復活したイエス・キリストは、マグダラのマリヤ、シモン・ペテロ、他の集まっていた弟子たち、そしてトマスの前に顕現されました。イエス・キリストが神の力によって死から復活したことを、弟子たちは身をもって直接体験したのです。この体験は弟子たちの信仰を強固なものにしたと思われます。さらに、彼らは聖霊の力を受け取り、霊的な啓示や導きを得ました。この霊的な力によって、彼らは恐れや疑いを克服し、それまでとは別人のようにイエス・キリストの証人として歩み、大胆に福音を宣べ伝えることができました。そして、やがて殉教していくのです。懐疑から信仰へ、臆病から勇気へ、競争から愛へと変化した彼らの姿は、まさに復活のイエス・キリストとの現実の出会いを証ししています。
今日の聖書箇所は、イエス・キリストがペテロに対して、「私の子羊を飼いなさい。」と言って、キリスト者の群れを牧するように命じた場面です。イエス・キリストの復活と顕現の場面の中でも、イエスとペテロとのやり取りは印象深いものです。
① キリストの愛と赦しは変わらない
ティベリアの湖畔(ガリラヤ湖)で、復活したイエス・キリストが弟子たちの前に再び顕現されました。ここでの状況は、イエスがガリラヤで宣教を開始した約3年前に、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネを呼び、弟子として召し出した場面を思い起こさせます。漁師であったペテロたちが網を置いて、イエスの弟子として従ったこの場面は、彼らの信仰の原点とも言えるでしょう。
今回の場面もあの時と同じような状況です。しかも、この場面では、ペテロが三度もイエスの面前で知らないと言いながら裏切ってしまった後の再会であるため、緊張感が漂う瞬間です。
イエスは、そんなペテロを愛し、彼を赦しました。ペテロの性格や行動に関わらず、イエスの愛と赦しは変わりませんでした。
“その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。…” ヨハネ 21:1
“イエスはガリラヤ湖のほとりを通り、シモンとシモンの兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」” マルコ 1:16-
② キリストへの愛が問われている
イエスはペテロに「あなたはわたしを愛していますか。」と何度も繰り返し問いかけられます。「愛していますか」という問いかけも大切ですが、「あなたはわたしを」も重要です。イエスは、「あなたとわたし」の関係でペテロの前に立っています。大勢の中の一人ではなく、1対1の関係で、ペテロに愛しているかどうかを問いかけています。そして、それは一人一人に問いかけられているのです。
私たちはかつての弟子たちのように、誰が正しいのか、優れているのかと他者と比較しようとしがちです。しかし、私たちが求められているのは、イエス・キリストへの真の愛です。キリスト者としての始まりは、イエス・キリストを救い主と信じることですが、成長の過程でイエス・キリストへの真の愛を保ち続けることが大切です。
ペテロのように、口先だけで愛を宣言することは簡単ですが、愛は常に責任を伴い、犠牲を伴います。イエスはペテロと同様に私たちにもその覚悟があるかどうかを問いかけています。
“彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」” 15
③ キリストに従うことは、「人々に連れて行かれる」こと
イエスはペテロに対して、将来起こるべき苦難や殉教について示唆します。若い頃は自分の意志で自由に行動することができますが、年を取ると他人に導かれ、自分の意志に反して望まない方向に連れて行かれることがあります。ペテロはイエスを愛するがゆえに、将来そのような試練が待ち受けていると預言されるのです。
イエス・キリストへの真の愛はペテロに召命をもたらし、十字架をもたらしました。やがて、ペテロ自らも十字架に打ち付けられる日が来るでしょう。しかし、ペテロは十字架の下で、自らが主と同じような形で死ぬことを望みませんでした。そのため、逆さにされるように頼み、殉教の死を遂げたとされています。
ペテロは、イエス・キリストの十字架の死の意味を理解し、主と同じように死ぬ覚悟を持っていたのです。これこそが、真の信仰と愛に導かれたものと言えます。私たちもその召命を受け入れ、イエス・キリストを愛する覚悟を持つことが大切です。
“…イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」イエスは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために、こう言われたのである。こう話してから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」” 17-
※十字架を受け入れる覚悟はありますか。
(※の部分は牧生先生は直接的には言われていませんが、筆者自身がそのように思わされ、思わず付け加えてしまいました。)
Author: Paulsletter