「それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。」15:15
死刑が決定していた男が、イエスキリストという存在のゆえに赦された。イエスの死によって、自分が死から解放されるという事実を、彼は文字通り体験した。彼が赦された根拠は、彼自身のうちには何ひとつない。納得できる理由は何もない。人々がバラバの赦しを願ったわけでもない。ただイエスの死のために彼は釈放された。
自分のうちには何の根拠もないのにゆるされた。それは私ではないか。
バラバは、その後どうなったのでしょうか?罪を許されたことに感謝し、新たな道を歩むことができたでしょうか。単なる棚ぼた人生を送ったかも知れません。前者を願いたいですね。
コメントをありがとうございます。そうですね。どういう人生を歩んだのでしょうね。私たちにとっても「恵み」ということを考えるエピソードですね。