや弱い意味合いを持ちます。かつてイエスを三度否認したペテロは、もはや自分を神のような無償の愛でイエスを愛しているとは言い切れなかったのでしょう。しかし三度目には、イエスも「フィレオー」を用いて問いかけ、ペテロも同じく「フィレオー」で応答します。イエスは、ペテロの複雑な心の内を察し、その弱さと正直さを受け入れてくださったのだと推察されます。

 また、イエスは「ヨハネの子シモン、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか」と尋ねられました。おそらくイエスは、過越の食事の席でのペテロの発言を思い起こしておられたのでしょう。あのときペテロは「たとえすべての者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」と豪語していました。この言葉は本心からのものであったと考えられますが、実際にはその勇気を持ち合わせておらず、期待に応えることができなかったことをイエスは見抜いておられたのでしょう。そして今、ペテロは他の弟子たちと自分を比べることなく、ただ「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えました。ペテロにとっては、そのように答えることが精一杯だったのでしょう。そこには、ペテロのイエスに対する真実の愛が率直に表れています。 

 私たちが求められているのは、イエス・キリストを愛することです。私たちは、何よりもこのことを大切にしたいと考えています。教会が目指している最も重要なビジョンは、「神を愛し、神の愛に生きる」ということです。そのために、互いに愛し合う交わりを築いていくことを目標として掲げています。イエス・キリストを愛することは、キリスト者にとって使命であり、すべての根本であると言えるでしょう。「あなたはわたしを愛していますか」という問いかけは、私たちにとって最も基本的であり、かつ究極的な問いです。「神を愛し、隣人を愛すること」は、聖書の教えの中でも非常に重要な教えの一つです。神を愛することが、すべてに優先する最も大切な律法であることを示しています。そして、神との愛の関係があるからこそ、隣人との関係も正しく築くことができ、他者を自分自身のように愛することができるのです。したがって、イエス・キリストの問いかけは、そのことを如実に表しているのです。

 私たちは、生涯を終え、神の前に立つときに、「あなたはわたしを愛していますか」と問われるかもしれません。その時、私たちは返答として、あれもしました、これもしましたと、自分が生涯で行った業績について付け加えたくなるかもしれません。しかし、イエスは次のように言われるでしょう。「それは素晴らしいね。それらのことはすべてわかっているよ。しかし、私があなたに問うているのは、『私を愛するか』というこの一点なのです」。つまり、イエスは、私たちがイエスのために何をしたかではなく、単に「愛しているかどうか」を問うているのです。

 私たちはしばしば、イエス・キリストを愛している証として何かをしなければならないと感じがちです。何かを行うことで認められ、正しいことを実践することで評価されるという価値観に支配されています。これは自分自身に対しても、他人に対しても同じです。神を信じることによって無条件に救われていることは頭では理解しており、自分のありのままを受け入れてくださることも分かっています。しかし、それでもなお、何かを行うことで愛していることを証明しなければならないと考えてしまうのです。しかし、イエスが私たちに問うているのは、そうしたことではありません。「教会を愛しているか」ということでもないのです。「わたしを愛していますか」ということなのです。なぜ、日曜日に教会を訪れ、神を礼拝するのでしょうか。もちろん、それを神学的に説明することはできるかもしれません。しかし、そうではなく、私たちが神を愛し、イエス・キリストを愛しているからこそ、教会で神を礼拝するのです。そして、捧げ物や奉仕においても、その愛の思いが貫かれているのです。

 イエス・キリストを愛することは、私たちの生き方を根本的に変えるのです。

“彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、」” 15

“そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身の
ように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。”マルコ12:33

③ 新しくされた私たちの生き方

 ヘンリー・ナウエンは、オランダ生まれのカトリック司祭であり、ノートルダム大学、イェール大学、ハーバード大学で教えていました。ナウエンの重要な転機は、障害を持つ人々と共に過ごした時間です。彼はカナダ・トロントのケア施設で障害を持つ人々と生活し、その経験が彼の神学と著作に大きな影響を与えました。彼の著書『イエスの御名で』(原題: In the Name of Jesus: Reflections on Christian Leadership)は、ナウエンがリーダーシップについて書いた著名な作品です。この本では、キリスト教におけるリーダーシップの本質を探求し、ナウエンは聖書の教えに基づいてリーダーシップをどのように理解すべきかを述べています。キリスト信仰の世界にありながら、この世の価値観に支配されている現実の中で、イエスの生涯と教えを通して、従来の権威主義的なリーダーシップとは異なる、奉仕と共感に基づいたリーダーシップのあり方を提言しています。ナウエンは、リーダーシップを「力」や「支配」ではなく、他者への「愛」と「奉仕」の実践として捉えています。私自身も、この本を読んで、イエス・キリストに従って生きるとはどういうことなのか、また牧師や教会のリーダーとしての生き方について多くを学びました。そして、30年以上が経過した今、ナウエンが当時語っていたことを私自身が経験しています。それは、「導く者」から「導かれる者」へと変えられたということです。

 私たちは、年齢を重ねることが、さまざまな経験を通じて自分自身を形成し、自分の望むように安定して生きることができるようになると、漠然と考えているかもしれません。私自身も牧師として40年以上仕えてきましたが、年齢を重ね、多くの経験を積むことによって、何かを成し遂げ、揺るがない自信を得ることができると思っていましたし、そのように求められると感じていました。しかし、現実的には、ナウエンが語るように、イエス・キリストに従って生きる姿勢は、まさにそのようなものではなく、むしろ逆であることに気づかされました。年齢を重ねても揺れ動き、力は衰えていき、責任ある指導者としての立場にあったとしても、導く者ではなく、むしろ導かれる者になるということに気づいたのです。

 ヨハネによる福音書21章17節において、イエスは、ペテロに対し、「わたしの小羊を飼いなさい」「わたしの羊の世話をしなさい」「わたしの羊を飼いなさい」と、新たな使命をお与えになります。さらに、イエスはペテロに、「若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました」と語ります。ここで言う「若いとき」とは、ペテロのこれまでの人生、特にイエスと出会う前、また弟子として活動してきたこれまでの歩みを指しています。「自分で帯をする」とは、腰帯を締めて自由に行動できる状態を象徴する表現です。当時のユダヤ文化では、腰に帯を締めることは、外出や労働、旅立ちの準備を意味していました。要するに、ペテロはこれまで自分の意志で行動し、自由に生きることができたということです。しかし、イエスは続けて、「年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます」と語られます。「両手を伸ばす」という表現は、古代では囚人が捕らえられて手を縛られる様子、あるいは処刑されるために手を広げさせられる様子を指します。「ほかの人があなたに帯をして」とは、自分の自由意志ではなく、他の権力者や迫害者によって行動を制限されることを意味します。さらに、「望まないところに連れて行かれる」とは、自由を奪われ、ペテロ自身の意志とは無関係に死へと導かれること、特に殉教を暗示しているのです。

 私たちも「若いとき」は、さまざまなことを教わり、導かれてきました。しかし、経験を重ね、何でも自分でわかるようになり、自分の力で何でもできると考えてしまうことがあります。しかし、実際にはそこには大きなパラダイムシフトが起こっていることに気づかされます。つまり、それまで当たり前だと思っていた考え方や価値観が劇的に変化しているのです。これは年齢だけに関わることではありません。

 「若いとき」は自由に自分の望む場所に行くことができましたが、年齢を重ねると、望まない場所にも、他の人に無理に連れて行かれることがあります。もちろん、「若いとき」のように「自分の力で」自分の望む場所に行く生き方は素晴らしいものであり、これを否定するわけではありません。それが「若いとき」の特徴だと思います。自分の言いたいことを言い、したいことをする。それは決して悪いことではありません。しかし、その生き方はイエス・キリストの生き方とは異なります。イエスの生き方は、他の人があなたに帯をし、望まない場所に連れて行こうとしたとしても、それが神の御心であれば、その道を歩む姿勢です。言い換えれば、それがイエス・キリストの姿であり、イエスが教えた「しもべ」としての生き方なのです。私たちは、自分で考え、決めて前に進むことを目指して生きていますが、実際にはそれとは逆で、年齢を重ね、イエス・キリストによってキリスト者として成熟していくことは、イエス・キリストのように「しもべ」として生きることを意味します。実際、ペテロもそのような生き方に導かれていったのです。

 イエスが十字架に架かられる前、ゲッセマネの園で祈られた場面において、イエスは「わたしの願いではなく、あなたの御心がなりますように」と祈られました(マタイ26章39節)。このとき、イエスは人間的な思いや感情を超えて、神の御心に従う決意を固められたのです。ここには、神の意志を最優先するというイエスの姿勢が、鮮やかに示されています。もちろん、イエスは人間としての深い苦しみを味わいながらも、最終的には神の御心に従う道を選び取られました。これこそがイエス・キリストの真の姿であり、導かれる者としての生き方ではないでしょうか。それは、私たち自身の力だけでは到底歩むことのできない道です。しかし、イエス・キリストに従う人生とは、まさに「しもべ」として生きることを意味しているのです。

 また、ヨハネによる福音書21章19節では、「これは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すことになるかを示して言われたのである」と記されています。すなわち、ペテロは将来、教会の指導者として用いられ、信仰のゆえに命を捧げることによって、神の栄光を現すことになると、イエスは示唆されたのです。 

“…イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」” 17-

 私たちは復活したイエス・キリストをお祝いしましたが、同時に、復活のイエスに出会うとき、私たち自身の生き方が変えられるというチャレンジを受けているのではないでしょうか。イエス・キリストの十字架の死と復活に出会うということは、単に自分の生き方をさらに強化することではなく、むしろ私たちの生き方そのものを逆転させ、新しくされることなのです。復活されたイエスは、今、あなたのもとに来られて、「あなたはわたしを愛していますか」と問いかけておられます。その問いに、私たちはどのように応答するのでしょうか。「あなたがたは導かれている。だから、わたしについてきなさい。」というイエスの呼びかけに耳を傾け、その思いに心を向けて歩んでいきたいと願います。

“このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。…” 1 ヘ ゚テ ロ2:21-

Author: Paulsletter

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