初めてではない

私が書き溜めていたブログの記事をHPを管理してくださっている吉田さんが整理してくださいました。12年前の2009年に新型インフルエンザが流行した時の週報メッセージの記事を見て、驚きました。今回書いたものと間違うくらいに同じことが書いてあるのです(下記をご覧ください)。

考えさせられました。想定外と言っていましたが、初めてではなかったのですね。日頃起こっていることからどれだけ学んでいるのかと問われます。

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 新型インフルエンザのために、いつもとは異なる日々を過ごされたのではないでしょうか。店頭からマスクが消えてしまいましたね。その状況が海外でニュースになり、今回のインフルエンザを「ジャパン・インフルエンザ」と報道するメディアもあるとか。マスクも充分な数があるそうなのですが、必要以上に買い込んで家に溜めておく人々がいるのでしょうか。古くはオイルショックの時も、また私たち自身が経験したところでは阪神大震災の時にも同じようなことがありました。物がいくらあっても安心できないことや、個人レベルの回復は回復ではないことはよく学んだはずなのに、私たちにある本質的な不安感や欲望がこういう時には表れますね。私たちはお互いに分かち合いましょう。神様は必要を与えられます。マスクを二枚持っている人は、一枚を持っていない人に差し上げましょう。
 さて、私たちクリスチャンと教会にとっても、このような経験は自分の心やあるべき姿について考えさせるよい機会です。今回の新型インフルエンザは「鳥インフルエンザ」とは異なり「弱毒性」であることがわかりましたが、万が一毒性と感染力のさらに強い疫病が流行した時には私たちはどのように行動すればいいのでしょうか。
 クリスチャン新聞によると、今回の場合メキシコでは政府が公の集会を禁止したために、礼拝堂に集まることはできなくなりました。そのためにカソリック教会や大きな教会ではミサや礼拝が中止になりましたが、小さな教会やコミュニティでは礼拝がささげられているようです。礼拝堂に集うことを妨げるものはあっても、礼拝をささげることを妨げるものはありません。私たちの場合、震災の余震の中である方々は礼拝堂に集まり礼拝しましたが、礼拝堂に来られないある方々は家庭で礼拝をささげました。もし、私たちの国でクリスチャンに対する弾圧やテロのようなことが突然起こったとしても、私たちはコミュニティやアパルームや家庭でいつものように礼拝をささげることができます。たとい牢獄の中にあってもです!
 最後に、みなさんの中で「インフルエンザかな?」と思った方は礼拝堂ではなく、家庭で礼拝をささげましょう。持病をお持ちの方や妊娠しておられる方は充分にご注意下さい。しかし必要以上に不安を煽り立てるテレビのニュースや風評には注意して、各自が冷静に対処すれば大丈夫です。 感染された方々の癒しとこの地の回復を主に祈りましょう。(小平牧生)