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「《私》から《私たち》への祈り」

2026 1/26
メッセージを読む
2026年1月25日2026年1月26日

1月25日メッセージ
小平牧生牧師
「《私》から《私たち》への祈り」
マタイの福音書6章5~15節

 私たちの人生は、「神との関係」から始まります。これまでのメッセージを通して私たちは、創造主であり全知全能である神を、単に遠くから畏れ敬うだけの存在ではなく、「アバ(お父さん)」と呼ぶ特権が与えられているという、神の恵みを学んできました。この特権は、私たちの努力や功績によるものではありません。聖書は「イエス・キリストを受け入れ、その名を信じる者には、神の子となる資格が与えられた」と記しています。キリストの十字架による救いは、私たちの罪を赦すだけでなく、神と敵対していた私たちを和解させ、神の家族へと招き入れるものでした。キリストの流された血によって、私たちは孤独な存在から、天の父の愛に囲まれる「神の子」へと新しく生まれ変わったのです。万物の創造主を「お父さん」と呼び、祈ることができることは、私たちが神の子として授かった、何にも代えがたい特権なのです。

 カナダのケン・シゲマツ師のメッセージによると、「安息」とは、神を完全に信頼することで得られる内的な安定感や満足感を指し、その結果、平安や喜びを見いだすことができるとされています。しかし、私たちはしばしば神を十分に信頼せず、目に見える他のもので安定感や満足感を求めてしまいます。信仰の基盤は、父なる神を信頼することであり、真の平安をもたらすのは、神との信頼関係です。だからこそ、私たちは「私たちの父よ」と呼びかけることができる関係に導かれていることに感謝したいと思います。

 ここで私たちが深く心に刻むべき大切な真理があります。それは、「神の子ども」として召されたのは、私一人ではないということです。主イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」は、「天におられるわたしたちの父よ」という言葉で始まります。主は「私の父」とだけ祈るようには教えられませんでした。私たちは神の前に立つとき、一人ひとりがその名を呼ばれた、かけがえのない「私」です。しかし、その「私」は決して孤立した存在ではありません。私たちは神の家族という有機的なつながりの中に置かれています。神を「父」と呼ぶことは、イエス・キリストの十字架によって、隣人を「兄弟姉妹」として受け入れることを意味します。すなわち、キリスト者としての成長とは、自己中心的な「私」ではなく、主の愛によって結ばれた「私たち」へと変えられていく過程なのです。

目次

① 神の前にひとりとなって「私」となり

 私たちの信仰生活は、神の前で真実な「私」となることから始まります。それは他の誰でもなく、ただ一人の人間として、創造主の御前に立つということです。ここで言う「一人」とは、寂しい孤立を意味するのではありません。むしろ、神と私という「人格と人格」が向き合う至高の親密さです。主イエスが「祈るときは、奥まった自分の部屋に入り、戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい」と教えられたのは、まさにこのことを指しています。誰の目も気にせず、社会的な肩書きや役割をすべて脱ぎ捨て、神と私との間に何者も介在させない。その「二人きりの時間」の中で、私たちは初めて本当の自分を取り戻すことができます。私たちは家族、職場、地域社会といった多様な人間関係の中で生きていますが、私たちの生き方の根幹は、この「一人の世界」で神とどう向き合っているかによって決まります。この隠れた場所で神の愛に満たされ、自分という存在が肯定されるとき、私たちは初めて、社会の中でも揺るがない「自分」として歩み出すことができるのです。

 ご自身を振り返ってみてください。皆さんの中には、一人で祈ることが苦手な方がおられるかもしれません。あるいは、忙しい日常の中で、一人静まって過ごす時間を確保することさえ難しい方もおられるでしょう。しかし、私たちは一人静かに神の前に出て、神を「お父さん(アバ)」と呼ぶことを心から楽しめるようになりたいものです。なぜなら、そこから私たちの新しい生き方が始まるからです。時折、「人前で祈ることが苦手だ」という声を聞くことがあります。その理由は様々ですが、もしかすると、神と自分だけの密かな交わりにおいて、まだ祈りの喜びを十分に味わえていないからかもしれません。主イエスが、公の活動を前にして、まだ暗いうちに「寂しい所(静かな所)」へ退いて祈られたように、祈りの本質は、神との一対一の親密さにあります。一人になって静まり、神の前に出て祈ることなしに、キリスト者の信仰生活は成り立ちません。そのことを踏まえて、次のことを覚えたいと思います。

 マタイによる福音書6章6節には、「あなたが祈るときには、あなたの父に祈りなさい」と記されています。しかし続く9節で、イエスが教えられた祈りの冒頭の言葉は「天におられるわたしたちの父よ」でした。つまりイエスは、一人静まって父なる神に向かうときであっても、「わたしたちの父」と呼びかけるよう教えておられるのです。信仰とは本来、極めて個人的なものです。教会の伝統的な信仰告白である「使徒信条」においても、主語は「わたしたち」ではなく「我(わたし)は信ず」です。神との関係は一対一であり、誰のものでもない「私」自身の信仰が問われるからです。その意味で、神は「私の父」であり、同時に「あなたの父」でもあります。しかし、この個人的な神との交わりは、決して自分勝手な個人主義に陥ることを意味しません。イエスが教えられた祈りは、「わたしたちの日ごとの糧を与え」「わたしたちの負い目をお赦しください」という、共同体を前提とした祈りでした。一人で神の前にいるのであれば、「私の糧」「私の罪」と祈ればよいのではないか、と考える人がいるかもしれません。しかし、そうではありません。私たちが真に神の前に立つとき、そこには主の愛によって結ばれた「兄弟姉妹」がおり、神が愛しておられる「世界」が共にあります。奥まった部屋で一人祈るときであっても、私たちはキリストのからだの一部として、他者の痛みを自らの痛みとし、世界を背負って祈るのです。この個人的な親密さと、共同体的な連帯が一つに重なるところに、キリスト者の祈りの真の姿があるのです。

“人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。…施しをするとき…、祈るとき…、断食をするとき…” 1-、2-、5-、16-

“あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸をしめて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。”6-

② 「隣人」となり

 キリスト者の生き方とは、繰り返しお話ししているように、まず神を愛することから始まります。そしてその愛は、必然的に「隣人を愛する」という生き方へと表れていきます。私たちは神の前に一人で静まるとき、神と私との間に何ものも挟まない、唯一無二の「私」として立ちます。クリスチャンホームに育ったとしても、家族から信仰を受け継いだとしても、誰の借り物でもない「自分自身の信仰」で神の前に立つ経験が不可欠です。そこで私たちは、神を「お父さん」と呼ぶ特権を授かります。しかし、神を「私たちの父」と呼ぶことは、自分が「神の子」とされると同時に、他者と共に「神の子どもたち」の一員にされたことを意味するのです。今も昔も、私たちの最大の課題はこの「私たち」という関係の中にあります。主イエスは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と命じられましたが、常に問題となるのは「誰が私の隣人なのか」ということです。マタイの福音書5章43節以降で、主イエスはこの問いに鋭く答えられました。主が教えられた「隣人」には、私たちが自ら選んだ友人だけでなく、自分に敵対する者さえも含まれています。私たちはしばしば、自分の物差しで隣人を「善人と悪人」「自分を愛してくれる人とそうでない人」に区別し、愛すべき対象を選別してしまいます。しかし、天の父は悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる、分け隔てのないお方です。「良きサマリア人のたとえ」が示す通り、隣人愛の本質は、たとえ敵対関係にある者であっても、目の前で苦しんでいる人に憐れみを注ぐことにあります。自分を愛してくれる者を愛するだけなら、神を知らない者でも行っていることです。主イエスが私たちを「神の子」として導いておられるのは、憎しみ、怒り、恨み、復讐心を抱かざるを得ない相手をも愛する道です。私たちが神の子とされた真意は、自分に都合の良い人を愛することではなく、むしろ愛せない理由、すなわち、心の中にある憎しみや拒絶感を主に取り除いていただき、相手を赦せるようになることにあります。ですから、私たちが直面している本質的な問題は「赦し」の問題です。自分の罪を深く悔い改め、神の赦しを仰ぐと同時に、私たちは隣人を赦し、愛する力を求めなければなりません。なぜなら、人間の不完全な力では、敵を愛することなど到底不可能だからです。キリストの十字架こそが、私たちを隔てていた敵意という壁を打ち砕いてくださいました。罪を根源的に赦すことができるのは神だけですが、その神に赦された者として、隣人の過ちを赦していくことは、神の子とされた私たちの尊い務めです。それは、相手が赦しを願っているから赦すのではなく、こちらから進んで「隣人になる」ということです。相手の出方を待つのではなく、神の子として自ら歩み寄り、隣人として生きる。それこそが、神の前に独りで立ち、真の「私」として生きているかどうかの証しなのです。

“私たちの負い目をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある人たちを赦します。”12

“もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しになりません。”14-

“また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。” マタイ18:19

③ そして「私たち」となる

 私たちが築くべき関係は、単なる「隣人」という枠を超え、さらに深い「私たち」という親密な一致へと導かれています。人間の成長過程を辿れば、それは「依存」から始まります。幼子は親の助けなしには生きられず、注がれる愛を一身に受けて成長します。そして時が来れば、自分の足で立つ「自立」の段階へと進みます。しかし、キリスト者の歩みにおいて、自立はゴールではありません。自分一人で生きられるようになることが完成ではなく、そこから再び、互いに愛し合い、支え合って生きる「相互依存」へと向かうことが大切なのです。これは、単なる「なれ合い」ではありません。自立した個々の存在が、主の愛によって結ばれ、共に生きることを選ぶ高い次元の成熟です。聖書的に言えば、それは天地創造の時に神が意図された「助け手」として生きる姿にほかなりません。神はアダムを造られた際、「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」と仰いました。私たちは誰もが、他者の助けを必要とする不完全な存在であると同時に、誰かの「ふさわしい助け手」となるために召されています。互いに助け手となり、キリストに結ばれて一つのからだを成していくことこそが、私たちの人生のゴールなのです。イエス・キリストが私たちの罪を赦されたのは、一人で自立して歩むことではなく。共に生きることができるようになるためであり、そのような姿をこの世にあらわそうとするのが教会なのです。教会は、単なる信じる者の集まりではありません。「神の子」として生きる私たちが、互いに愛し、共に生きる交わりなのです。ですから、そのような交わりを生きるために、小さな交わりをも大切にしたいのです。

 最後に、本日の御言葉から改めて確認したいことがあります。それは、「私」が「私たち」になるためには、まず神の前に一人の「私」として立つ必要がある、ということです。「私はあなたを信じます」「私はあなたに従います」という一人ひとりの真実な信仰告白こそが、神の子としてのアイデンティティを確立させ、そこから真の「私たち」という関係へと繋がっていくのです。また、「隣人になること」を抜きにしては、神が望まれる「私たち」の共同体を築くことはできません。だからこそ、私たちは絶えず主イエス・キリストの十字架を仰ぎます。キリストは、私たち一人ひとりを「神の子」としてくださるだけでなく、敵意の壁を壊し、他者のために生きる「隣人」へと造り替えてくださるからです。私たちはキリストにあって真の「私」として生き、真の「私たち」と呼び合える豊かな交わりを築いていきたいと願います。今週、ぜひ意識的に「一人になる時間と場所」を確保し、神の前に静まって祈ってください。その祈りの中で、もしあなたの心に、赦すべき人が思い浮かぶのなら、主の助けを借りてその人のもとへ行き、「隣人」としての一歩を踏み出していただきたいのです。また、あなたが誰かの「助け手」として召されていると感じるなら、その人のために主の愛と力が与えられるよう、執り成していただきたいと思います。私たちが一人ひとりの祈りの生活を深めるなら、私たちの教会もまた、「私」から「私たち」へと向かう神の愛によって、より豊かなものへと変えられていくでしょう。その日を待ち望み、共に歩んでまいりましょう。

“『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。…” 5:43-

“あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸をしめて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。…『天にいます私たちの父よ。…』”6-

Author: Paulsletter

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