役員の証し 瀬戸口渉

教団機関誌「いのりのとも」2021年11月号「役員の証」

瀬戸口渉

このように主の恵みを証しする機会が与えられていることに感謝いたします。執事として歩み始めたばかりの私ですが、このような私を愛し用いてくださる主の愛を証しさせていただきたいと思います。

私は、20年間神様を知らず生きてきて、21歳の時に主を救い主として信じることを決心しました。その後、進学、またSYMEというクリスチャンの英語学校でスタッフとして奉仕したりと、六年程母教会である西宮教会から離れた地にいました。その後西宮に戻り、昨年九月には主が備えてくださったすばらしい女性と結婚し、クリスチャン夫婦としての歩みを始めたばかりです。

執事の候補となった時、申命記24章5節に「人が新妻を迎えたときは…自分の家のために自由の身になって、迎えた妻を喜ばせなければならない」とある通り、妻と二人の時間を大切にしたいという思いがありました。また、経験も知恵も不足している私はふさわしくないと思いました。しかし主任牧師より「選ばれたということには大切な意味があるので、祈り考えて」と励まされ、そのことを妻にも伝え二人で一緒に祈りました。祈りの中で、日曜日のメッセージで語られたことを思い出しました。「謙虚な姿勢とは自分を卑下しへりくだることではなく、主が用意されたご計画のために自分をささげることだ」。たしかに自分はどこかで自分を卑下していて、自分に期待できない自分を愛することが出来ないところがあると思いました。

そのように祈る中でヨシュアのことを考えました。彼は約束の地への12人の偵察の一人で、カレブと二人だけが約束の地に入ろうと主張したことは有名です。しかし民をしずめて初めに発言したのはヨシュアではなく、カレブでした(民数記13章)。ヨシュアは実は恐れてしまう人であったのかも知れません。だからこそ主は彼に対して「雄々しくあれ。恐れてはならない」(ヨシュア記一章)と何度も励まされたのかもしれません。そんなヨシュアがヨルダン川の川岸迄来て三日もとどまってしまいます。その時のヨシュアはどんな気持ちだったのでしょうか。もしかするとずっと祈っていたのかもしれません。しかし三日後、ヨシュアは民に「明日、主があなたがたのただ中で不思議を行われる」と語ることができました。そして契約の箱を担いだ祭司がヨルダン川に一歩踏み出したとき、水は押しとどめられて彼らは約束の地に入ることができたのです。

主に信頼し一歩踏み出した、このヨシュアの姿に励まされて、私も一歩踏み出して執事として奉仕させていただこうと決心しました。それから半年、知恵と経験に富んでおられる先輩執事の方々と一緒に働き、多くの学びが与えられています。妻との時間は少なくなりましたが、主のみわざをともに喜んでいます。また、妻をはじめ多くの方に祈っていただいてとても励まされます。執事として関わることであらためて西宮教会には主の愛があふれていることを感じています。主に信頼し、一歩一歩前に足を踏み出しながら仕えていこうと思います。