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「幸せであるということ」

2025 9/15
メッセージを読む
2025年9月14日2025年9月15日

9月14日メッセージ
小平牧生牧師
「幸せであるということ」
(キリストの弟子の生き方①)
マタイの福音書5章1~12節

 イエスは、公に宣教活動を開始するにあたり、「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」と宣言されました。この言葉は、イエスのすべての働きの根幹を成すものであり、神の支配による新しい時代の到来を告げるものです。マタイによる福音書4章23~24節は、この宣言に続くイエスの具体的な宣教活動を要約しており、その内容は主に次の三つに集約されます。

  • 会堂で教える:イエスは会堂で、律法や神の教えを説かれました。
  • 御国の福音を宣べ伝える:「御国の福音」とは、「天の御国」すなわち神の支配が到来したという「良い知らせ」を意味します。イエスは、この福音を伝えることで、人々に悔い改めと信仰を促しました。
  • 病気や患いをいやす:あらゆる病やわずらいを癒し、言葉だけでなく行動によっても、神の国の到来のしるしとして神の力が現れていることを示されました。

 これらの活動によって、イエスの評判はガリラヤ全域にとどまらず、北方のシリアにまで広まりました。多くの人々が病や苦しみからの癒しを求めてイエスのもとに押し寄せ、悪霊に取り憑かれた者や、てんかん、麻痺など、さまざまな病を抱える人々が癒されました。しかし、イエスの教えと奇跡は、単なる癒しや不思議な現象を示すものではありません。それらはすべて、「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」という宣言の具体的な現れであり、神の支配が人々の現実の中に到来したことを証しするものでした。やがてイエスは、従う弟子たちを教え導くために、いわゆる「山上の説教」を始められます。この説教は、イエスの教えを体系的にまとめたものであり、天の御国(神の国)の民として生きる者が、どのような心のあり方を持ち、どのような行動規範に従うべきかを具体的に示すものでした。イエスは、律法と預言者の教えを否定するのではなく、それを完成させるために来られたことを明言されました。イエスが十字架につけられた後、弟子たちは恐れと失望の中で一時的に挫折を経験します。しかし、三日目に復活されたイエスが彼らの前に現れたとき、彼らは再び希望を取り戻し、主の教えと復活の証人として力強く活動を始めていきました。イエスは彼らに「すべての国の人々を弟子としなさい」と命じ、神の国の福音を地の果てにまで伝える使命を託されました。

 私たちもまた、この山上の説教を通して、キリストの弟子として、神の国にふさわしい生き方を学び続けることができます。

目次

① 幸せであるとはどういうことなのだろうか

 今朝の聖書箇所は、「山上の説教」の冒頭部分であり、「幸いである」という言葉が何度も繰り返される、いわゆる「八つの祝福(八福)」と呼ばれる有名な箇所です。では、イエスの語る「幸せ」とは、いったいどういうことなのでしょうか。

 「幸せ」という言葉は、どこか軽く聞こえるかもしれません。一般的には、必要なものが満たされ、困難のない状態を思い浮かべる人が多いでしょう。ところが、イエスが最初に語られた「幸い」は、「心の貧しい者は幸いです」という言葉でした。「心の貧しい者が幸いだ」とする価値観は、普通の感覚ではなかなか出てこないものです。「幸せ」「幸福」を英語で表すと、一般には「happy」「happiness」となりますが、ここで使われている「幸い」は、ギリシャ語の原語 makários(マカリオス) という言葉です。「happy」は「hap」(「偶然」「運」「めぐり合わせ」)に由来しており、同じ語源から「happening」「happen」といった語も生まれました。つまり、「happy」は偶然や運によってもたらされた幸福というニュアンスを含んでいます。一方、「makários」は「神から祝福されている」「恵みを受けている」という意味で用いられ、英語の聖書では Blessed と訳されています。聖書において Blessed と訳される背景には、その言葉が持つ深い歴史的・神学的な意味があります。「Blessed」の語源は古英語 blētsian にさかのぼり、この語は「血」を意味する blōd から派生したとされています。もともとは、祭壇でいけにえの血を流して「聖別する」「神聖なものとする」という行為を表していました。このような意味から転じて、「神にささげられた」「神に守られている」「神に祝福されている」という意味へと発展したのです。つまり、「blessed」という言葉は、偶然の幸運や一時的な感情を表すものではなく、神との関係に根ざし、神からの祝福を受けている状態を表しているのです。

 どのような状況や環境にあっても、「幸せ」や「幸福」を感じる人もいれば、そうでない人もいます。しかし、ここで言う「blessed(幸い)」とは、状況や環境に左右される一時的な感情としての「幸せ」ではなく、何ものにも奪われることのない、確かな祝福を指しています。ですから、イエスは「心が貧しくなれば幸せになれる」と言っているのではありません。むしろ、「心の貧しい者は、すでに幸いな状態にある」と宣言しているのです。なぜなら、「天の御国はその人たちのものである」からです。私たちは「幸せになるために」家庭を築き、仕事に励み、さまざまなことに取り組みます。それらによって、偶然(happening のように)幸せを感じることもあれば、そう感じられないこともあります。しかし、そのような「幸福」を追い求め続ける限り、私たちは常に不安や不満から完全に解放されることはありません。けれども、変わることのない神が私たちを祝福しておられるという事実を、素直に受け止めることができるなら、私たちは状況に左右されることのない、真の意味での「幸い」を生きることができるのです。

“心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。…” 3
“Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven.…”

“なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり 心の中にシオンへの大路のある人は。彼らは涙の谷を過ぎるときも そこを泉の湧く所とします。初めの雨もそこを大い なる祝福でおおいます。” 詩篇84:5-

② あなたは、自分が「心が貧しい」と思いますか

 イエスは「心の貧しい者は幸いです」と語られました。この「心の貧しい」という日本語訳は、明治時代の最初の聖書翻訳以来、現在に至るまで一貫して用いられてきました。ただ、新改訳聖書2017版では、初めて欄外に「直訳すると『霊的に貧しい者』」と注記が加えられています。

 実際、英語の聖書ではこの箇所を
 “Blessed are the poor in spirit”
と訳しており、「霊的に貧しい者」というのがイエスの語られた本来の意味なのです。

 では、なぜ日本語の聖書では「霊的に貧しい者」ではなく「心の貧しい者」と訳されてきたのでしょうか。それは、日本の文化的背景において「霊的に貧しい」と言っても意味が伝わりにくかったからだと考えられます。聖書では、人間は霊的存在であると記されています。創造主なる神は、その息(霊)を人間に吹きかけ、そのことによって人間は霊的に生きる存在とされました。つまり人間は、神との交わりの中で霊的に生きるように造られたのです。霊的に生きることこそが、本来の人間らしい生き方なのです。

 世界保健機関(WHO)の憲章では、「健康」について次のように定義しています。

「健康とは、完全な 肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。到達しうる最高基準の健康を享有することは、人種、宗教、政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである」(定訳)

 この定義は、人間の健康を、身体・精神・社会の側面がバランスよく満たされた状態として示しています。さらに、1998年のWHO執行理事会では「spiritual(霊的)」および「dynamic(動的)」を加えた新しい健康の定義が検討されました(最終的には採用されませんでしたが)。霊的な側面を健康の定義に含めようとするほど、それは世界では常識的な視点なのです。ところが日本では、「霊的なこと」と「健康」を結びつけて考える発想がほとんどありません。そのため、「霊的に健康」「霊的に貧しい」といった概念が、日本人にはなじみが薄いのです。信仰に関しても同様で、「霊的」という視点よりも、「心の持ち方」といった精神的・心理的な領域に置き換えられてしまいがちです。このような文化的背景から、日本語の翻訳では「霊的に貧しい者」ではなく「心の貧しい者」とされてきたと考えられます。しかし、これは本来の正確な翻訳とは言えません。「心の貧しい者」と聞くと、「精神的に弱い者」と誤解されてしまうからです。ここでイエスが語っている「心の貧しい者」とは、本来的な意味では「霊的に貧しい者」、すなわち神の前にへりくだり、自分には神の助けが必要であることを知っている者を指しているのです。

 昨今では、ある国や地域の生活水準や経済環境と比較して困窮している状態を「相対的貧困」と呼びます。しかし、ここでイエスが語る「貧しい者」とは、他者との比較による相対的な貧しさではなく、絶対的な意味での貧しさを指しています。つまり、イエスが言われる「貧しい者」とは、助け手なしには生きていけない者のことです。神の助けなくしては、また神との交わりなしには、自分は生きていけない、そのように自らの無力さを認め、神に頼らざるを得ない者こそが「幸いである」とイエスは宣言されたのです。

 私たちは、神に祈り求めなくても生きていけるほど必要が満たされている状態を「幸せ」と考えがちです。しかし、少なくともイエスが語る「幸せ」とは、神の助けがなくても自力で生きていける状態を意味しているのではありません。むしろ、「天の御国はその人たちのものである」とあるように、神に頼らざるを得ない者こそが、本当の意味で「幸い」なのだと語られているのです。

 パウロは、コリント人への手紙第二4章7節において、「私たちはこの宝を、土の器の中に入れているのです」と語りました。「土の器」とは、壊れやすい土で造られた器の意味であり、弱いパウロ自身を指しており、「宝」とは、「キリストの福音の恵み」を指しています。パウロが言おうとしていることは、苦しめられ、困窮するような、途方に暮れることがあったしても、絶望することはありません。すなわち、私たちの「幸せ」というのは、イエス・キリストという「宝」を自分のうちに持っているかどうかということなのです。病の中にいるかもしれないし、貧困の中にいるかもしれません。けれども、外的な困難や試練の中にあったとしても、神がいなければ生きていけないと自分自身を捉えることによって、希望が保たれるのです。器が立派であり、困難や試練のないことが幸せではないのです。

 さらに、パウロはピリピ人への手紙でも次のように語っています。「私は、貧しいことも富むことも経験的に知り、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」(ピリピ人への手紙4章12節)。これはつまり、イエス・キリストが共におられることを知っており、しかもこの方がおられなければ自分自身も存在し得ないということです。その意味で、パウロは自らを霊的に貧しい者と認めており、そのことこそが真に「幸いなこと」なのです。逆に言えば、神を信じているとしても、豊かさや貧しさ、困難かどうか、器の立派さなど、外的な状況に目が向いていると、私たちは絶えず一喜一憂し、神との関係に不安を感じることになります。しかし、どのような状況に置かれたとしても、私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでも乗り越えることができるのです。

“私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神 のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行き づまることはありません。…” 2コリント4:7

“私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私を強くしてくださる方によって私はどんなことでもできるのです。”ピリピ4:12

③ 私たちの幸せとは生きている間のことだけなのですか

 私たちは、自分の霊的な貧しさを自覚し、自分が神の前でいかに無力で不完全な存在であるかを謙虚に認め、神なしでは生きていけないということを理解することが重要であると学びました。神に依存する人こそが「幸せ」であり、それこそが祝福の秘訣です。これは単なる悟りではなく、イエスは「天の御国はその人たちのものだからです」と語っています。天の国(神の国)とは、死後の世界だけを指すのではなく、今ここに実現している神の支配、神との親密な関係、神の恵みと愛に満たされた状態を意味します。もちろん、イエス・キリストを信じ、罪が赦され、神の子とされることは、神の国が与えられていることを意味します。しかし、与えられていることと、それを自分のものとして生きることは異なります。キリスト者は天に国籍を持ち、神の国の者とされているのですが、それを自覚して生きることが大切です。

 私たちはやがて神の国に招かれ、最終的には神の支配の中で生きることになります。この地上では私たちは旅人であり寄留者です。したがって、私たちの「幸せ」は旅の途中で決まるものではなく、「神の国」が与えられていることにあります。ここで言っている「幸せ」は、心の貧しい者が死んだら天の国に行けるという意味ではありません。もちろん死後に神の国に行くことになりますが、イエスは死後のことではなく、すでにキリスト者に与えられている「神の国」について語っているのです。つまり、この地上にあって、キリスト者はすでに「神の国」の者とされ、救いはすでに実現されているのです。

 昔、日曜学校で「福音の汽車」という讃美歌をよく歌いました。「♬ 福音の汽車に乗ってる 天国行きにー(ポッポー)」という歌詞です。しかし、この歌詞は誤解を招く面があります。すなわち、キリスト者の人生は、死んだら天国に行けるという未来のことに言及しているものではなく、すでにイエス・キリストを信じた時点で「天国(神の国)」が与えられ、神の国の民とされているのです。私たちは、イエス・キリストを信じたときに新しくされ、神の子とされています。天国に行って初めて神の子とされるのではありません。すでに罪が赦され、神の子とされているのです。ですから、私たちはすでに与えられている「神の国」を自覚しながら地上の人生を歩み、同時に永遠の命に生きるのです。

 最後に、今朝のメッセージの趣旨は、皆さんがキリストの弟子としてどのように生きるか、ということにあります。イエスは、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです」と言われました。天の御国がすでに自分のものとなっており、自分は幸いな者であると実感できているでしょうか。

 もし実感できていないのであれば、もう一度、
 ①「幸せである」とはどういうことか、
 ②自分は本当に「心の貧しい者」なのか、
ということを問い直してください。

 本当に霊的に貧しい者であり、神が共におられなければ一瞬たりとも生きることができないという現実を自覚するなら、「神の国」が自分のものであるという意味が見えてくるのではないでしょうか。人間にとっての究極の「幸せ」とは、神が私たちと共におられ、神との親しい交わりの中で、私たちが神の御心に従い、愛をもって他者に仕えて生きることなのです。

“だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ 去って、見よ、すべてが新しくなりました。” 2コリント5:17

“今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じよ うに、私も完全に知ることになります。こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希 望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。”1コリント13:12-13

Author: Paulsletter

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