8月10日メッセージ
小平牧生牧師
「霊的な戦いであることを忘れるな」
ペテロの手紙第一 5章8~11節
聖書は、悪魔(サタンや悪霊)の存在について教えています。聖書全体を通して、悪魔やサタンは神に敵対する存在などとして描かれています。ただし、その起源について聖書が明確に記しているわけではありません。神学的には、複数の聖書箇所を総合して、もともとは神によって創造された天使の一人が、傲慢によって神に反逆し、堕落した結果として悪魔(サタン)となった、という理解が一般的です。
(ちなみに、筆者が、「悪魔」と「サタン」という語を聖書の検索ページで調べたところ、「悪魔」は旧約聖書に0件、新約聖書に15件、「サタン」は旧約聖書に3件、新約聖書に13件がヒットしました。)
以下の部分は、筆者が旧約聖書の該当箇所を確認した結果であり、次のような記述が見られます。
・歴代誌上:サタンがダビデをそそのかして、神の御心に反する行動を引き起こさせます。
・ヨブ記:サタンが神の御前でヨブを訴え、試練を与えることを神から許可されます。
・ゼカリヤ書:大祭司ヨシュアを神の御前で訴える者として登場します。
このように、旧約聖書における「サタン」(ヘブライ語:サーターン)は、神の絶対的な敵というよりも、神の命令のもとで働く「告発者」や「妨害者」として描かれています。
一方で、新約聖書では、「悪魔」(ギリシャ語:ディアボロス)と「サタン」(ギリシャ語:サタナス)はほぼ同義で用いられ、神およびその民に敵対する存在として一貫して描かれています。こうした対立は、イエス・キリストの生涯において特に顕著です。荒野でイエスを誘惑したのは「悪魔」とされ、その誘惑は神の子としてのイエスの権威を試すものであり、悪魔が神の権威に挑戦する存在であることを示しています。さらに、悪魔は、病や悪霊憑き、偽りの教えなどを通して人々を惑わす存在としても描かれます。そして終末においては、神によって最終的に裁かれ、滅ぼされる運命にあります。もっとも、聖書はすべての病を悪魔や悪霊の働きに結びつけているわけではなく、一部の事例についてのみ、それを悪魔や悪霊の作用として描いています。悪霊の起源について聖書は直接的かつ詳細には説明していませんが、悪霊を霊的に実在する人格的存在として描き、しばしば人間に害を与え、神の働きを妨げるものとしています。悪魔が堕落した天使の首領であるとするならば、悪霊たちはサタンの配下として活動する存在であり、新約聖書には彼らが「軍勢」として描かれている場面もあります。
いずれにしても、悪魔は現実に実在する存在であり、私たちはそのことを知らずにいてはなりません。しかし、過度に関心を向けることも危険であり、それこそ悪魔の思うつぼです。ペテロがこの手紙の最後に悪魔への自覚的な抵抗の大切さを記したのは、信仰の歩みが霊的な戦いであるという現実を直視させるとともに、その戦いを支える神の確かな約束を伝えるためです。今朝は、その霊的戦いの秘訣について、ここで三つのことを学びましょう。
① 悪魔は現実の存在である
ペテロは8節で「身を慎み、目を覚ましていなさい」と語ります。「身を慎む」とは、霊的に健全な判断を保つ姿勢を意味し、「目を覚ます」とは油断せず警戒することを指します。なぜなら、悪魔は黙って見ている存在ではなく、吠えたける獅子のように獲物を探し回り、食い尽くそうと狙っているからです。特に重要なのは、自分自身の弱さを正しく認識することです。油断すれば、悪魔はその弱点に付け込み、そこから攻撃してきます。ですから、自分の脆い部分や付け込まれやすい領域を知っておくことが大切です。ある人にとっては高ぶりであり、別の人にとっては金銭欲などの人間的な欲望かもしれません。悪魔の最終的な目的は、私たちを神から引き離し、神に敵対させることなのです。
悪魔に関するよくある質問の一つに、「なぜ神は悪魔の存在を許し、この地上に悪を放置しているのか」というものがあります。その理由はいくつか考えられますが、その一つは、悪魔の存在も神の計画の一部であるということです。すなわち、神の救いの計画は人間の歴史全体にわたって展開されており、悪魔や悪もまた、その計画の中に含まれています。悪や悪魔は、神の目的を実現するために必要な要素とされているのです。神は悪を完全に制御しており、最終的には悪と死が根絶されます。私たちは朽ちることのない栄光のからだに変えられ、神とともに新天新地という永遠の秩序に入るために、この悪の存在も必要とされているのです。したがって、完全な救いの計画が実現するためには悪魔は滅ぼされなければなりませんが、イエス・キリストが再び来られるまでの間、私たちは身を慎み、自分の弱点を自覚すべきです。そして、悪魔と直接戦おうとするのではなく、自分の力に頼るのではなく、神の約束に依拠して揺るがない堅い信仰を持ち続けることが求められているのです。
“身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。” 8
“そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れた。” マタイ4:10-
“悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。” エペソ6:11
② 私たちがイエス・キリストにつながっているかぎり、悪魔に支配されることはない
サタンは「光の御使い」に変装して私たちに近づいてきます。だからこそ、見かけに惑わされず、霊的に目を覚まして警戒し続けることが必要です。悪魔は世界中で絶えず働いており、その状況は今も変わりません。しかし、信仰者は孤立しておらず、信仰の歩みの中で同じ霊的戦いを共にしている仲間がいます。悪魔は、私たちを神から引き離そうと機会をうかがい、揺さぶりをかけてきます。少しでも油断すれば、食い尽くされてしまうのです。だからこそ、どのような苦難の中にあっても、信仰を堅く保ち、悪魔に屈しない決意が求められます。
創世記3章では、蛇の巧みな言葉に惑わされたエバが、禁じられた木の実を「良いもの」と判断して食べ、夫のアダムにも勧めて食べさせます。これによって人類に罪と死が入り込み、神との親しい関係が断たれることになりました。神はこの行為に対して、悪の象徴である蛇を呪い、人間と悪との敵対関係の始まりとして位置づけられます。この箇所を読むと、しばしば次のような質問が出されます。「なぜ神は、人間が蛇に惑わされ、神の命令に背く可能性のある存在として造られたのか。」これは理解しにくい質問の一つですが、その答えの一つは、神が人間に自由意志を授けられたということです。神は人間に、自らの意思で選択することを許されました。悪魔や悪の存在も、この自由意志の枠組みの中で理解することができます。神は人間に愛や善を選ぶ機会を与える一方で、人間が自ら悪を選択する可能性も許容しておられます。この自由意志の中で、神は善を選ぶよう勧められますが、悪も含めた選択肢が存在し、その結果に伴う責任は人間に委ねられているのです。つまり、神に従うか背くか、神に目を向けるか背けるか―その選択は人間に委ねられており、それこそが「神のかたち」に造られた人間の特権であり責任なのです。
自由とは「好き勝手に振る舞うこと」ではありません。真の自由は、神への従順の中で実現されるものであり、それは罪からの解放、すなわち罪に支配されずに生きることです。私たちは、イエス・キリストの十字架の愛によって、圧倒的かつ完全な勝利者とされます。ゆえに、私たちは喜んで神を愛する道を選びます。そして、イエス・キリストにつながっている限り、悪魔に支配されることはありません。
“堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。” 9
“これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。” ローマ 8:37-39
③ 神は悪魔を滅ぼし、私たちに完全な救いを与えられる
信仰者は、イエス・キリストを通して永遠の栄光(新しい天と新しい地)へと招かれています。地上での試練や迫害は苦しく耐え難いものですが、永遠の視点から見れば、それは終わりのないものではなく、一時的なものです。私たちは信仰者として、神によって完全に整えられ、信仰の基盤を確立され、内なる力を与えられ、不動の者とされるという約束をいただいています。イエス・キリストが来られたのは、悪魔のわざを打ち破るためです。すなわち、サタンの「力・支配・働き」(罪と死)を無効にし(Ⅰヨハネ3:8)、死の力を持つ者である悪魔を滅ぼし、死の恐怖に囚われていた人類を解放するためなのです(ヘブル2:14)。そして最終的に、惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれ、神の救いの計画は完全に成就します(黙20:10)。私たちは、イエス・キリストが再び来られる時を待ち望みつつ、この地上における霊的戦いを最後まで戦い抜くのです。
“あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。” 10
“…その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子が現れました。” 1ヨハネ3:8
“それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。” ヘブル2:14
“彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた” 黙20:10
Author: Paulsletter
