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「私にとってのクリスマス」

2025 12/07
メッセージを読む
2025年12月7日

12月7日メッセージ
小平牧生牧師
「私にとってのクリスマス」
ヨハネの福音書 1章9~13節

 教会暦は待降節(アドベント)から始まります。この期間は、イエス・キリストの誕生を待ち望む季節であり、クリスマス(12月25日)へ向かう4回の日曜日を経て、キリストのご降誕をお祝いします。多くの人は年末の慌ただしさの中で、クリスマスが終わるとすぐに新年を迎えてしまうため、クリスマスもそこで終わったかのように感じがちです。しかし、教会暦には「公現日(エピファニー)」という重要な日があります。これは「キリストが世に現れた(顕現)」ことを祝う日で、1月6日に定められています。特に東方教会では、東方の三博士(異邦人)が誕生したばかりのイエス・キリストを礼拝するために馬小屋を訪れた出来事を記念し、この日をキリストのご降誕を祝う日としています。つまり、公現日は、神の御子イエス・キリストがユダヤ人だけでなく、全世界の人々(異邦人)にも示されたことを喜ぶ日なのです。そのため、教会暦では12月25日の降誕日から公現日までを「降誕節」と定め、キリストの誕生という恵みが世界へ広がっていくことを覚える期間としているのです。

 ユダヤ暦およびそれを継承する教会暦では、日没が一日の区切りとなります。現在では多くの国や文化で午前0時を日付の変わり目とするのが一般的であり、私たちもその感覚に慣れています。しかしユダヤ暦では、たとえば金曜日に日が沈むと、その瞬間から安息日が始まります。創世記1章の天地創造の記事でも「夕があり、朝があった」と繰り返されており、一日は日没に始まり、日没で終わるのです。この考え方を踏まえると、クリスマスも12月24日の日没から12月25日が始まることになります。つまり、日没の時点からクリスマス・イヴ(evening)となり、クリスマスの一日は12月25日の日没で終わるわけです。

 聖書を読むと、クリスマスは夜の出来事として記されています。東方の博士たちは、夜空に輝く星に導かれてやってきました。彼らを導いた光は、まさに闇夜の中で道を示す希望のしるしでした。また、ベツレヘムの野原で夜番をしていた羊飼いたちに、天使が現れて救い主の誕⽣を告げたのも夜のできごとでした。その時、「主の栄光が周りを照らした」と記されており、ここにも闇を打ち破る光の訪れが示されています。これは単なる偶然ではないように思われます。共観福音書のマタイやルカは、クリスマスを夜の出来事として描きますが、ヨハネはさらに一歩踏み込み、その出来事の意味を明らかにしています。すなわち、ヨハネはイエスの誕生を、人類の暗闇の歴史に神の恵みと救いが差し込んだ出来事として記しているのです。

 聖書全体を振り返ると、「闇の中に差し込む光」という記述は、イエス誕生の物語と深く共鳴しています。預言者イザヤは「闇の中を歩む民は大いなる光を見た」と語り、この救いの光がやがて世に現れることを告げました。そして、この預言はイエス・キリストの誕生によって成就したのです。ヨハネも福音書1章の冒頭でイエスを「暗闇の中に輝く光」と紹介し、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光に打ち勝たなかった」と記しています。これこそが、クリスマスの本来の意味であり、私たちが受け取り、伝えていくべきメッセージなのです。

 ルカによる福音書は、イエス・キリストの誕生の状況を次のように記しています。初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代、全領土の住民に住民登録を行うよう勅令が出されました。この登録は、シリア州総督キリニウスの在任中に初めて実施されたものです。住民登録の主な目的は徴兵と徴税にありました。ユダヤ人には徴兵義務は課されていませんでしたが、納税義務は存在していたため、人々はそれぞれ自分の故郷へ戻り、登録を行う必要がありました。ヨセフもダビデの家系に属していたため、ガリラヤの町ナザレから故郷ベツレヘムへ、身重のマリアを伴って旅立ちました。しかし、ベツレヘムに着いたものの、宿屋には二人のための場所がありませんでした。やがて、マリアは月が満ちて男子の初子を産み、その赤子は布にくるまれ、飼い葉桶に寝かされました。

 私たちは、ルカが記したこの出来事を思い起こしながら、ヨハネが語る「暗闇の中に輝く光」という言葉を重ねつつ読みたいと思います。そして、クリスマスが私たちにとってどのような意味を持つのかを、深く思い巡らしたいのです。

目次

① イエス・キリストは、なぜ人となられたのだろう

 ヨハネの福音書1章9節には「世」という言葉が繰り返し使われています。この「世」は、ギリシア語の「コスモス」にあたりますが、文脈によって意味が分かれ、主に二つの側面があります。第一は、被造世界としての「世」です。これは、神が造られた宇宙や自然、私たちが住む天地そのものを指します。第二は、神に背き、神の道に反する価値観、すなわち、自己中心的な欲望を満たそうとする価値観としての「世」です。ヨハネは手紙の中で「世を愛してはならない」と語っていますが、ここで用いられる「世」とは、まさに後者の、神に敵対する価値観としての「世界」のことです。キリスト者の間でも「世的」という表現が使われますが、これも信仰に反する価値観を指す否定的な意味合いで用いられています。神によって良きものとして創造された被造世界は、本来は祝福に満ちたものでした。しかし人間は神から離れ、この「世」は罪に陥った状態となりました。9節で語られる「世」とは、神を知らず、光を拒み、自己中心の価値観に支配された人間社会全体を意味しているのです。本来、人間が住み、活動し、豊かに生きるために創造された最良の世界であったにもかかわらず、結果としてサタンの支配下に置かれてしまった、そのゆえに、暗闇を照らすまことの光が世に来られたにもかかわらず、人々はその光を受け入れなかったのです。

“すべての⼈を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。この⽅はもとから世におられ、世はこの⽅によって造られたのに、世はこの⽅を知らなかった。” 9-10

 しかし神は、罪に満ちた「世」を愛し、神に背を向けている私たちすべてを愛してくださいました。だからこそ、神はそのひとり子をこの「世」に遣わされたのです。ですから私たちは、神が示してくださった愛について深く考えなければなりません。神は、どのようにこの「世」を愛してくださったのでしょうか。愛のあらわし方には、「与えること」「共にいること」「助けること」「理解すること」「見守ること」など、さまざまな形があります。それらすべてが愛の姿と言えるでしょう。しかし、神が示された愛とは、何よりも神であるイエス・キリストご自身が、私たちと同じ人となられたという事実に、最もはっきりと表されています。だからこそ、クリスマスにイエス・キリストのご降誕を祝う意味は、まさにそこにあるのです。

 私事になりますが、私たち夫婦は今年、結婚40周年を迎えました。多くの人に愛されることは素晴らしいことですが、一人の人を愛し、一人の人に愛されることは、それ以上に尊い特権だと思っています。しかし、40年間の結婚生活を続けてきて気づかされたのは、私たち人間は、相手とまったく同じ者にはなれないという現実です。私はあくまで「私」という人間であり、自分の属性を捨てて相手と同じ存在になることはできません。自我や弱さを抱えながら、それを完全に捨てることができず、相手と同じにはなり得ない、これが人間の愛の限界なのだと痛感しました。しかし、イエス・キリストは違います。神であられながら、完全に私たちと同じ人となられました。ここにこそ、神の愛が最も深くあらわされているのです。

 パウロがピリピの教会に宛てた手紙には、次のような言葉があります。すなわち、イエス・キリストは永遠の神の御子でありながら、人間となるという道を選ばれました。それほどまでに、私たちを愛してくださったのです。これこそがクリスマスの本当の意味です。イエス・キリストは、この世の権力の象徴であるローマ皇帝の住民登録の勅令のただ中に身を置きながら、完全な人となられました。では、なぜイエス・キリストは人とならなければならなかったのでしょうか。それは、私たちが永遠のいのちを得るためです。

“キリストは、神の形であられるのに、神のあり方に固執しようとは思わず、ご自分を無にして、仕える者の形を取り、人間と同じようになられました”ピリピ2:6-7

“神は、実に、そのひとり⼦をお与えになったほどに、世を愛された。それは御⼦を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。” ヨハネ3:16

“そのころ、全世界の住⺠登録をせよという勅令が皇帝アウグストゥスから出た。” ルカ2:1

② イエス・キリストは、なぜ拒絶されたのだろう

 ヨハネによる福音書1章11節には、「ご自分の民はこの方を受け入れなかった」と記されています。ここでいう「民」とは、イスラエル(ユダヤ)の民を指しています。イエス・キリストは、旧約聖書の預言どおり、ダビデの子孫としてユダヤの地ベツレヘムにお生まれになりました。救い主がベツレヘムから出ることはミカ書5章2節に預言されており、またメシアがダビデの王座を継ぐことはイザヤ書9章7節などに明確に示されています。彼らも旧約聖書を信じる者として、救い主(メシア)を待ち望んでいたはずです。しかし実際には、イエス・キリストを受け入れず、拒絶してしまいました。とはいえ、その出来事もまた神の大いなるご計画の中に含まれており、キリストの誕生はイスラエルの民にとどまらず、すべての人の救いのためであったのです。ルカはこの事実を出来事の描写として記しています(ルカ2章6節以降)。一方、ヨハネはさらに踏み込み、「民はこの方を受け入れなかった」と明確に記すことで、その出来事の意味をより強調しているのです。

 私は以前にもお話ししたことがありますが、イエス・キリストが「民に拒絶された者」としてお生まれになったことについて、あらためて深い気づきを与えられた経験があります。それは、あるゴスペルクワイアのチャプレンが語られたメッセージを聞いたときのことでした。「宿屋には彼らのいる場所がなかった」という有名な箇所について、アメリカの一般的な白人教会で語られる典型的なメッセージは、「イエス・キリストは救い主としてお生まれになったのに、誰も自分の家にお迎えしようとしなかった。だから私たちは心の扉を開き、イエスをお迎えしましょう」という内容です。
 一方、黒人教会で語られるメッセージは、「イエス・キリストは救い主として来られたのに、誰からも受け入れられなかった。イエスは、人々から拒絶される悲しみを知っておられるお方なのです」という内容でした。このメッセージを聞いたとき、私はこれまで自分が語ってきた視点が片側に偏っていたのだと気づかされました。これはどちらが正しいという問題ではありません。同じ出来事の異なる側面であり、私にとって「クリスマスとは何なのか」という立場や視点の違いを問うものだったのです。

 この気づきによって、私の中でクリスマスと十字架が非常に近いものとして結びつくようになりました。それまでは、クリスマス(イエスの誕生)と、十字架の死と復活は別々の出来事として捉えていました。しかし実際には、イエス・キリストの誕生と十字架と復活は一つにつながる神の救いのご計画なのだと、強く意識させられたのです。イエス・キリストは、ただ「かわいいみどり子として生まれ、その後成長して人々に拒絶され、十字架刑によって殺されてしまった」という方ではありません。イエスは最初から拒まれてお生まれになりました。つまり、イエス・キリストにおいて十字架の道はすでに誕生の瞬間から始まっていたのです。私はこのことを通して、イエス・キリストは生まれたときから十字架へと続く道を歩んでおられたのだと、深く心に刻まれました。

 私たちは、イエス・キリストが十字架で受けられた苦しみについては、ある程度想像することができます。しかし、神であるイエス・キリストが「人となられた」ということについてはどうでしょうか。私たちは神ではありませんから、本来それを想像することすらできません。けれども、神が人となられるということは、十字架の苦しみ以上に、到底あり得ないほど想像を超えたことだと言えるでしょう。聖書に記されているさまざまな奇跡を前にして、私たちはしばしば「そんなことが本当に起こり得るのか」と議論します。しかし、神が人となられたという出来事は、水がぶどう酒に変わる奇跡よりも、はるかに想像を絶する大いなることなのです。それほどまでにイエス・キリストは、私たちを愛してくださいました。私たちの救いのために、人として来てくださったのです。しかし、その救い主を、人々は待ち望んでいながら拒絶しました。けれどもイエス・キリストは、その拒絶を通して、かえって私たちに神の愛を示してくださったのです。

“この⽅はご⾃分のところに来られたのに、ご⾃分の⺠はこの⽅を受け⼊れなかった。”11

“ところが、彼らがそこにいる間にマリヤは⽉が満ちて男⼦の初⼦を産んだ。そして、その⼦を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。” ルカ2:6-

 第一ペテロ2章22–24節は、一つひとつの言葉が、イエス・キリストの受難と、その意味する救いの本質を凝縮した、胸が熱くなるほどの御言葉です。私たちは、ののしられればののしり返し、正しく裁かれるべき事柄であっても、それを委ねることができません。それに比べ、イエス・キリストの姿はいかに愛に満ちているかと、ただ驚かされるばかりです。イエス・キリストは、罪を犯したことがなく、その口には偽りがありませんでした。にもかかわらず、自らを弁護したり、復讐したりすることなく、すべてを神に委ねられました。では、なぜイエス・キリストは民に拒絶され、十字架にかかられたのでしょうか。それは、私たちの罪のゆえなのです。この受難の意味、すなわち「すべては私の罪のためであった」という事実が明らかにされるとき、私たちにとってクリスマスの意味は新しくされ、より深いものとなるのではないでしょうか。

“キリストは罪を犯したことがなく、その⼝には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる⽅にお任せになった。キリストは⾃ら⼗字架の上で、私たちの罪をその⾝に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために⽣きるため…。” 1ペテロ2:22-

③ イエス・キリストは、なぜ飼い葉桶に生まれたのだろう

 ヨハネは、イエス・キリストが民に受け入れられなかったことを記す一方で、受け入れた人々についても書いています。そして、その名を信じた人々には「神の子どもとされる特権」をお与えになったと記しています(12節)。それでは、なぜイエス・キリストは飼い葉桶にお生まれになったのでしょうか。これは、毎年クリスマスのたびに心を向けるテーマですが、それは私たちがイエス・キリストと出会い、受け入れることができる道を開くためなのです。私たちのような者であったとしても、イエス・キリストに近づけるようにするためなのです。

 ルカは福音書の中でイエス・キリストのご降誕を記述する際、二つの点を繰り返し強調しています。一つは、イエス・キリストがベツレヘムにお生まれになったということです。ベツレヘムにこだわるのは、救い主がベツレヘムから生まれるとミカ書5章2節に預言されているからです。また、ベツレヘムはダビデの出生地であり、イエス・キリストがダビデの子孫としてお生まれになったことを示すためでもあります。もう一つ繰り返されている点は、みどり子のイエスが布にくるまれて飼い葉桶に寝かされていたということです。なぜ飼い葉桶だったのでしょうか。それは、羊飼いたちにとっての「しるし」が、飼い葉桶に寝ているみどり子だったからです。最高の救いが、最も低くみすぼらしい姿で置かれているという事実こそ、誰もが近づくことができる救い主であることを示しているのです。羊飼いたちは律法を十分に守ることもできず、人々から数にも入れられず、住民登録すら求められない存在でした。東方の博士たちはヘロデ王の宮殿に入ることができましたが、羊飼いたちにとっては、王宮はおろか、町の宿屋に行くことすら難しかったでしょう。つまり、羊飼いがイエス・キリストに出会える場所として、馬小屋の飼い葉桶以外は考えられなかったのです。みどり子が飼い葉桶に寝かされていたからこそ、羊飼いたちは近づくことができました。それはつまり、私たちも願いさえすれば、そして一歩踏み出しさえすれば、イエス・キリストに近づき、出会うことができるということなのです。

 私たちは、どんなに罪深く、数にも入れられないような者であったとしても、救い主に出会うことができるのです。それは、今も変わることのない神の約束です。飼い葉桶にイエス・キリストがお生まれになったという事実こそが、私たちにとってのクリスマスがどういう意味を持つのかを深く教えてくれます。私たちはすでに、イエス・キリストと出会い、受け入れ、神の子とされる特権を与えられています。改めて、このクリスマスにイエス・キリストのもとに近づき、救い主と出会うことのできた恵みを思い起こし、このクリスマスの本当の意味を噛みしめながらお祝いする時を持っていただきたいと願っています。

“しかし、この⽅を受け⼊れた⼈々、すなわち、その名を信じた⼈々には、神の⼦どもとされる特権をお与えになった。” 12

“御使いは彼らに⾔った。「恐れることはありません。⾒なさい。今、私は、この⺠全体に与えられる、⼤きな喜びを告げ知らせます。今⽇ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお⽣まれになりました。この⽅こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを⾒つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」” ルカ2:10-

“⽺飼いたちは…急いで⾏って、マリヤとヨセフと、飼葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。” ルカ2:16

Author: Paulsletter

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