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「自発的に、心を込めて、模範として」

2025 7/28
メッセージを読む
2025年7月27日2025年7月28日

7月27日メッセージ
小平牧生牧師
「自発的に、心を込めて、模範として」
ペテロの手紙第一 5章1~5節

 ペテロの第一の手紙は、イエス・キリストを信じるがゆえに様々な苦難や試練に直面していた小アジアのキリスト者たちを励ますために書かれたものです。手紙の目的は、彼らが信仰に堅く立ち、希望を失うことなく、神の栄光のために生き続けるよう促すことにあります。

 今朝の箇所は、この手紙の締めくくりに当たり、長老たちと若い人々への重要な訓戒と勧めが記されています。ペテロ自身も長老であり、キリストの苦難の証人であり、やがて現れる栄光にあずかる者として彼らに語りかけます。彼は長老たちに向かって「あなたがたにゆだねられた神の群れを牧しなさい」と語った後、まず「長老」のあるべき姿勢について三つの否定形を用いて強調します。これは、長老の務めを果たす上で避けるべき態度を明示し、神に喜ばれる「長老」の姿を浮かび上がらせるものです。ここでいう「長老」とは、イエス・キリストの十字架の死と苦しみを実際に見聞きし、その意味を深く理解している人々のことです。教会を「神の羊の群れ」に喩えるなら、長老はその羊を養う牧者であり、教会を導き、御言葉を教え、整えていくリーダー的存在です。現代では、牧師に相当する役割と考えられるでしょう。ペテロは、神から託された群れを牧する際の姿勢について、「強制されてではなく」「利得を求めてではなく」「支配するのではなく」と、三つの否定形を繰り返し用いて教えます。これは、仕える者として、自発的に、心を込めて、喜びをもって奉仕し、自らが模範となるよう勧める言葉と受け取れます。当時の教会には、権威を濫用したり、支配的な態度をとったり、私利私欲を追求する指導者がいたことと推察され、ペテロはそうした姿勢を厳しく戒めています。彼は、キリストの愛によって群れに仕えることの大切さを説いているのです。一方で、ペテロは若い人々にも言葉を向けています。「若い人々」とは、「長老」と対照的な存在であり、教会の次世代を担う信者たち、すなわち将来の指導者として訓練され、期待されている人々を指すと考えられます。今朝は、このペテロの訓戒と勧めの言葉に耳を傾け、そこからともに学んでいきましょう。

目次

① 神にしたがう自らの意思で

 聖書に記されている訓戒や勧めの言葉は、表面的に読むと、強く命じているような印象を受けるかもしれません。しかし、神が私たちに何かを強制されることは決してありません。文言の一部だけを切り取ってしまうと、そのように感じられる箇所もあるかもしれませんが、神はどのようなことにおいても、私たちに無理に従わせるようなことはなさいません。天地創造の時から、人間が罪を犯すかどうか、神に従うかどうかにおいても、神は一切強いることはありませんでした。最初から、神は人間の自由意志を尊重され、信じるか信じないか、従うか従わないかの選択を私たちに委ねてこられました。そして、喜んで自ら神に仕えることを、神は何よりも大切にしておられるのです。

 では、なぜ神からの呼びかけが強制的な命令のように感じられるのでしょうか。それは、私たちが抱いている神のイメージに由来していると思われます。私たちの中には、神は厳格で、人間が喜んで応じているかどうかには関心がなく、ただ黙って欠けや不足を見つめておられるのではないかと考える人もいるでしょう。こうした思いは、人間が罪ある性質を持っていることに起因していると考えます。たとえば、新約聖書に記されているイエス・キリストの「タラントンの譬え」があります。この譬えでは、私たち一人ひとりに対して、能力・機会・時間・財産といった異なる賜物(タラント)が神から託されています。神は、私たちがその賜物をどのように用いるかを見ておられ、与えられたものを忠実かつ勤勉に活用したかどうかが問われるのです。「忠実なしもべ」にはさらなる祝福が与えられ、反対に、何もしなかった「怠惰なしもべ」には、もっていた賜物さえも取り上げられてしまいます。このことが、命令としての印象を強めているのかもしれません。しかし、これは大きな誤解です。ペテロが語っているように、神は「自発的にしなさい」と私たちに呼びかけておられるのです。それでも私たちは、自ら判断し行動するよりも、決められたことをきちんとこなして評価される方が安心であり、むしろ楽だと感じてしまう傾向があります。ですから、神から預かった賜物を失うことを恐れて埋もれさせるのではなく、それを積極的に用い、神の栄光のために、また隣人の益となるよう最大限に活用していくことこそが重要なのです。キリスト者が間違いやすいのは、「正しいことをしているのだから、たとえそこに喜びがなくても当然だ」と思ってしまうことです。けれども、聖書が教えているのは、聖霊なる神に導かれ、神に愛されているという確かな根拠に基づいて、自発的な心で神に従い、自分を献げていくことの大切さです。何か必要があるから、あるいは他人から求められるから「仕方なく」行うのではなく、物事が満ち足りていても足りていなくても、成功していても失敗していても、「神を愛しているがゆえに、喜んで神に仕えていく」という姿勢こそが大切なのです。そのような在り方を、私たちは常に確認し、心に刻み続ける必要があると思います。

 ペテロは「神の羊の群れを牧しなさい」(2節)と語っていますが、それは彼自身が復活のイエス・キリストにガリラヤ湖の岸辺で再会し、「わたしの子羊を飼いなさい」と語りかけられた経験に深く根ざしています。イエスは、三度ペテロに裏切られたにもかかわらず、「あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか」と問いかけ、続けて「わたしの羊を飼いなさい」と命じられました。ペテロにとってこのやり取りは、イエスを否認した過去を赦されるだけでなく、人生の方向を決定づけるほどの根本的な経験でした。彼はその後、教会のリーダーとしての責任を果たし、やがてローマ帝国による迫害の中で殉教の道を歩みます。

 このような転機となる経験は、ペテロに限らず、私たち一人ひとりにも与えられる可能性があります。もちろん、ペテロのように直接イエスに語りかけられることはないかもしれませんが、聖霊なる神は御言葉を通して語りかけてくださいます。そして、自分が罪ある存在であることを認め、イエス・キリストの十字架の意味を真に理解し、神の愛を知ることができるのです。こうした経験こそが、強制ではなく、自発的に神に仕える姿勢を育むのです。

“あなたがたのうちにいる神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に…”2

“彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」…「あなたは、わたしに従いなさい。」” ヨハネの福音書21:15、22

② 仕えることを心から喜んで

 ペテロは2節で「卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい」と語っています。聖書は、長老の働きに対して正当な報酬を得ることを否定しておらず、それ自体が「卑しい」ことではありません。しかし、ここで注目すべきは、報酬を得ることを目的としてはならないという点です。ペテロは、むしろ心を込めて仕えること、自らを与えることを喜びとする姿勢こそが求められていると語っているのです。

 イエス・キリストに仕えることについては、神によって約束された報いが存在します。誤解してはならないのは、神が私たちから何かを取り上げようとしておられるのではないということです。神は、私たちから奪わなくても、すべてを満たすことのできるお方です。神が見ておられるのは、私たちの行い以上に、そこに表れるイエス・キリストへの心なのです。1節では「やがて現される栄光にあずかる」と語られ、4節では「しぼむことのない栄光の冠をいただく」と記されています。神が私たちに与えようとしているものは、私たちが献げようとするものとは比べものにならないほど素晴らしい、確かな約束に基づくものです。この約束の言葉をどのように受け止めるかが重要です。それは単なる口約束ではなく、私たちがやがて来られるイエス・キリストを信じているか、そしてその希望を目標として歩んでいるかどうかが問われているのです。

 私たちは本当に、神の国の到来を信じ、天の御国が実現することを確信しているでしょうか。それとも、それを宗教的な方便として捉えているでしょうか。私たちは、神の国が実現し、「新しい天と新しい地」がイエス・キリストの再臨によって成し遂げられると信じています。多くの人々がそれを否定し、「そんなことはあるはずがない」と言いました。しかし、イエス・キリストはこの地上に遣わされ、十字架の死と復活によって救いのわざを完成してくださいました。私たちはこの事実を知ることにより、神がこの世界を愛しておられ、救いの計画を必ず成就されると信じることができるのです。私たちは、信じられないことを強制的に信じさせられているのではありません。すでにイエス・キリストが十字架にかかり、復活されたという事実を知っており、その結果として救いのわざが完成されたことを信じているのです。そしてその確信に基づき、神のすべての約束が実現することを信じているのです。だからこそ、私たちは与えられた務めを喜びをもって果たすことができるのです。やがて神の栄光が完全に現され、栄光の冠をいただく時が到来し、すべての涙が拭われる日が来る、この希望こそが、私たちを前向きに、期待をもって歩ませる力なのです。この地上では目に見える報いがないこともあるかもしれません。しかし、終わりのときにイエス・キリストが来られ、愛の報いとして朽ちることのない栄冠を与えてくださるという約束があるからこそ、私たちは喜んで主に仕えることができるのです。

 当時の教会の長老たちは、迫害の中で、厳しい状況に置かれていたかもしれません。しかしペテロは、若い人々に対しても、「長老たちに従いなさい」(5節)と命じています。この命令は、単に年長者であるという理由で従うよう求めているのではありません。ペテロは長老たち自身に対しても、「群れの模範となりなさい」と勧めており、指導者としての責任を強く示しています。ここで「長老」とは、教会の指導者や監督者を指し、彼らの使命は神の群れを牧し、神から託された人々を誠実に世話することです。ペテロは、長老が何を目指して生きているのか、すなわち、神の国の実現、心からの喜び、やがて与えられる祝福への希望など、そのような霊的姿勢をもって模範となるべきだと語っているのです。また、ペテロは5節の最後で箴言3章34節を引用し、「神の祝福はへりくだる者に与えられる」と強調しています。若い人々が従うべきなのは、ただの上下関係ではなく、へりくだって神に仕え、模範として生きる長老たちの姿なのです。この勧告は長老や若者に限らず、すべての人に向けられたものです。へりくだることこそ、神の恵みに与り、真の祝福を受ける道なのです。だからこそ、私たちは卑しい利得を求めるのではなく、心から主に仕えます。その根底には、神への深い信頼と、キリストが私たちのために成し遂げてくださった救いへの感謝があります。へりくだった心で神に仕え、互いに仕え合うとき、私たちは神の豊かな恵みと祝福を受けるのです。

“…また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。” 2

“私は、あなたがたのうちの長老たちに、同じ長老の一人として、キリストの苦難の証人、やがて現される栄光にあずかる者として勧めます。” 1

“そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠をいただくことになります。” 4

③ 自分自身も神の羊として

 ペテロは、「割り当てられている人たちを支配するのではなく」と語っています。ここでの「割り当てられている」とは、「自分に委ねられている」「託されている」という意味です。教会で「長老」と呼ばれる立場にある人が、信徒を支配してはならないというのは当然のことですが、問題は、自分では支配しているつもりがなくても、無意識のうちに他の人を自分の思い通りにコントロールし、従わせようとする傾向が誰にでもあるということです。そうした危うさに私たちは注意を払わなければなりません。そして、それに気づいたときには、互いに注意し合う謙虚さが必要です。これは牧師や教会の指導者、年長者だけに当てはまることではありません。人間そのものが本質的に「支配したい」という性質を帯びているのです。たとえば、親が自分の子を心から愛し、命をかけて育てているとしても、「子どもを自分の思いどおりに育てたい」という願望を持つことがあるのではないでしょうか。親に支配しようという自覚がなくても、結果として子どもの自由や個性を奪う形になることもあります。同様に、教会や地域の中で、熱心に、献身的に奉仕を担っていたとしても、その働きの中に「自分の思いどおりに導こう」とする思いが混じることがあります。むしろ、「正しいことをしている」「良い目的のためだ」と思っているからこそ、知らず知らずのうちに他人を従わせようとする危険があるのです。「割り当てられている人たち」とは、たとえば、親に託されている子どもたちであり、また私たちが属するコミュニティの中で関わる人々でもあるでしょう。私たちは、それぞれが任されている責任や使命があるからこそ、その関係の中にある弱さや危うさを自覚する必要があります。

 「支配してはならない」という言葉は、決して他者に対して教えるべきこととして語られているのではなく、私たち一人ひとりに向けられた神の教えです。それでは、「長老」としての務めをどのように果たすべきなのでしょうか。ペテロはこの箇所で、「群れの模範となりなさい」と勧めています。「群れの模範」とは、「羊飼いとしての模範」ではなく、「羊としての模範」になることを意味しています。

 私たちはしばしば、良い牧者、良い指導者、良い親になろうと努めます。それ自体は尊いことです。しかし、まず何よりも大切なのは、自分自身が良い羊となり、神の子として歩むことです。たとえば、「献児式」という教会の典礼があります。多くの場合、親は「良い子に育ちますように」と願い祈りますが、本当に大切なのは、親である私たち自身がまず神の子として歩むことができるように祈ることなのです。親が子を「なんとかしよう」とする思いは、しばしば知らず知らずのうちに支配の思いにつながってしまいます。けれども、幼子のことを一番心に留めておられるのは神ご自身です。だからこそ、親としてなすべきことは、まず自分自身が神の愛に生かされている者として、神の前に幼子のような者であり続けることです。そして、神の御言葉に従って歩む姿を通して、子どもにとっての模範となるのです。私たちは「羊」として、羊飼いである真の神を信頼しながら歩むときに、自然と他の人々にとっての模範となります。これこそが、ペテロが勧めている「群れの模範」としての生き方なのです。

 『使徒の働き』20章28節には、パウロがエペソの教会の長老たちに与えた訓戒の言葉が記されています。この言葉は、教会を牧する長老たちに託された働きと、その責任の重さを示しています。パウロは、「神の羊の群れを監督する務めにあたって、まず第一に自分自身と教会全体に気を配りなさい」と命じています。この「気を配る」とは、注意深く見守り、責任を持って世話をするという意味です。そのためには、まず自分自身の霊的状態を整え、神との関係を正しく築いておく必要があります。それがあって初めて、神の羊の群れ、すなわち教会共同体・信者たちに、真の祝福をもたらすことができるのです。なぜなら、長老とは単なる教会の指導者ではなく、聖霊によって「監督」として任命された者であり、その務めは、イエス・キリストの尊い犠牲によって贖われた教会を牧するという、計り知れない重責を担うものだからです。このことは、教会がいかに尊い存在であるか、そして長老の務めがいかに重要であるかを明確に示しています。したがって、長老という立場にある牧師や教会のリーダー、また霊的な責任を担う親などは、まず何よりも神との深いつながりを持ち続けることが求められます。その順序を誤ってはならないのです。

“割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。” 3

“あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。”マルコ10:42

“あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。” 使徒20:28

Author: Paulsletter

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