4/26 今日の聖書箇所 1コリント7:17-24 を読み、ゆっくり思い巡らしましょう。そして、心に感じたことをメモしましょう。(下記は小平のメモです)
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・「それぞれ神から召されたときのままの状態で」。割礼を受けること、受けないこと、いずれも私たちに与えられた救いを左右するものではない。また自分が奴隷の立場であることも、ないことも、主の奴隷であることを左右しない。「召されたときのままで」とは、形式的なことで自分の救いを確かめることはないということ。
・「主にあって召された奴隷は、主に属する自由人であり」。「主にあって」ということが、この地上でのことに勝るといいうこと。
・「代価を払って買い取られた」。また同じ言葉が出てきた。自分のために代価が払われたこと、また払われた代価を忘れないでいたい。
主よ。自分で何自分の外面的な状況を変えることによって、自分の救いを確かなものとしたいと考えやすいものです。どうぞ、心において自由人であることができるように守ってください。自分の価値を、自分の行いやあり方で確かめようとするのではなく、自分のために払われたイエスキリストという代価によって受けとめていくことができるように守ってください。