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「神の作品として生きよう」

2025 9/08
メッセージを読む
2025年9月7日2025年9月8日

9月7日メッセージ
小平牧生牧師
「神の作品として生きよう」
エペソ人への手紙 2章1~10節

 私たちは以前、使徒ペテロが小アジアに散らされ、寄留していたキリスト者たちに宛てた手紙の結びの言葉から、「神の恵み」に焦点を当てて考えました。ペテロは「これこそ、神の真の恵みです。この恵みに堅く立ちなさい」と力強く勧めています。私たちは、どんな困難な状況にあっても、自分の力や行いに頼るのではなく、神の揺るぎない選びと恵みに基づいて生きることができるのです。ここで語られている「神の恵み」とは、私たちがふさわしくない者であるにもかかわらず、一方的に、無条件に与えられる神の愛と憐れみを指しています。「神の恵み」という言葉自体は平易ですが、その意味は決して単純ではありません。なぜなら、私たちはそもそも「神の恵み」という概念に馴染みがないからです。私たちが生きている世界では、正しさや行いの成果に応じて報いや報酬が支払われるのが当然とされています。正しいことを行い、やるべきことを果たす人こそが報われる、そのような価値観の中で、私たちは生きているのです。そして、その報いや報酬が価値あるものであればあるほど、その条件は厳しく、達成は困難になります。しかし、福音はこの世の価値観を覆します。私たちは、神の愛と憐れみのゆえに、救い主イエス・キリストのいのちと引き換えに救われたのです。すなわち、神への背きと罪のゆえに神から離れ、本来救われる資格のない者に救いが与えられました。この福音に触れるとき、私たちは「神の恵み」とは何であるかを知ることができるのです。私たちは、自分の行いによって、救いの道を切り開くのではなく、自分の正しさで天に届こうとするものではありません。イエス・キリストを救い主として信じて受け入れることによって、罪赦され、永遠のいのちが与えられ、神の子とされたのです。このことは、今朝のエペソ人への手紙 2章8節でも端的に説明されています。私たちは、神の恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。これは自分自身から出たことではなく、神からの賜物なのです。 

 今朝のメッセージの問題意識はこうです。私たちは、善い行いによってではなく、ただイエス・キリストに対する信仰によって神から義と認められ、神の恵みを知ってキリスト者として歩み始めました。ところが、そのように恵みによって始まった人生を、「神の恵み」ではないものによって完成させようとしてしまうのです。恵みによって始まったものを、恵み以外のもので成し遂げようとするのです。すなわち、行いや律法の実践によって完成させようとする傾向が、私たちのうちにはあるのです。今朝は、「神の恵み」と私たちの人生との関係について、共に確認していきたいと思います。

本日のポイントをあらかじめ示すと、次の三つです。

①キリストによって与えられた私たちの人生は、神の恵みによって始まった。
②キリスト者の人生は、神の恵みに始まり、神の恵みによって完成される。
③そして、始まりから完成に至るまで、私たちの人生を貫いているのは神の愛である。

この三つのことを、共に心に刻みたいと思います。

目次

① 神の恵みによって始まった人生

 前回は、エペソ人への手紙2章前半に記されている、私たちの「かつて」と「いま」という対比に目を向けました。かつて、私たちは創造主なる神から離れ、罪と咎の中に死んでいたのです。この世の潮流に流され、空中の権威を持つ者、すなわち不従順な人々の中に今も働く霊であるサタンに従って生きていました。私たちもまた、肉の欲望のままに、心と体の欲するままに行動していたため、他の人々と同じように、神の怒りを受けるべき存在でした。しかし、私たちを深く愛してくださった憐れみに富む神は、その豊かな恵みによって、罪の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださいました。これは私たちの行いによるのではなく、ただ神の恵みによる救いです。この恵みによって、私たちはキリスト・イエスと結び合わされ、霊的に新しくされました。そして、神は私たちをキリストとともによみがえらせ、天に座らせてくださったのです。

 ここまでが前回のおさらいですが、これらを端的にまとめているのが、今朝の聖書箇所です。

“あなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰によるのであって、それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です”(エペソ2章8節)。

 つまり、救いとは神からの恵みであり、賜物なのです。人間の善行や律法の遵守が救いの根拠となることは決してありません。むしろ、「救いを得るために何かをしなければならない」と考える時点で、この救いの価値を人間的なものに貶めてしまっているのです。イエス・キリストの十字架の死と復活によって与えられる救いに見合う行いなど、存在しません。仮に私たちの体を十字架に打ち付けたとしても、私たちが罪人である事実は変わらないのです。罪のない神のひとり子が十字架につけられ、父なる神に見捨てられ、死んで復活された、この出来事に釣り合う善行などあり得ません。そのように考えること自体が、人間的な発想にすぎないのです。ですから、私たちに必要なのは善行ではなく、砕かれた悔い改めの心です。神から離れている事実を素直に認め、自分の罪を心から悔い改めて、神の一方的な賜物を受け取ることこそ必要なのです。私たちは「信じるか信じないか」「理解できるか理解できないか」など、さまざまなことを言います。しかし結局のところ、「神の恵み」がわかるとは、自分の罪がわかることなのです。そして、自分の罪がわかるのは聖霊によらなければなりません。聖霊によって自分の罪を示されたとき、はじめて神から与えられる救いを「神の恵み」として受け取ることができるのです。ですから、救いは行いによって得られるものではないと、パウロは語っているのです。 

“しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。…” 4-

“この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。” 8

② 神によって私たちの人生は造られる

 この神の恵みは、私たちが単に神の子どもとされたことにとどまりません。私たちは神の「作品」として造られ、キリスト・イエスにあって「良い行い」をするために新たにされました。この「良い行い」とは、救いの条件ではなく、救いの結果であり、救われた者の使命の証しです。また、それは神があらかじめ備えてくださったものであり、救われたキリスト者がその道を歩むようにと定められたものでもあります。パウロがここで伝えようとしているのは、私たちは自分の人生の中で、自ら作品を造る必要はなく、そのような生き方にとらわれる必要もないということです。つまり、自分の業績や功績を形として残す必要はないということです。キリスト者であっても、しばしば自分が成し遂げたことを証しとして残そうとしますが、そのような行いは必ずしも必要ではありません。「神の恵み」によって始まった人生を歩むということは、業績や功績の結果を残すことに意味があるのではなく、神に造られた作品として生きることに意味があるのです。「だれも誇ることのないためです」(9節)とあるように、人々は自分の造った作品を誇るかもしれません。しかし、私たちは神に造られた作品であるため、自らの行いの結果として作品を造る必要はありません。むしろ、神に造られた作品として、神の導きのもとで生きていくべきなのです。

 エペソ2章10節の「神の作品」にあたるギリシャ語は、「作られたもの」「手仕事」を意味し、特に芸術作品や詩のように意図的に創造されたものを指すニュアンスがあります。英語の聖書での翻訳をいくつか調べてみると、特に “masterpiece” と訳しているものも多く見られます。これは、単なる「作られたもの」ではなく、特別な目的を持って創造された、この上なく価値ある存在として私たちを見ておられることを強調しているのです。“masterpiece” という言葉が示すように、私たちは工場で大量生産された画一的な製品ではありません。一つひとつが作者である神の手によって丁寧に造り上げられた、唯一無二のオリジナルです。私たちは、神の想像力と愛が凝縮された、まさに「神の傑作」なのです。したがって、私たちは「神のかたち」に似せて造られた、特別な傑作としてこの世に存在しています。このことは、神が私たちを実際にそのように見ておられることであり、単なる概念上の話ではありません。さらに、聖書が教える人間理解として、私たちがどれほど価値ある存在であるかを示しているのです。

以下に、「神の作品」の英語聖書の翻訳例をいくつかご紹介します。

“God’s handiwork”(New International Version)
“God’s workmanship”(King James Version)
“God’s masterpiece”(New Living Translation)
“God’s masterpiece”(New English Translation)

 エペソ2:10の「キリスト・イエスにあって造られた」のギリシャ語の時制や解釈は複雑です。まず、これは神が私たちを意図的に造られたという「過去の出来事」として理解できます。しかし、ここで用いられている時制は単純な過去形ではなく、完了形です。完了形は「過去に起きた出来事の結果が現在も続く」ことを示します。つまり、私たちは「神によって造られた」という状態にあり、神の意図によって造られた存在としての私たちのアイデンティティは、今も確立されて持続しているのです。さらに、この造られた状態は、神が備えた「良い行い」を行うために今後も存続することを意味します。言い換えれば、過去に神の手で造られた代表作品として、私たちは現在も存在し、未来においても神の計画に従って生かされるのです。

 芸術作品は、まず作者の頭の中で構想されると言われますが、私たちはすでに「神の作品」として造られた存在です。設計図の段階で頭の中にある作品も、実際の作業を経て目に見える形として完成していきます。これと同じように、私たちも“masterpiece”として造られましたが、過去・現在・未来にわたる歩みの中で、少しずつ完成していくのです。これは、神が信仰者に与える保証であり、約束でもあります。神の作品として造られたことは単なる過去の出来事ではなく、現在から未来にかけて存続するものです。神が現実に私たちを造られたという事実は、私たちの将来にも影響を及ぼします。すなわち、私たちは神の栄光を現すために造られた存在であり、神の愛と力の証人として、現在から未来に至るまで神の栄光を表すために生きる者とされたのです。これは神が私たちに約束してくださったことであり、私たちは自分の経験や常識ではなく、神の約束を信じ、神のご計画である“masterpiece”の完成を目指して生きていくのです。

 「良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られた」とありますが、 「良い行い」とは、私たちが「神の傑作品」となるための条件や目標ではなく、キリスト者として完成するための手段でもありません。神が「良い行い」を備えてくださったのは、私たちがその道を歩むためであり、それ自体が「神の傑作品」として生きるための方法なのです。私たちは、自分の力や行いで人生を造り上げて自分の最高傑作品を目指すためではなく、すでに神によって造られた作品として生きていくのです。私たちは多くのことが理解できません。しかし大切なのは、すべてを知ることではなく、これらのすべての答えをご存じで、愛を持って私たちを導いてくださる創造主なる神が、私たちの現在も未来も、イエス・キリストにあって造ってくださることを確信して歩むことです。私たちの人生は「私の作品」ではなく「神の作品」であり、「My story」ではなく「God’s story」です。自分自身の物語なら、削除したり省きたくなることもあるでしょう。しかし、神の作品としての物語だからこそ、すべての出来事は良しとされ、意味あるものとなるのです。

“実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。” 10

“ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。” 1コリント15:10

③ 私たちをつらぬく神の愛

 私たちの人生は、神の恵みによって始まり、神によって造られたものです。そして、その人生全体を貫いているのは「神の愛」です。最後に、この「神の愛」に焦点をあてて終わりたいと思います。

 「神の作品」というとき、その意味するところは、私たちが神の所有であり、神の手によって造られた存在であるということです。しかし、忘れてはならないのは、その作品に込められた神の思いがあるということです。その思いこそが「神の愛」です。つまり、「神の作品」とは、神に愛されている作品であり、愛に基づいて造られた存在であるということです。4節には、「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに…」と記されています。パウロはここで「愛」という言葉を繰り返し強調しています。私たちが「神の作品」と呼ばれるとき、その尊さは「唯一無二のオリジナルだから」という理由にとどまりません。特別だから尊いのではなく、「神が愛してくださっている」からこそ尊いのです。神は大きな愛とあわれみによって、罪の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かし、キリスト・イエスにあってよみがえらせ、天の御座にともに座らせてくださいました。これほどまでに神は私たちを愛しておられます。ですから、私たちが「神の作品」であることを確信できるのは、自分自身の出来栄えが良いからではなく、救いの御業にあらわされた神の愛を知っているからなのです。 一方で、自分の現状を見て「本当にこれが神の作品なのか」「駄作ではないか」と思うこともあるかもしれません。しかし、私たちは知っています。神の愛は単なる言葉ではなく、イエス・キリストのいのちが贖いの代価として私たちのために支払われたという事実に示されています。人から見れば捨てられて当然の者であった私たちのために、神はキリストを与えてくださったのです。それゆえに、私たちの人生は神の作品として尊いものであると知ることができるのです。私たちの教会は、キリストの弟子として神の愛に生きることを目指しています。目に見える具体的な働きができることも素晴らしく、大切なことです。しかし、何よりも大切なのは、一人ひとりが神の愛を知り、その愛に生きることを目指し、共に成長していくことです。私たちはそのようなコミュニティでありたいと願っています。

 自分のことを振り返ると、かつての自分の姿を思い出しました。神が私を愛しておられることは重々承知しており、疑う余地はありませんでした。しかし、そう承知していながらも、心のどこかで「神の本音は、私がもっとこうだったら良いのになと思っているのではないか」「私が牧師になったことを後悔しているのではないか」「神はこんな私を忍耐しながら愛しておられるのではないか」と考えてしまうことがあり、その思いに囚われていました。ところが、その後、聖霊によって示されたのは、神はそのようなお方ではなく、本当に無条件に私を愛してくださっているということでした。そして同時に、私の心の中にあったそのような思いこそが、神に対する恐れの理由であったことにも気づかされたのです。

 「恵み」とは、ふさわしくない者に与えられる「神の愛」を指しています。しかし実際には、ふさわしくない者に与えられる「神の愛」という言葉は、人間側が「恵み」を理解するための説明であって、神の側からすれば「ふさわしい・ふさわしくない」という基準は存在しません。神は最初から私たち一人ひとりを“masterpiece”、すなわち「傑作品」として見ておられるのです。私たちが神から離れたことによって失われた者を、神は再び見出し、傷ついた者を回復してくださいました。私たちは「神の作品」として造られ、今もなお造り続けられています。その「造られた」という事実はすでに完了している出来事でありつつ、現在において存続し、将来に向かってなお実現し続けているのです。私たちが神の愛を知り、真の「神の作品」として生きていくことを、神は喜ばれます。それこそが神の祝福の道であることを、共に覚えて歩みたいと思います。

“しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに…” 4

“神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。…このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。” 1:5,7

Author: Paulsletter

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