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「主イエスを待ち望む人生」

2025 11/30
メッセージを読む
2025年11月30日

11月30日メッセージ
小平恵牧師
「主イエスを待ち望む人生」
イザヤ書 9章6~7節

 御言葉は生きていて、力があります。 それは、単なる古代の遠い国の言葉ではなく、また、やがて死んでいく人の語る空虚な言葉でもありません。 すなわち、時の流れと共に過ぎ去り、消え去っていくものでも、時代や状況によって変化していくものでもないのです。 御言葉は今も生きていて、私たちの内側で豊かに働き、新しい力を与えてくださる、神の永遠の真実の言葉なのです。

 今日から2025年のアドベントの季節が始まりました。アドベント(Advent)はラテン語の「Adventus(到来)」に由来し、キリストの「到来」「来られること」を意味します。日本語では「待降節」や「降臨節」と呼ばれ、クリスマス(12月25日)の4つ前の日曜日から始まる期間を指します。この時期、「教会は忙しい」とよく言われます。確かに、様々な準備に追われる日々かもしれません。しかし、聖書に記されている最初のクリスマスの出来事を思い起こすと、そこには単なる忙しさではなく、神の深いご計画があることに気づかされます。旧約聖書の時代、人々は深い闇と沈黙の中で、神が約束された「メシア(救い主)」の到来を 何百年も切実に待ち望んでいました。アドベントとは、その「暗闇に光が差すのを待つ」期間でもあります。そして、ここに記されている「みどりご」こそが、数々の預言の言葉の通り、救い主として降誕された御子イエス・キリスト なのです。私たちはこの期間、ろうそくに一本ずつ火を灯しながら、救い主の誕生を心から待ち望んだ人々の想いに思いを馳せます。そして、救い主が現代の私たちにもたらしてくださった恵みと意味をかみしめつつ、神が私たち一人ひとりに望んでおられる生き方 を改めて考えたいと思います。

目次

① 神様の約束の救い主

 今朝の聖書箇所は イザヤ書 9 章 6~7 節 です。イザヤは紀元前 8 世紀、アッシリアの脅威と霊的な暗闇のただ中にあった南ユダ王国で活動した預言者です。この箇所は、イザヤが神から託された希望の光、すなわち「メシア預言」の中でも特に有名な一節であり、アドベントの時期に世界中の教会で読まれている 約束の御言葉 です。

 旧約聖書には、イザヤ書以外にも多くのメシア預言が記されていますが、その源流は 創世記 3 章 15 節 にまでさかのぼります。キリスト教神学において「原福音」と呼ばれるこの節は、聖書で最初に語られた救い主到来の預言であり、その後の全聖書を貫く 救済史の土台 となる極めて重要な箇所です。アダムの時代から数えて、どれほどの歳月が流れたことでしょうか。神の約束は、気の遠くなるような歴史の中で、さまざまな備えが整えられ、「時が満ちて」、ついにイエス・キリストのご降誕というかたちで成就しました。そして、この神の約束を担う器として選ばれたのが、イスラエルの民でした。旧約聖書をひもとくと、彼らの英雄的な姿だけでなく、数々の戦いや困難、挫折、さらには神に背を向ける罪の姿までもが、ありのままに記されています。けれども、まさにそのような「暗闇」のただ中にあったからこそ、神によって遣わされた預言者たちの言葉は、決して消えることのない希望の光として輝いていたのです。イスラエルの民は、数千年にわたり、この変わることのない神の約束を唯一の拠りどころとし、ひたすら救い主の到来を待ち望んできました。

 さて、現代に生きる私たちはどうでしょうか。私たちは、神の約束がすでに成就し、現実の出来事となったことを歴史的に知っています。すべては神の御言葉のとおり、処女マリアから救い主イエス・キリストがダビデの町ベツレヘムにお生まれになり、その約束が完全に実現したことを聖書の記述から確かに知っているのです。そして、その御名が「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれることも、私たちはすでに知らされています。キリスト者である私たちは、このイエス・キリストによって罪赦され、新しいいのちを与えられ、神の子とされて歩むことが許されています。これは感謝であり、喜びであり、まさに神からの祝福です。しかし同時に、私たちは救いの源であるイエス・キリストのことを、どれほど深く知っているのでしょうか。旧約聖書に描かれている暗黒の時代、戦い、捕囚、奴隷の苦しみを通って、イスラエルの民は神が与えられた救い主の預言の成就を、命がけで祈り、信じ、切実に求め続けました。その歴史を知っている私たちは、どのように生きるべきなのか、そこに思いを向けさせられるのです。

 私は 20 代のとき、大きな挫折を経験し、暗闇の中で「生きている意味がない」と感じながら過ごしていました。しかし、御言葉によって神に深く愛されていることを示され、さらにホセア書 6 章 1-3 節の御言葉を通して、私の人生のすべてを神にお捧げしようと献身を決意し、神学校へ進学しました。その後も今日に至るまで、主を知り、主を切に追い求める生涯へと導かれていることを感謝しています。私に与えられているすべての働きや奉仕は、「イエス・キリストをもっと深く知りたい、味わいたい」という渇きから与えられたものだと実感しています。私たちは信仰生活の中で、イエス・キリストこそ真の救い主であり、神の約束の救い主であると、はっきりと告白して生きる者とされるようにと、いつも願い、祈っているのです。

「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。・・・私たちは、御前に生きるのだ。・・・私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」ホセア書 6 章 1-3 節

“ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与られる。主権は その肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、裁 きと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今より永久まで。万軍の主の熱心がこれ を成し遂げる” イザヤ書 9:6~7

“わたしは敵意を、お前と女の間に、お前の子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打 ち、おまえは彼のかかとをうつ。” 創世記3:15

“それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女がみごもってい る。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。”イザヤ書7:14

② 救い主を知ることによって与えられる祝福と喜び

 救い主を知ることによって与えられる祝福と喜びとは、いったい何でしょうか。単に救い主についての知識を増やし、御言葉を覚えて理解したからといって、必ずしも真に救い主を知ったことにはなりません。救い主を知るとは、知識の習得にとどまらず、生きた人格としての交わりを持つことを意味します。そして、救い主を真に知る者に注がれるのは、神に救われた者だけに与えられる完全な赦しの祝福であり、決して消えることのない喜びなのです。

 共観福音書には、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という御言葉が記されています。これは、イエス・キリストが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた直後、天が開き、聖霊が鳩のようにイエスに降ったときに、イエスが神の子であることが宣言された神の御言葉です。そして、この御言葉は、私の父が高校3年生(17歳)のときに、イザヤ書43章1節の「わたしは汝の名を呼ぶ。汝は我が者なり」という御言葉と共に与えられたものです。

 父は年老いて、これまで牧会していた教会を離れ、はじめて関西の西宮の地にやって来ました。そして、召されるまでの13年間、共に礼拝を捧げ、この地で過ごしました。晩年、父はレビー小体型認知症を患いました。これは従来の認知機能障害に加え、筋肉や関節が固くなり、動作が遅くなり、転びやすくなる症状を伴う病です。父も足の動きに異変を感じ始めて数年後には、身体がほとんど動かず、言葉も失われていきました。書道をこよなく愛し、多くの教会に父の書いた御言葉が飾られていましたが、やがて筆を持つこともできなくなりました。それでも、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という御言葉は、父を支え続けました。最期のとき、母はこの御言葉を枕元で繰り返し語りかけ、父を見送りました。この御言葉は、天の父なる神がイエスだけに示されたものではなく、私たち一人ひとりにも与えられている、特別な愛と選びのメッセージなのです。

 父は自身の著書の中で、イザヤ書43章1節の御言葉を与えられたときのことを次のように記しています。御言葉を受けたその瞬間から、父は自分を自分の目で見ることをやめ、神が自分をどのように見てくださるのかという視点に立って、自らを見つめるようになったと述べています。深い悩みや孤独、苦しみのただ中で与えられたこの御言葉は、父の人生を大きく変えました。晩年の父にとって、人間的な価値観で自分を見れば、あまりにも惨めで不自由な姿に映ったことでしょう。人の助けなしには一瞬たりとも生きられない日々を恨んでも不思議ではなかったかもしれません。しかし、それでも、父の心には常にこの御言葉が響いていました。人の目にはどんなに惨めで価値がないように見えても、神の目には「高価で尊い」と見てくださり、愛する子として受け止めてくださる、そのような神のまなざしを知り、神の愛を受け入れ、信じることができたのです。その確信こそが、父を生涯支え続けたのです。

この主の『わたしは汝の名を呼ぶ。汝は我が者なり』という御声によって、私は主に愛され、受け入れられていることがわかった。救われた時以来、『わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ』と語られる主は今も変わらなかったのである。加藤昇師の著書(生かされて生きる)より

 父なる神は、イエス・キリストに語られたように、私たち一人ひとりにも語りかけてくださっています。イエス・キリストは、私たちの罪を贖うために、私たちが支払うべき負債を、ご自身のいのちをもって完済されるために十字架に架かられました。そして、約束どおりに復活されたのです。それだけでなく、私たちを神の子としてくださり、私たちも神に愛される者として新しい人生を生きることができるようにしてくださいました。私たちに与えられているすべてのものは、神の赦しの中で与えられていると信じることができれば、幸いです。神がご存じでないことは何一つありません。人間の目には理不尽で辛いことに思えても、大きな失敗や苦しみさえも、神は恵みと祝福に変えてくださいます。

 何もできなくなってしまった父を見るとき、自分も父のようにその状況を受け止められるだろうかと考えさせられることがありました。父は一度だけ「恥ずかしいね」と口にしたことがありました。しかし、父は最後まで、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という御言葉を心に抱き、天に凱旋したのです。神に最愛の者として愛されることほど、幸せなことはありません。どんなに困難で、苦しい状況にあったとしても、救い主を知ることによって与えられる祝福と喜びは、何ものにも勝るのです。多くの聖徒たちも、この御言葉に立って、平安のうちに召されていったのだと思います。

“これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。”マタイ 3:17

 第一ペテロ 4章8節には、「愛は多くの罪を覆うからです」という御言葉があります。私たちに与えられた救い主、イエス・キリストは、私たちの人生を父なる神に結び付けてくださいました。神は、キリストの十字架の贖いを通して、すべての罪を赦し、測り知れない愛を私たちに表し、そしてその愛を与え続けてくださるお方なのです。これに勝る恵みはないのです。救い主を深く知るとき、私たちは幸いです。なぜならば、イエス・キリストを通して、創造主なる神に愛されていることを、そして神の子とされていることを知ることができるからです。これが完全な罪の贖いなのです。それは、私たちがもう二度と失敗しないとか、罪を犯さないということではありません。今後も失敗し、罪を犯してしまうことがあるでしょう。しかし、私たちが知っていることは、その失敗や罪をイエス・キリストが十字架の上で贖ってくださったのであり、私たちの代わりに神の前で、私たちが支払うべき罪の代価を身代わりに支払ってくださったがゆえに、神は真実で正しい方であるので、私たちを赦し続けてくださるのです。救い主を知っているのなら、私たちはキリストという大祭司を通して、いつも神の恵みの座に大胆に近づくことができるのであり、愛の赦しの中にいつでももどることが出来るのです。私たちは、イエス・キリストを直接この目で見たことがなくても愛しており、信じているのです。その信仰こそが、言葉に尽くせない、輝きに満ちた喜びへと変わるのです。この祝福と喜びは、永遠の救いという確かな土台から生まれたのです。

“あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれ ども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています。あなたがたが、 信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。” 第一ペテロ1:8~9

③ 救い主を与えられた者としてどのように生きるか

 使徒の働き3章15節とこれに続く4章20節には、イエス・キリストが十字架で死に、復活された後に、弟子のペテロとヨハネが、その証人として福音を宣べ伝える場面が記されています。私たちは聖書の記述によって、イエス・キリストが十字架の死からよみがえられたことを知っています。そして、このイエス・キリストが私たちに何を与え、どのように人生を変えてくださるのかを知っています。

では、イエス・キリストを救い主として信じる者として、私たちはどのように生きるべきでしょうか。ペテロとヨハネはこう語りました。「私たちはそのことの証人です」「私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません」。 私たちは、ペテロやヨハネのような主の証人を通して、イエス・キリストが救い主であることを知りました。私たち自身が直接イエス・キリストを目で見たり耳で聞いたわけではありません。しかし、神の御言葉を信じ、受け入れることによって、イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れる者とされたのです。その結果、私たちの人生は変えられ、その喜びを表さずにはいられません。今や、私たち自身がイエス・キリストの証人とされているのです。証人であることは、必ずしも言葉で巧みに説明することを意味しません。私たちの喜びの源泉や人生の価値観は、イエス・キリストによって変えられたという事実から生まれるのです。どこにいても、どのような状況にあっても、イエス・キリストが共にいてくださることを信じる、それこそが、私たちの生き方の基本です。なぜなら、「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という神の御言葉が、私たちに与えられているからです。

 イエス・キリストによって、私たちは新しい人生を与えられました。私たちの望みは、やがて再び来臨される主にあります。主の日が約束されているという希望です。聖書に記された約束は、一つとして成就しないことはありません。私たちは、イエス・キリストを証ししつつ、主を待ち望む生き方へと招かれています。復活されたイエス・キリストは、再び来られます。イスラエルの民が何千年も待ち望んだ救い主がベツレヘムで誕生したように、このお方こそ約束の救い主であることを私たちは知っています。その日がいつ訪れるかを知ることはできませんが、旧約の時代にイスラエルの民が信じて待ち望んだように、私たちも信じて待ち望むのです。しかし、待つとはただ座していることではありません。祈りつつ、今与えられている使命を喜び、主に仕えて生きる中で待ち望むのです。これこそ、イエス・キリストによって救われた者の生き方です。新約の時代、キリスト者たちは故郷から追われながらも神の御言葉を伝え、福音は世界中に広がりました。私たちもまた、御言葉を信じ、御言葉に生きる者として、やがて来られる約束の救い主を待ち望む人生を歩むのです。

 2025年のアドベントの季節が始まりました。 アドベントは、救い主の誕生を心から待ち望む期間であると同時に、「再び来られる主」を待ち望む時でもあります。 救いの喜びと恵みを分かち合いながら、この喜びと恵みをより多くの人に知っていただきたいと願います。 平和と感謝、そして喜びに満ちた人生を祈りつつ、やがて来てくださる栄光の主を待ち望み、この季節を過ごしてまいりましょう。

“神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。”使徒3:15

“私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。”使徒4:20

“ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れる時に与えられ る恵みをひたすら待ち望みなさい。” 第一ペテロ1:13

Author: Paulsletter

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