7月5日メッセージ
小平牧生牧師
「私たちの計画を超えて」
(聖霊に導かれて⑦)
使徒の働き8章26節~40節
新約聖書の『使徒の働き』に記されているように、キリスト教会は、イエス・キリストの十字架の贖いと復活、そして昇天に続き、ペンテコステ(聖霊降臨)の日に、約束の聖霊が弟子たちに注がれたことによって誕生しました。以来、教会はキリストの体として、2000年という長い宣教の歴史を紡いできたのです。私たちが日常使っている「西暦」はイエス・キリストの降誕を起点としていますが、神学的な救済史の視点に立つならば、もう数年もすれば、キリストの十字架と復活、そして聖霊による教会の誕生(ペンテコステ)から「満2000年」という、人類の歴史における大いなる節目を迎えることになります。私たちは単に時が流れる中にいるのではなく、神の壮大な救いの救済のご計画の最前線に、いま生かされているのです。この大きな節目の時代にあることを覚え、託された福音のバトンを次世代へと繋ぐ使命を、新たに祈り求めていきたいと願っています。
ペンテコステ(聖霊降臨)によって誕生した教会とイエス・キリストの福音は、新約聖書の『使徒の働き』が記しているように、聖霊の導きによってエルサレムからユダヤ、サマリア、そして「地の果て」へと拡大していきました。福音はパウロたちの伝道旅行を通じて小アジア(現在のトルコ)からヨーロッパへと渡り、時代の荒波を越えて、ついに私たちの国、日本へと至ります。我が国に初めて福音がもたらされたのは16世紀、今から約500年前の1549(天文18)年のことです。カトリック教会のイエズス会宣教師、フランシスコ・ザビエルらの来日がその端緒となりました。年号を語呂合わせで覚えた方も多いかと思います。その後、福音は驚くほどの速さで広まり、16世紀末には九州や長崎を中心に、数十万人もの「キリシタン」と呼ばれる主にある兄弟姉妹が誕生していました。しかし、豊臣秀吉、そして続く徳川幕府によって「キリスト教禁止令」が出されると、状況は一変します。教会は破壊され、宣教師は追放され、信徒たちは苛烈な迫害と弾圧の対象となったのです。この暗黒の時代が約250年間も続きました。目に見える「教会堂」の建物も、御言葉を語り、聖礼典を執り行う「司祭」もいない状況下で、彼らは命がけで信仰を守り、密かに次の世代へと継承し続けていたのです。明治の初め、約250年にわたる禁教と迫害の時代を耐え抜いた彼らは、「潜伏キリシタン」として密かに守り続けてきた信仰を再び公に表しました。この出来事は、世界のキリスト教史においても類を見ない奇跡として語り継がれています。それは、人の目には教会が消え去ったように見えても、神がご自身の民を守り続けておられたこと、そして神の「見えざる教会」は、いかなる迫害や権力によっても決して滅ぼされることがないという真理を力強く証しする出来事となりました。250年という気の遠くなるような歳月の中で、目に見えない神の恵みがどのように働き、信仰が守り抜かれたのか。これは単なる過去の歴史ではなく、現代の私たちにとっても「信仰の本質」を問いかける極めて重要なテーマです。ぜひ今後の成人分級などで、皆さんと共に深く学んでいきたいと願っています。
このようにカトリック教会が先行いたしましたが、私たちプロテスタント教会の歴史に目を転じますと、今からちょうど180年前の1846年、まだ江戸時代の末期に、イギリス海軍琉球伝道会の宣教師ベッテルハイムが琉球王国(現在の沖縄)に降り立ちました。彼は困難な状況の中で熱心に伝道し、何よりもプロテスタントの信仰の根幹である「聖書の翻訳」に心血を注ぎました。その後、歴史のうねりの中で日本は開国へと向かいます。1858年の「日米修好通商条約」によって港が開かれ、翌1859年には横浜や長崎などを中心に、欧米から多くのプロテスタント宣教師が来日しました。彼らの宣教は、単に言葉で福音を語るだけにとどまりませんでした。イエス・キリストが人々の病を癒やし、教えを説かれた姿に倣い、学校や病院を建て、教育や医療の活動を同時に推し進めていったのです。今も広く知られる多くのミッションスクールやキリスト教主義病院は、この地上のあらゆる領域に神の統治を現そうとする「包括的な宣教(Holistic Mission)」の祈りの中から誕生しました。世界を舞台に展開してきた神の壮大な宣教の歴史。その流れは、時代を超え、国や文化を越えて、絶えることなく今日まで受け継がれてきました。その目には見えない恵みの流れの中に、いま私たちの小さな地域教会も確かに連なっています。私たちもまた、神がこの世界で進めておられる救いの御業の一端を担う者として、その使命へと招かれているのです。私たちは決して孤立しているのではなく、時代と国境を越えた「一つの聖なる公同の教会」の一部なのです。
この二千年にわたる神の恵みの御業と、我が国における宣教の歴史を心に留めながら、本日お読みいただいた新約聖書『使徒の働き』へと目を向けてまいりましょう。そこには、教会の宣教がどのように始まり、神がどのように人々を用いて福音を世界へと広げていかれたのか、その原点が記されています。それは、主イエスが約束された聖霊の力を受けた弟子たちが、激しい迫害や数々の困難の中にあっても心を一つにして祈り、復活の主の証人として大胆に歩み始めた初代教会の姿です。そこでは、使徒たちの人間的な能力や熱意以上に、生ける神の御言葉そのものが聖霊の力によって力強く広がり、多くの人々の心を捉え、社会や世界を根底から変えていく神の躍動感が描かれています。しかし、これは決して遠い昔の歴史を記録した書物ではありません。使徒たちを突き動かした生ける聖霊は、二千年の時を超えた今日も、この礼拝に集う私たち一人ひとりのうちに同じように働いておられます。なぜなら、私たちもまた、同じ一つの聖霊によって新しく生かされ、キリストの体なる教会として、彼らと同じ宣教の使命へと召し出されているからです。今朝、聖書を通して語りかけてくださる生ける神の御声に、私たちはどのような信仰の応答をされるでしょうか。聖霊の導きを祈りつつ、共に御言葉に静かに耳を傾けたいと思います。
シリーズ「聖霊に導かれて」の第7回目を迎えました。まずは、これまでのメッセージを改めて振り返りたいと思います。十字架の死から三日目によみがえられた主イエス・キリストは、四十日にわたって弟子たちにご自身を現し、神の国について教えられた後、天に昇られる前に弟子たちへ「大宣教命令」をお与えになりました。それは、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」という、全世界へと福音を携えて遣わす使命の言葉です。そしてそれに続き、宣教の原動力となる約束を与えられました。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」。ここで主イエスが示された宣教の計画は明確でした。第一に、すべての始まりは「聖霊なる神の降臨」であること。第二に、宣教の働きはエルサレムという局所から「全世界へと拡大していく」こと。そして第三に、弟子たちは異邦人を含む「すべての人々に福音を宣べ伝える」ということです。ペンテコステの日、この約束通りに祈り待つ弟子たちの上に聖霊なる神が臨まれ、初代教会が誕生しました。まずはエルサレムに集まっていた人々へ福音が語られ、そこに麗しい信仰の交わりが生まれ、信徒の数は爆発的に増え広がっていきました。しかし、次なる段階である「ユダヤとサマリアの全土へ」という広がりには、人間の側にある分断の壁が立ちはだかっていました。聖書で「ユダヤとサマリア」と一言で語られますが、両者の間には深すぎる歴史の傷跡がありました。サマリア人は本来、ユダヤ人と同じ祖先を持つ同胞です。しかし歴史の荒波の中で彼らは異邦人と結婚(いわゆる「雑婚」)し、ユダヤの律法から離れ、独自の神殿を建てて偶像礼拝に傾倒していきました。ユダヤ人から見れば、異邦人は「最初から神を知らない遠い存在」ですが、サマリア人は「神を知っていながら背を向けて出て行った背信者」だったのです。血が近いからこそ憎しみは深く、当時のユダヤ人はサマリア人と一切の交わりを断絶していました。ですから、人間的な常識に生きる弟子たちにとって、サマリア人に福音を伝えるなどということは到底受け入れがたく、決して簡単なことではありませんでした。実際、聖書をどれだけ読んでも、使徒たちが知恵を絞って「サマリア伝道計画」を立案した形跡はどこにもありません。人間の頑なさが福音の拡大を阻んでいたのです。では、この人間の壁を神はどのように打ち破られたのでしょうか。本日お読みした『使徒の働き』第8章の冒頭に、驚くべき、しかし一見すると悲劇的な「神の摂理(計画)」が記されています。 「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた(1節)」とあり、そして4節には、「散らされた人たちは、御言葉の福音を告げ知らせながら、巡り歩いた」と記されています。人間が自発的に動こうとしないとき、神は「激しい迫害」という過酷な現実さえも用いて、彼らをサマリアへと押し出されたのです。エルサレムという安全なところに留まろうとする教会を揺さぶり、文字通り「散らす」ことによって、福音の種はサマリアの地に蒔かれるのです。人間の拒絶や迫害の力さえも、宣教を前進させる聖霊の風へと変えられたのです。
① マイナスとしか考えられない状況でも
第一番目のポイントは、「マイナスとしか考えられない状況においても、神の御業は決して妨げられず、むしろ前進していく」ということです。これは、教会の歩みだけでなく、様々な困難や障壁に直面している私たちの個人的な人生においても、全く同じように適用される霊的な真理です。
『使徒の働き』を素直な心で読むとき、私たちは一つの厳然たる事実に気づかされます。それは、神の宣教の働きが「弟子たちの緻密な計画や戦略通りに進んだわけでは決してない」ということです。むしろ人間の思いや計画はことごとく破られ、留められ、妨げられ、行き詰まりを経験させられます。しかし、まさに人の目には「すべてが終わった」としか思えない、その絶望のただ中で、人間の計画や知恵をはるかに超えた神の壮大な救いの御計画は、一歩も揺らぐことなく主権的に進められていくのです。人には終わりと見えるところでも、神にとっては新しい御業の始まりとなるのです。先ほどお話ししたように、エルサレムの居心地の良いコミュニティから、ユダヤとサマリアの全土へ福音が広がる引き金となったのは、それは、教会の成長を根絶やしにしようとするサタンの激しい攻撃でした。教会にとっては、「迫害」という最も大きな試練であり、人の目には福音宣教がここで終わってしまうかのように思われる出来事でした。しかし神は、その苦難を福音がさらに広く伝えられるための機会へと変えられます。人が絶望と見るところで、神は新しい救いの御業を力強く前進させられたのです。この迫害によってサマリアの町へと下っていった執事ピリポは、聖霊の不思議な導きにより、エチオピアの女王に仕える高官である「宦官」に出会うことになります。彼はエルサレムへ礼拝に上った帰り道、馬車の上で預言者イザヤの書を読みながらも、その意味が分からずに苦悩していました。ピリポがそこに寄り添い、イザヤの預言からイエス・キリストの福音を解き明かして洗礼を授けたとき、アフリカの大地へ向かう「地の果てへの宣教の第一歩」が記されたのです。のちの歴史が証明している通り、このエチオピアという国は、紀元4世紀から6世紀にかけてアフリカ最大のキリスト教国(エチオピア正教会)へと変貌を遂げます。その偉大な宣教の最初の種は、エルサレムの迫害というマイナスの風によって、このようにして蒔かれたのでした。
さらに、福音の最前線が当時の「地の果て」であった大帝国ローマへと向かうプロセスも、使徒パウロたちの「完全な行き詰まり」から始まりました。『使徒の働き』16章を読むと、パウロがアジア(現在のトルコ西部)での伝道を熱望していたにもかかわらず、聖霊によって御言葉を語ることを「禁じられ」、イエスの御霊がそれを「許されなかった」と記されています。あらゆる扉が閉ざされ、途方に暮れていたその夜、パウロは「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願する一人のマケドニア人の幻を見るのです。人間の知恵や熱意だけでは前に進めなくなったその時、神ご自身が海を渡る新しい道を備えられました。こうして福音は初めてヨーロッパへと渡り、宣教の歴史は新たな時代を迎えます。これは、「西回り宣教」の始まりとなる歴史的な転換点でした。そして、この小さな一歩は、やがて世界の歴史を大きく動かしていきます。福音はローマ帝国全土へと力強く広がり、かつてキリスト者を激しく迫害したそのローマ帝国においてさえ、公に受け入れられるようになりました。人間には決して想像できなかった方法で、神は福音を前進させ、ご自身の救いの御計画を成し遂げていかれたのです。神の宣教のうねりは、この「西回り」の歩みだけにとどまりません。聖書には記されていませんが、その後の教会の歴史や古くからの伝承によれば、かつて主の復活を疑ったあの使徒トマスは、ペルシャを越えて「東回り」に宣教を進め、はるかインドの地にまで福音を携えたと伝えられています。特に南インドには、その伝承に由来するとされる「聖トマス教会」の長い歴史が受け継がれており、使徒トマスの宣教を起源とする教会共同体が今日に至るまで信仰を守り続けています。この伝承の歴史的な詳細については議論もありますが、少なくとも福音がごく初期の時代から西方だけでなく東方へも力強く広がっていったことを物語る、貴重な証しと言えるでしょう。
このように、人間の目に映る歴史の出来事とは、往々にして迫害や困難、あるいは人間の弱さゆえの対立や分裂といった、痛みを伴うマイナスの出来事です。日本のキリスト教の歴史がそうであったように、また私たちの地域教会が歩む道のりにおいても、時に閉塞感や試練、あるいは意見の不一致といった苦難は決して無縁なものではありません。しかし、神はまさにその破れや痛みのただ中にあって、結果的には人間の思惑を遥かに超え、御国の福音を前進させてこられました。もしこれが弟子たちの人間的な計画であったなら、彼らは「まずはエルサレムに長く留まり、組織を強固にし、資金や人材を十分に蓄えてから、周到なチームを組んでユダヤ、サマリア、そして全世界へと進出しよう」と考えたはずです。それが私たちの組織論であり、人間の知恵だからです。しかし、神の「時」は人間の計算とは異なっていました。神は教会に人間的な安住を許されず、むしろ「迫害」という過酷な現実を通して、彼らを強制的に外へと押し出されたのです。聖書は、彼らが「散らされた」と記しています。この「散らされる(ディアスポラ)」という言葉は、弟子たちにとっては不条理で悲劇的で受動的な出来事でした。しかし、それは神が全世界に福音の種を蒔くために、自らの手で弟子たちを「派遣させた」という、能動的な神の方法であったのです。私たちの人生の歩みにおいても、この「散らされる」ような経験をすることがあるのではないでしょうか。自分の望む場所に留まれず、予期せぬ異動や病、人間関係の破綻、あるいは家族の危機などによって、住み慣れたところから力ずくで追い遣られてしまうような経験です。願った通りの道を進めず、むしろ人生が後退し、孤立してしまったかのように思える暗闇の時が、私たちにはあります。しかし神は、ご自身が備えておられる最善の、そして最終的な救いの御計画を成し遂げるために、必要に応じて、あえて私たちを荒野の道へと導かれることがあります。その道は決して神に見放された道ではなく、むしろ神が私たちをより深い信仰へと導くために備えられた訓練の場です。神は私たちをただ現状のままにとどめておかれるお方ではありません。時には、慣れ親しんだ環境や価値観、頼りとしていたものが揺さぶられ、まるで古い器が砕かれるような経験を許されることがあります。しかし、それは私たちを打ち砕くことが目的ではなく、新しい器として造り変え、キリストに似た者へと成熟させるためです。『使徒の働き』において、エルサレムの教会が迫害によって各地へ散らされたように、神は私たちの人生においても、「散らされる」経験や思いがけない環境の変化を用いて、これまで見ることのできなかった新しい御業を始められます。神は試練を無意味な苦しみで終わらせることなく、それさえもご自身の救いの御計画の中に織り込み、私たちを新たな信仰の段階へと導いてくださるのです。今、この礼拝の席に、あるいは配信の画面の向こうに、まさに「マイナスとしか考えられない状況」の渦中に立ち尽くしている方がおられるかもしれません。「なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか」と、神の沈黙に涙している方がおられるでしょう。しかし、どうか覚えの内に留めてください。神があなたを今その場所に置かれているのには、必ず主の深い御心があります。サタンはあなたを滅ぼそうと迫害の風を吹かせたのかもしれませんが、神はその向かい風さえも、あなたを新しい地へと運ぶ「聖霊の追い風」へと変えることができるお方です。人間の計画が終わり、私たちが「散らされた」その場所こそが、神の新しい宣教と祝福の最前線となるのです。いま一度、人間の状況を超えて働かれる、神の壮大なご計画の御手に、私たちの思いを向けていただきたいと思います。
“散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。” 8:4-
“しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」” 使徒1:8
② 自分にはふさわしくないと思えることであっても
第二のポイントは、「自分には到底ふさわしくない、あるいは不可能だと思える状況や役割であっても、神はそのことを通して私たちを新しく造り変え、用いてくださる」ということです。エルサレムの初代教会に対する迫害は、当初、使徒たちなどの指導者層に向けられていたものでした。しかし、先週共に御言葉に耳を傾けた「執事ステパノの殉教」を契機に、事態は急速に深刻さを増し、迫害の矛先は使徒たちだけでなく、名もない一般の信徒たち、そして教会全体へと向けられるようになりました。信仰を告白する者であるというだけで、誰もが迫害の対象となる時代が始まったのです。本日お読みした8章3節にはこう記されています。「しかし、サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた」。のちの使徒パウロであるこのサウロは、教会を壊滅させようとする激しい執念に突き動かされ、信徒たちを徹底的に迫害しました。家から家へと押し入り、男女の別なく信じる者たちを引きずり出しては牢に送り、教会を根絶やしにしようと執念深く弾圧したのです。誕生したばかりの教会が、これほど苛烈な迫害や弾圧に直面したとき、弟子たちは一体どれほどの恐怖と苦悩を覚えたことでしょうか。私たちの想像を絶するものがあります。しかし、このとき教会を破壊する先頭に立っていたサウロ自身が、のちにキリストの愛に捉えられ、大宣教者パウロとなったとき、ローマの教会へ宛てた手紙にこのように書き記すことになります。
“だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。……しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、命も、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、低いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません” ローマ8:35, 37-39
歴史の事実は、まさにパウロが語った通りになりました。選ばれたばかりの信仰に満ちた執事ステパノが、次の瞬間には弁明の機会も与えられず、怒れる群衆の石打ちによって殉教していくのです。この不条理な現実に、残された他の執事や信徒たちの心は引き裂かれたに違いありません。しかし、どれほど激しい迫害が彼らに襲いかかろうとも、その苦しみが彼らの主イエス・キリストへの愛を断ち切ることはできませんでした。また、福音への信仰を消し去ることも、聖霊によって与えられた喜びと希望を奪い去ることもできなかったのです。むしろ試練の中でこそ、彼らの信仰はさらに精錬され、福音は教会の外へと力強く広がっていきました。だからこそ彼らは、着の身着のまま散らされるという過酷な逃避行の途上にあっても、行く先々で命の御言葉を語り、福音を宣べ伝えながら歩み続けました。それは世の常識から見れば、あまりにも不思議な光景でした。迫害され、逃げ惑う敗北者であるはずの彼らが、むしろ顔を輝かせて救い主を語っているのです。彼ら自身にとっても、内に働く聖霊の力なしには説明のつかない、驚くべき経験であったに違いありません。そうした「聖霊に変えられた人」の一人が、本日名前が登場する「ピリポ」です。ピリポは、殉教したステパノと共に、教会の食事の配給を公平に行うという「仕える働き(ディアコニア)」のために選ばれた7人の執事の一人でした。彼は元々、人々の前で説教をしたり、ましてや見知らぬ土地へ宣教に出かけたりするために立てられたわけではありませんでした。しかし、このピリポが8章5節において、「サマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた」のです。聖書はこれを「サマリアの町に下って行って宣べ伝えた」と、一見何気なく、いかにも簡単に書き記しています。しかし先ほど確認したように、ユダヤ人とサマリア人の間にある断絶の歴史を思うとき、これは単なる地域的な移動(地理的な拡大)を遥かに超えた、歴史的な大事件でした。宣教において、距離を移動すること以上に困難なのは、「民族の壁、文化の壁、心理的な嫌悪の壁」を乗り越えることです。ユダヤからサマリアへの一歩は、物理的な距離こそ近かったものの、人間的な感情や宗教的な自負からすれば、太平洋を渡るよりも深い隔たりがありました。「自分には食事の配給という裏方の仕事しかできない」と思っていたかもしれないピリポが、誰もが行くのを拒んだサマリアの地へ向かい、異文化の壁を打ち破って堂々とキリストを宣べ伝える存在へと変えられたのです。これこそが、聖霊なる神の力であり、人間の限界を突破させる神の御業にほかなりません。神は、私たちが「自分にはふさわしくない」と思うような場に私たちを立たせ、人間の常識の壁を打ち破る器へと、私たちを日々新しく造り変えてくださるのです。
実は、私たちの国の宣教の歩みにおいても、これとよく似た予想外の展開を経験しています。第二次世界大戦が終結した1945年当時、欧米の宣教団体や教会が熱い祈りをもって掲げた最大の目標は、日本ではなく「中国大陸」への宣教でした。広大な人口を抱える中国こそが、当時の世界宣教の最前線であり、多くの宣教師たちが大きな使命感を抱いて中国へと渡っていったのです。ところがわずか数年後の1949年、中華人民共和国が成立し、共産党政権が誕生すると状況は暗転します。政権はキリスト教に対して激しい弾圧を開始し、外国人宣教師の追放、中国人牧師の投獄、教会の財産没収や施設の閉鎖、そして公の礼拝の禁止を断行しました。中国の宣教の門は、人間的には完全に「閉ざされた」のです。しかし、神の計画はここで終わりませんでした。中国を追放された宣教師たちの多くが、次にどこへ向かったか。彼らは、戦後の焦土の中から立ち上がろうとしていた、この「日本」の地へと押し出されてきたのです。宣教師たちにとっては、当初の計画が挫折し、一時的な避難所として日本で門が開くのを待つような思いだったかもしれません。しかし、これこそが神の奇跡的な御手でした。最終的に「神が私をこの日本へと導いてくださった」という確かな召命を信じた多くの宣教師たちによって、戦後の日本の諸教会に豊かな福音がもたらされ、現代の私たちの土台が築かれたのです。もう一方で、大陸に残された中国人のキリスト者たちには、過酷な十字架の道が待っていました(ある人々は台湾へ逃れましたが)。共産党政権による凄惨な迫害の中で、地上の目に見える教会はすべて消え去ったかに思えました。しかし、彼らは地下へと潜り、一粒の麦、一粒の種となって命の信仰を継承し続けたのです。これがいわゆる「家の教会」の始まりです。人間の激しい弾圧を肥やしとするかのように、福音は地下で爆発的に増え広がり、今や中国は世界で最も多くのキリスト者を抱える国の一つとなりました。これらはすべて、人間の宣教計画や戦略を完全に超えた、神の主権的な御業です。私たちの人生や地域教会の歩みにおいても、まったく同じことが言えます。私たちの目には「最悪の行き詰まり」としか思えない暗闇の中で、神は私たちの想像を遥かに超える方法で、人生をさらに豊かにし、新たな成熟の段階へと引き上げてくださるのです。私たちは時として、目の前の障壁に絶望し、諦め、人や環境を恨み、時には神に向かって不満を漏らし、自分自身に失望してしまうことがあります。しかし、人間の終わりこそが、神の御業の始まりです。「門が閉ざされた」「もうマイナスだ」と絶望しているその瞬間こそ、神が新しい扉を開かれる最大のチャンスであるということを、私たちは後になって畏れと感謝をもって知るのです。私たちはなんと小さな世界に生き、目先の利害だけで一喜一憂していたのだろうと、やがて現される神のご計画の壮大さに、ただ圧倒される日が必ずやってきます。
さて、聖書の記述に戻ります。『使徒の働き』8章26節から、物語はさらなる驚くべき展開を迎えます。聖霊によってサマリアへと遣わされ、大いなるリバイバルを経験していたピリポに対し、主の御使いがこう命じました。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」(8章26節)。聖書はわざわざ、そこに「そこは荒野である」との注釈を添えています。「ガザ」―それは、今この瞬間も世界中が固唾をのんで見つめている、あの激動の地域です。エルサレムから地中海沿いのガザへと下るルートは、その先を進めばエジプト、そしてアフリカ大陸へと繋がっていく極めて重要な交易路でした。神は、大都市での華々しい宣教のただ中にいたピリポを、あえて人通りの少ない「荒野の道」へと呼び出されたのです。ピリポはその意図をすべて理解したわけではありませんでしたが、主の言葉に信頼し、「立って出かけました」。すると、そこにはエチオピアの女王に仕える最高幹部であり、全財産を管理する総理大臣のような地位にある、熱心な敬虔な宦官が馬車に乗って通りかかりました。
“さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。” 26-
エチオピアの宦官は、エルサレムへ礼拝に上った帰り道、手に入れたばかりの預言者イザヤの巻物を熱心に朗読していたのです。その時、29節にあるように、聖霊なる神がピリポに内なる促しを与えられます。「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい。」ピリポは御霊の声に即座に応え、馬車へと走っていきました。考えてみてください。ピリポは本来、エルサレム教会の「食卓の配給に仕えるために選ばれた7人の執事」の一人です。高度な神学論争をする学者でも、異国の高官に堂々とアプローチする外交官でもありません。「私はただの裏方の執事ですから、そんな大役は不相応です」と断る正当な理由はいくらでもありました。しかし、神は、私たちが自分で決めた役割の枠や、人間の能力の限界を遥かに超えて、御心のために私たちをダイナミックに用いられるお方なのです。ピリポは馬車に寄り添い、思い切って尋ねました。「あなたは、読んでいることが分かりますか」。人間の知恵からすれば、おこがましい質問のようですが、これこそ聖霊がお膳立てされた対話の瞬間でした。高官は答えます。「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」。そして、馬車に上がって一緒に座るよう、ピリポに懇願したのです。こうして、荒野の馬車の上で、一人の執事の手によってアフリカ大陸へと繋がる救いの扉が開かれました。ここで最も大切なことは、ピリポに特別な伝道の能力があったか、卓越した話術の賜物があったかということではありません。今、私たちの教会でも「執事の働き」について深く分かち合っていますが、真の執事の姿がまさにここに凝縮されています。執事の条件として聖書が求めるのは、知識やスキルではなく「知恵と聖霊に満ちていること(使徒6章3節)」です。そしてその御霊の満たしとは、具体的には「徹底的な主への従順」として現れます。「行け」と言われたら、理由が分からなくても立ち上がり、「近寄れ」と言われたら、身分の高い相手であっても走り寄り、「馬車に乗れ」と言われたら、共に腰を下ろす。ただ神の促しに一歩を踏み出す時、神が必要な知恵、必要な御言葉、必要な信仰を、その場でその人に溢れるばかりに満たしてくださるのです。「助けて」と叫ぶ人の声が聞こえるなら、自分の無力を言い訳にせず、そこへ出て行く。「教えて」と乞われるなら、自分が未熟であっても、主を信頼して寄り添い、同じ馬車に乗り込んでいく。私たちが自分の小さな枠を捨て、聖霊の微かな促しに「はい、主よ」と応答していく時、私たちの生涯は、神のあふれる大いなる御業の舞台へと変えられていくのです。
“御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。” 29-
③ 「だれかのためにいる」ことを大切にしよう
最後の第三のポイントは、「私たちはみな、誰かのために生かされているのか」ということです。旧約聖書の時代には、王や預言者、祭司といった神に特別に選ばれた一部の人だけに神の霊が注がれ、彼らが神の言葉を代弁していました。しかし、主イエスが約束され、ペンテコステの日に成就した「聖霊の時代」はそれとは全く異なります。預言者ヨエルが「すべての人にわたしの霊を注ぐ」と語った通り、今やイエス・キリストを主と告白する私たち一人ひとりの内に、聖霊なる神が住んでくださっているのです。したがって、私たちは誰一人例外なく、キリストの証人としての尊いアイデンティティを与えられ、この地上に生かされています。今日読んだピリポの姿は、特別な英雄の物語ではなく、キリストの証人として生きる「すべての信徒」の具体的な実践の姿なのです。私たちがキリスト者になるということは、何か特別な人間になることではありません。神秘的である必要も、完全無欠である必要も、他人を圧倒するような説得力を持つ必要もありません。むしろ、不完全で傷だらけの私たち一人ひとりが、そのまま神の慈愛に満ちた御手の中に置かれ、「私は、いま目の前にいるこの人のために存在しているのだ」という生き方へと方向転換していくこと、すなわち、「隣人のために生きる存在」へと新しくされることこそが、神が本来デザインされた「人間本来の美しい姿」なのだと聖書は教えています。
最後に、私たちが注目すべき重要な事実があります。それは、『使徒の働き』の著者であるルカが、あえて十二使徒ではなく、ステパノやピリポといった「執事(仕える者)」の職制にあった信徒の指導者たちを、これほどまでにクローズアップして記録に残しているという点です。もちろん、ペテロをはじめとする十二使徒たちも教会の中心的・基礎的な働きを担っていました。しかしルカはあえて、私たちと同じ目線に立つ「信徒」の姿をここに力強く書き記したのです。ピリポたちが大胆に伝道をしていたこの黎明期には、現代のような組織化された「牧師」という職制はまだ存在していませんでした。十二使徒も含めて、主に従う者はみな等しく「弟子」と呼ばれていた時代です。その中で彼らは、自分が教会の中でどういう職制にあり、どういう肩書きを持っているかということ以上に、「このイエス・キリストの十字架と復活の福音を、自分の全存在を通して証ししたい」「自分がいただいた福音の祝福を、まだ知らない誰かのために分かち合いたい」という熱い願いだけで一つになっていたのです。主イエスが語られた「全世界に出て行って、すべての国の人々を弟子としなさい」という大宣教命令は、特別な宣教師や教職者だけに与えられた命令ではありません。今、それぞれの生活の場―ある人にとっては毎日の職場であり、ある人にとっては家庭であり、学校であり、自分が今暮らしている地域社会など―その固有の場所こそが、神によって一人ひとりがピンポイントで「遣わされた宣教の地」なのです。この物語の結びで、ピリポはエチオピアの宦官から願い出られて、彼に「バプテスマ(洗礼)」を授けました。当時のユダヤ的・組織的な常識から見れば、使徒ではない一人の信徒が洗礼を授けるなどということは考えられなかったかもしれません。しかしピリポは、主イエスの大宣教命令にある「行って……父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授けなさい」という御言葉を、他ならぬ「自分自身に対する委託」として、重みをもって受け止めていたのです。
私たちは今、この21世紀の混迷する時代にあって、教会の秩序と健全性を保つために、歴史のなかで育まれてきた伝統的な「職制」というシステムを大切にしています。それは神が教会に与えられた尊い秩序です。しかし同時に、私たちはこの制度的なあり方の「最も深い土台」にある主イエスの大宣教命令を、何よりも堅く心に留めておく必要があります。制度は宣教のためにあるのであって、宣教が制度に縛られてはならないからです。以前にも少しお話ししましたが、私たちは決して「そんな時代」を望んではいませんし、そうならないように祈り続けなければなりません。しかし万が一、私たちの国において「信仰の自由」が保障されなくなり、公の礼拝が禁じられ、私たち牧師が捕らえられて拘束されるような事態が起こるとするならば、その時、教会はどうなるでしょうか。牧師が不在になったからといって、キリストの体が滅びることは絶対にありません。なぜなら、これまで牧師という器が委ねられて担ってきた御言葉の宣言と聖礼典の務めを、教会の皆さん一人ひとりが、皆で分かち合い、引き継いでいかなければならないからです。200年前の江戸時代の激しいキリシタン弾圧のように、また80年前の第二次世界大戦中の国家による教会統制のように、そのような暗黒の時代が、これからも絶対に起こらないとは言い切れない不穏な時代を、私たちは生きています。もしも、私が牧師としての務めを果たせなくなる日が来るならば、その時は、あの荒野の道で、使徒ではない一人の信徒でありながら高官に洗礼を授けたピリポのように、皆さんが互いに、そして新しく救われた人々に洗礼(バプテスマ)を授けなければなりません。もちろん、私たちが現実にそのような極限状態に直面するかどうかは分かりません。しかし大切なのは、私たちが今から「そのような信仰の覚悟と備え」を内に秘めて歩んでいるか、ということです。建物があり、牧師がいて、プログラムが整っている時だけ機能する教会ではなく、それらすべてが剥ぎ取られたとしても、なお生き続ける「真の教会」としてのアイデンティティが、私たち一人ひとりの内に眠っているのです。聖霊なる神が私たちに語りかけ、押し出される時、私たちはある時にはステパノのように、自らの命を懸けて信仰の証しを立てることもあるでしょう。またある時にはピリポのように、人間の常識や恐れを乗り越えて、福音を語るために喜びをもって我が身を差し出していくこともあるでしょう。私たちはそのようにして、ただ目に見える地上の組織に仕えるのではなく、生ける神に仕え、そして神の愛を届けるために人々の間に生かされている者なのです。私たちは、お互いのために存在しています。それは、相手がキリスト者であるか、そうでないかという境界線をも遥かに超えていくものです。「私たちの味方だから愛する」のではない。神によって、この社会のすべての人を愛し、互いに支え合う者として、私たちは今、この時代、この地域へと具体的に派遣され、生かされているのです。
創立68周年という大いなる節目を迎え、キリストの誕生から2000年という壮大な救済史のうねりの中に置かれている私たちです。どのような時代が来ようとも、私たちはキリストの愛から引き離されることはありません。この揺るぎない心構えと聖霊の備えを共に分かち合いながら、主が来られるその日まで、心を一つにして力強く歩んでまいりたいと願っています。
“するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。” 31
“しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。” ローマ10:14
“わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。”ヨハネ15:12-
Author: Paulsletter
