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「神は私たちを造られる」

2026 2/23
メッセージを読む
2026年2月22日2026年2月23日

2月22日メッセージ
小平牧生牧師
「神は私たちを造られる」
ヨシュア記1章1~9節

 本日は、教会総会です。教会総会には、前年度の教勢、教会の財産管理、業務および事務報告、ならびに当該年度の事業計画に関する事項などの事務手続きを決議するという、いわば「形式的な側面」があります。しかし同時に、キリストを頭とする共同体として、共に祈り、キリストの御心を確認し、神の前に責任ある決定を行うという、「神の家族」としての本質的な側面もあります。つまり、「宗教法人」としての事務的な側面と、共に祈り、確認し、決断するという「神の家族」としての霊的な側面があるということです。 それでは、教会総会に上程されるさまざまな事項を評価する基準は、どこにあるのでしょうか。このことが分からなければ、教会総会は形式的で、退屈で、つまらないものになってしまいます。すなわち、「宗教法人」としての教会と、「神の家族」としての教会とでは、その基準が異なることを知らなければならないのです。

 今朝、皆さんと分かち合いたいことは、神の最大の関心は「人」にあるということ、そして教会の目的もまた「人」にあるということです。神は、教会運営のために、あるいは事業計画を遂行するために「人」を用いておられるのではありません。もしそうであるなら、人数は多ければ多いほどよいということになってしまいます。「羊飼いは羊のために命を捨てる」とあるように、良い羊飼いは、いなくなった一匹の羊を見つけるまで捜し歩きます。イエス・キリストもまた、私たちを罪と死の滅びから救うために、ご自分のいのちを身代わりとしてささげられました。そして私たちは、「神のかたち」が回復され、キリストに似た者へと変えられていきます。それこそが神の救いの目的であり、同時に教会に与えられた目標と言えるのです。そのためにこそ、イエス・キリストはこの世に遣わされたのです。

目次

① 神の作品は「私たち」です

 創世記1章26節以降には、神は私たちを「神のかたち」として創造されたと記されています。「神のかたち」とは、人は神そのものではありませんが、私たちのうちに神の性質が与えられ、神と親しく交わることができ、神を愛することができ、さらに神が造られたこの世界を、神の御名によって、神に代わって治めていく使命が与えられている存在である、ということです。このように人を高く評価する考え方は、他にないと言ってよいでしょう。しかしながら、人は自ら神から離れ、神との関係を断ってしまいました。その結果、神と親しく交わり、神に代わってこの世界を治めることもできなくなりました。これが、私たちがこの世界で生きている現状なのです。けれども、そのような人間を再び神のものとするために、イエス・キリストがこの世界に遣わされました。そして人となり、十字架にかかり、復活して、私たちを救いへと導いてくださったのです。私たちはすでに、神の子としての身分と新しい生活を与えられています。そしてやがて神は、私たちをキリストに似た者として完成してくださいます。しかし今は、なお不完全さを抱えたまま、完成へと向かう途上にあるのです。それが私たちキリスト者の人生であり、教会の働きであり、目標なのです。このようにして、神は今もなお、私たちを造り続けておられるのです。

 聖書を見ると、その実例が数多く記されています。例えば、モーセやヨシュア、マルコやパウロなどに共通して見られるのは、キリストに似た者として造られるということは、一度に瞬間的に成し遂げられるのではなく、生涯を通して、人生のプロセスを経ながら形造られていく、ということです。そこには、順調なときもあれば失敗もあり、争ったり、傷つけたり、傷つけられたり、暗黒の時を経験することもあります。しかし、そのすべての過程を通して、神は私たちを造り続けておられるのです。「どうしてこのようなことが起こったのだろう」と思う出来事も少なくありません。しかし、それらを通してこそ、私たちはキリストの似姿に向かって造り続けられているのです。それは、モーセやヨシュア、マルコやパウロだけに限ったことではありません。現代に生きる私たちにとっても、また教会にとっても、まったく同じです。聖書に登場する指導者のような特別な人々だけでなく、私たちのような普通の人間も、神は一人ひとりの人生を今も造り続けておられます。私たちは、完成へと向かう途上にあるのです。本日の教会総会もまた、その途上にある一年の歩みを振り返る機会です。互いに神の愛に生かされていることを確認しながら、キリストの似姿へと変えられるという最終の目標に向かって進んでいくのです。

“神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを 創造された。…”創世記1:26-

“愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らか にされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者にな ることは知っています。” 1ヨハネ3:2-

② 神は私たちを今も造り続けておられます

○ヨシュアの例から

 プリントにヨシュアの例を記しました。実のところ、彼を例に挙げることには少し躊躇もありました。ヨシュアは神に選ばれ、人々にも認められた偉大な指導者であり、「自分のような凡人には当てはまらない」と感じる方もおられると思ったからです。しかし、聖書が記すヨシュアの姿は、最初から完成された指導者だったわけではありません。彼はモーセの従者として忠実に仕え、時に葛藤し、神の訓練を経て後継者へと導かれた人物です。そこで今回は、彼がどのように見出され(召命)、どのように育てられ(訓練)、そしていかにして指導者として立てられた(任命)のか。聖書に記されたその「プロセス」を辿りながら、神が私たち一人ひとりの人生に置いておられる「形成の歩み」を共に見ていきたいと思います。

(1)民の歩みの中で育ち

 神が私たちを造り上げる最初の工程は、多くの場合、家族や共同体の中での日々の歩みから始まります。出エジプト記13章21節から22節には、主がエジプトを出た民の先頭に立ち、「昼は雲の柱をもって道を示し、夜は火の柱をもって彼らを照らされた」という驚くべき導きの情景が記されています。しかし、この時点ではまだ「ヨシュア」という個人名は登場しません。当時のヨシュアは、数百万人の民の中に埋もれた、一人の無名の若者にすぎませんでした。彼は特別な立場からではなく、民の群れの中から、目の前で刻々と形を変える雲の柱と、夜の闇を貫く火の柱を見上げていたのです。彼はこの「無名の一人」としての歩みの中で、神の超自然的な守りと、決して民を捨てない真実を、自らの目で見、耳で聞き、肌で感じていました。ヨシュアの揺るぎない信仰は、この「群れの中での原体験」という土台の上で、時間をかけて静かに形造られていったのです。

“主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の 中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲 の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。”出13:21-22

(2)しもべとして仕え

 神が私たちを造り上げる次の工程は、「しもべとして仕える」という訓練です。聖書の中でヨシュアの名が初めて登場するのは、出エジプト記17章、アマレクとの戦いの場面です。モーセが丘の上で手を上げて祈っている間はイスラエルが優勢になり、手を下げると劣勢になるという戦いの中で、ヨシュアは戦いに参加した一人として、その名が出てきます。彼はこの時、勝利の鍵が軍事力ではなく、神の権威を象徴するモーセの「祈りの手」にあることを、身をもって体験したのです。この戦い以降、ヨシュアはモーセの「従者」として、常に彼の側に仕えるようになります。それは、単なる手伝いではありません。モーセが主と顔を合わせて語り合う幕屋において、モーセが立ち去った後も、若き従者ヨシュアはそこを離れず、神の臨在の中に留まり続けました(出エジプト記33:11)。彼はモーセという指導者の姿を最も身近で見続け、神に対する畏敬の念と、指導者としての霊性をその背中から学んでいったのです。

 聖書はこれ以降、彼のことを「モーセの従者」、あるいは「ヌンの子ヨシュア」と繰り返し紹介するようになります。これは彼がまだ、偉大な指導者の影となり、徹底的に「人に仕える」プロセスの中にいたことを示しています。しかし、この「従者」としての長く忠実な歩みこそが、彼を真の指導者へと造り上げる不可欠な備えとなりました。興味深いことに、モーセの存命中、ヨシュアが「主のしもべ」と呼ばれることは一度もありませんでした。彼がその称号で呼ばれるようになるのは、モーセの死後、彼自身が全責任を担って約束の地へと民を導き入れ、その生涯を全うしたときのことです。

“主は、人が自分の友と語るように顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰 るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。”出33:11

(3)後継者となり

 モーセは、ついにヨシュアを後継者として正式に任命します。申命記31章7節から8節には、その歴史的な場面が記されています。モーセはイスラエルのすべての人々の目の前でヨシュアを呼び寄せ、「強くあれ、雄々しくあれ」と力強く励ましました。主が先祖たちに誓われた地へと民を導き入れ、それを彼らに受け継がせるのは、他ならぬヨシュアであることを公に宣言し、その重大な使命を託したのです。さらに、この継承は人間的な交代劇に留まりませんでした。モーセの死後、神ご自身がヨシュアに直接現れ、かつてモーセと共にいたように、ヨシュアの行く所どこにでも「わたしはあなたと共にいる。あなたを見放さず、あなたを見捨てない」と誓われました。モーセという偉大な「師」の死は、ヨシュアにとって大きな喪失であり「危機」であったはずです。しかし、それこそが神の摂理における転換期でした。師の背中を見ていた「従者」は、神の直接的な約束に支えられる「主のしもべ」へと、新たな段階に引き上げられたのです。

“それからモーセはヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの目の前で彼に言った。「強くあれ。 雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのは あなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。…」” 申命記31:7-8

(4) 民に支えられる

 ヨシュア記1章16節から18節において、イスラエルの民はヨシュアに対し、「私たちがモーセに聞き従ったように、あなたにも聞き従います」と力強く答えました。民は、ヨシュアが単にモーセの指名を受けたからではなく、主がモーセと共におられたようにヨシュアとも共におられることを認め、彼を神が立てた指導者として受け入れたのです。ヨシュアの召命は、一見すると選ばれた者だけの特別なケースに見えるかもしれません。しかし、ここに流れる「神の原則」は、私たちすべての人に共通して当てはまるものです。神は、人を一瞬にして造り上げられるのではありません。長い歳月をかけ、必要なプロセスを経て、必要な経験を与え、そして必要な人々に支えられながら、「神の作品」へと造り上げていかれるのです。人々の前に立つ遥か前、名もない若者のときから、ヨシュアの訓練はすでに始まっていました。彼はまず、神の導きを仰ぎ見る民の一人として歩み、次にモーセの側で仕える従者として、師が経験する神の恵みを傍らで「見、聞き、学ぶ」機会を与えられました。そしてついに、モーセの使命を受け継ぐ者として立てられたのです。この全プロセスを神が導いておられたことを、ヨシュア自身だけでなく、周囲の民もまた知っていました。だからこそ、彼らは確信を持って新しい指導者を受け入れることができたのです。私たちの人生における「神の前にささげる隠れた仕え」も「葛藤のプロセス」も、すべては神が私たちを完成へと導くための不可欠な工程なのです。

 もう一つの興味深い例は、新約聖書のマルコの人生です。彼の歩みは、順風満帆ではありませんでした。マルコは一度、伝道の旅の途中で一行を離脱するという大きな挫折を経験しています。そのためにパウロからは、「以前途中で離れて行った者は連れて行けない」と厳しく拒絶され、パウロとバルナバの決別の原因にさえなりました。一時は「役に立たない者」として歴史の表舞台から消えてしまいかねない状況に置かれたのです。しかし、その彼が、やがて新約聖書の中で「私の務めのために非常に役に立つ」とパウロに言わしめるほどに成長します。そこには、挫折した彼を信じて寄り添ったバルナバの忍耐強い愛があり、また信仰の父として彼を導いたペテロの存在がありました。神は人生の節目に必要な人を送り、失敗という経験さえも霊的な糧として、彼をマルコ福音書の記者へと造り上げられたのです。

 聖書に登場する人々がそうであるように、私たちも同様です。誰一人として、たまたま生まれてきた人はおらず、偶然の連続で生きている人もいません。神が歴史の中で一人ひとりを育ててこられたように、今も私たちを、そして教会を、愛をもって造り上げておられるのです。私たちが今生かされているということは、神が私たちをキリストの似姿へと育み、造り続けておられるという愛の証しです。神は私たち一人ひとりを、また教会を「キリストの花嫁」として完成させるという壮大な計画を、今この瞬間も成し遂げておられます。私たちの存在そのものに、神による尊い意味と目的が刻まれているのです。

 しかし、誤解のないようによく理解していただきたいのですが、私たちが生きているこの世界は、私たち人間の存在そのものよりも、「力」に価値を置く傾向があります。ここで言う「力」とは、権力や能力、健康などを指します。私たちは人生において、「力」が満たされているときをピークと考えがちです。そして、力が衰え、失われていくと、自分には価値がなくなったかのように錯覚してしまいます。残りの人生は、老いてしぼんでいくものだという人生観に、知らず知らずのうちに支配されてしまうのです。「これまで十分に頑張ってきたのだから、あとはゆっくり悠悠自適に過ごせばよい」という考え方に傾いていきます。けれども、聖書はそのような人生観を示してはいません。私たちがそのような人生を送るために、イエス・キリストが十字架の死という代価を払ってくださったのではないのです。人生の最後のときまで、私たちは単に肉体として生きているのではなく、聖霊によって生かされ、キリストの似姿を目標に、成長し続ける存在なのです。

 使徒パウロは、かつては誰よりも律法に忠実であり、キリストに出会ってからも人一倍熱心に、主のために心血を注いで働き続けてきました。しかし、その生涯の円熟期にあってもなお、彼は次のように告白しています。「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ、キリスト・イエスによって捕らえられた目的を果たすために、それを捕らえようとして追い求めているのです。」

 パウロは、自分の努力によって人生を「捕らえた」のではありません。むしろ、ダマスコの途上で、主の圧倒的な愛によって「捕らえられた」のです。彼は自分自身の完全さを追い求めたのではなく、自分を捕らえてくださったキリストの目的に向かって、ひたすら走り続けました。人生の目標とは、何かを達成して自らの手で捕らえることではなく、キリストによって捕らえられることにあります。人生を最後まで走り抜くということは、放っておいて自然に到達するものではありません。当然の結果でもありません。人生がある程度進んだからといって、あとは余韻で進んでいくものでもないのです。絶えず天の御国を見上げながら、イエス・キリストを仰ぎ見つつ、キリストの似姿を求めて、捕らえられた者として最後まで走り抜く、それが、私たちに与えられている歩みなのです。

“彼らはヨシュアに答えた。『あなたが私たちに命じたことは、何でも行います。あなたが 遣わすところには、どこでも参ります。私たちは、あらゆる点でモーセに聞き従ったよ うに、あなたに聞き従います。どうかあなたの神、主が、モーセとともにおられたよう に、あなたとともにおられますように。…』” ヨシュア記1:16-18

 教会総会とは、単なる事務手続きとして議案を承認し、議決する場ではありません。また、「決算目標が達成できました、感謝します」といった報告だけで終わる場でもありません。神がイエス・キリストによって私たちを新しくしてくださった恵みを覚えつつ、捕らえられた者として、キリストの花嫁として、キリストに似た者とされることを目指して歩んできたこの一年を振り返り、主に感謝をささげる時なのです。そして同時に、新しい一年に向けて、教会としての目標、また一人ひとりの信仰の目標を確認し、それを分かち合い、共に祈り合う時でもあります。そのようにして整えられた私たちは、キリスト者として、それぞれの場へ、各教会へ、地域へ、社会へと遣わされていくのです。

 最後に個人的なことを申し上げて終わります。私は、ある教会指導者の研修を通して、人生の歩みにおける「意義」について深く学びました。それは、自分の働きや成果を振り返ること以上に、「神が私という存在をどのように形造ってこられたのか」を見つめる学びでした。聖書は、私たち一人ひとりが「神の作品」であり、しかもその最高傑作であると教えています。神は長い時間をかけ、人生の出来事や出会い、成功や失敗、喜びや痛みのすべてを用いて、私たちを完成へと導いてくださいます。その「完成」とは、ある到達点に立つことではなく、神の御手の中で整えられ続ける歩みそのものにあるのです。私は、自分自身のこれまでの人生を「タイムライン」として整理し、時間軸に沿って出来事を書き出してみました。すると詳細は割愛しますが、およそ10年ごとに大きな転機や「危機」が訪れていることに気づかされました。献身、結婚、震災、出来事による試練、重責、そして健康との向き合い、それぞれの節目には葛藤や痛みが伴いました。しかし不思議なことに、そのどの時期にも神は必ず必要な出会いや支え、励ましを備えてくださいました。危機は孤立の時ではなく、むしろ神の御手が最も近くにあった時でもあったのです。 人生の後半に差しかかった今、疲れや燃え尽き、思いと行動がかみ合わず、義務感だけで動いているように感じる葛藤を覚えることもあります。しかし、そのような苦悩の時こそ、神が新たな段階へと引き上げてくださる転換期であり、やがて祝福へとつながる恵みの時なのだと学びました。行き詰まりは終わりではなく、神の新しい創造が始まる入口なのです。

 牧師は、ともすれば教会を自分の「作品」と考えがちです。教会の成長や実績に目を向け、それを働きの成果として評価してしまいます。しかし、神が真に造り上げようとしておられるのは、教会という組織以上に「私たち自身」という存在です。神は私たちを通して働かれる前に、まず私たちの内面を整え、成熟へと導いておられるのです。だからこそ、自分自身の人生というタイムラインを、神の摂理の視点で見つめ直すことが大切です。出来事を単なる成功や失敗としてではなく、神の導きの過程として受け止めるとき、そこに一貫した神の御手を見ることができます。そのように振り返るとき、私たちは神の確かな導きを再確認し、過去の痛みさえも意味あるものとして受け止めることができます。そして、未来に対する恐れではなく、希望をもって次の一歩を踏み出す新たな力、すなわち再出発の勇気が与えられるのです。

 神の御手にある人生において、すべての出来事には一つとして誤りがなく、それらが重なり合って最善へと導かれることを信じられることは、なんと幸いなことでしょうか。私たち一人ひとりはもちろん、その集まりである教会もまた、誰一人として例外なく、欠けがあり、弱さを抱えています。自分の思い描いた通りに完璧な人生を歩める人など、どこにもいないでしょう。しかし、まさにその不完全さの中で、私たちの思いを遥かに超えた神の知恵と摂理が働き、私たちを導いておられることを覚えます。私たちは互いの弱さを担い合い、共に祈りながら、神が意図された完成へと一歩ずつ近づいていきます。私たちが目指すべきは、この世的な「働きの成功」や規模の拡大ではありません。むしろ、どのような状況にあっても主を信頼し、日々「イエス・キリストの似姿」へと変えられていくことです。キリストという目標を見上げ、神の最高傑作として形造られていくプロセスを、これからも共に歩んでいきましょう。

Author: Paulsletter

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