バラバは私

「それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむちで打ってから、十字架につけるために引き渡した。」15:15

死刑が決定していた男が、イエスキリストという存在のゆえに赦された。イエスの死によって、自分が死から解放されるという事実を、彼は文字通り体験した。彼が赦された根拠は、彼自身のうちには何ひとつない。納得できる理由は何もない。人々がバラバの赦しを願ったわけでもない。ただイエスの死のために彼は釈放された。

自分のうちには何の根拠もないのにゆるされた。それは私ではないか。

2 コメント
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西田 博
西田 博
1 year ago

バラバは、その後どうなったのでしょうか?罪を許されたことに感謝し、新たな道を歩むことができたでしょうか。単なる棚ぼた人生を送ったかも知れません。前者を願いたいですね。