成人祝福の祈り

今日は礼拝において成人祝福の祈りの時を持ちました。その時の奨励です。

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・新約聖書の中に「成人」ということばは、一箇所だけ出てくる。それは、イスラエルの指導者であるモーセについて。 
「信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。」ヘブル11:24

・成人とは → 「子ども」が成長して「大人」になるということ。一般的には、満20歳以上の者をいう。今年4月からは18歳となる。
 どちらにしても20歳になったと同時に大人になるのではなく、人によって違う。20歳にならなくても大人の人もいれば、逆に何歳になっても子どももいるかも。

・では、「大人」とはどんな人なのか。 → からだも大切だが、からだの成長のことではない。その人の考え方や生き方が子どもではないこと。
・たとえば、子どもの時は自分中心だが、大人は自分中心ではない。
 子どもの時は人から助けてもらうが、大人は互いに助け合う。

・モーセについてどう書いてあるかと言えば、それは「自分の人生の目的にふさわしく自分の道を選び取ることができる」ということ。

・この御言葉には、モーセは「ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒みとある。王の娘の息子は最高の立場。願ってなれる立場ではない。しかし、その立場を拒んだ。なぜなら、自分は神の民としての使命があるイスラエル人であるから。
・だから、神の民としての価値観によって選択した。彼は「はかない罪の楽しみにふけるよりも、神の民とともに苦しむことを選びとった」。

・私たちは、クリスチャン、神の民だ。ですからクリスチャンの価値観で生きる。それができるということが「成人する」ということ。
 それはある意味ではこの世の人とは違う生き方をするということ。この世界では多くの人は自分の目の前の豊かな生活を拒まない。自分の使命にそった生き方を選ばない。20歳を過ぎた大人であっても、「はかない罪の楽しみ」を選んでしまう。それが現実。

・モーセは、どうしてそういう生き方ができたのだろうか。
 その理由がここにはっきり記されている。「信仰によって」だ。
 神様に対する信仰が、何を拒み、何を選ぶかを決める。そしてそう生きる力を与えるのだ。

・今までは子どもの生き方だったかもしれない。しかし、今日から、大人の生き方をして行ってほしい。誰かではなく自分が、神さまを信じて歩んでいこう。