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「信仰と聖霊に満ちた人」

2026 6/29
メッセージを読む
2026年6月28日2026年6月29日

6月28日メッセージ
小平牧生牧師
「信仰と聖霊に満ちた人」
(教会創立記念日礼拝)
使徒の働き7章54~60節

 本日は、教会創立記念礼拝です。私たちの教会は、今から68年前の1958年6月29日に、西宮市上ケ原の山本さん宅で最初の礼拝が捧げられました。家の一室で始まった小さな祈りの群れを、主なる神は今日に至るまで、絶やすことなくその豊かな御手の中で守り、導いてくださいました。この地で紡がれてきた68年の歴史のすべては、主の真実と恵みの証しにほかなりません。教会とは、建物ではなく「キリストを主と告白する人々の集まり(エクレシア)」です。68年前に上ケ原の地で始まった歩みは、2000年前にエルサレムで始まった初代教会の歩みと、聖霊の確かな一本の糸でつながっています。そこで今朝は、私たちの教会がこれまで受けてきた恵みを振り返り、またこれからの未来へと歩み出すにあたり、初代教会の信仰の先達である「ステパノ」という一人の人物に焦点を当てて、神のみことばを味わいたいと思います。

 ステパノは初代教会のメンバーであり、『使徒の働き』第6章において、教会の「食事の分配」という具体的な必要に仕えるために選ばれた七人のうちの一人でした。当時、言語と文化の違い(ギリシア語を話すユダヤ人とヘブル語を話すユダヤ人の対立)によって、十分な配慮を受けることができなかった「やもめたち」を公平にサポートするために、彼はこの任務に任命されたのです。彼らのように、教会の実務や運営に仕える働きは、後に教会の歴史の中で「執事」と呼ばれる職制へとつながっていきます。このステパノは、いわゆるイエス・キリストの直弟子である「十二使徒」ではありません。聖書の中で彼の名前が直接登場するのは、使徒の働きの第6章と第7章のわずか2つの章に限定されています。しかし、彼は教会の歴史における「最初の殉教者」として、聖書にその名を深く刻むことになりました。使徒の働きを記したルカは、ステパノに対して並々ならぬ敬意を抱いていましたが、それはルカ個人の感情にとどまらず、当時の教会全体の共通した認識であったことが、前後の記述から伝わってきます。なぜなら、ルカがステパノを登場させる時、単に「ステパノ」と名前だけを呼ぶのではなく、必ずその前に「信仰と聖霊に満ちた人」(6章5節)、「恵みと御力に満ちた人」(6章8節)、あるいは「聖霊に満たされている人」(7章55節)という、最大級の霊的な賛辞を付け加えているからです。「信仰と聖霊に満ちた姿」こそが、ステパノという信仰者の本質を現していました。それでは、聖書が語る「信仰と聖霊に満ちた人」とは、一体どのような人を指すのでしょうか。私たちが誤解してはならないのは、「聖霊に満たされる」とは、人間の感情の高まりや、目に見える成果、あるいは霊的な「インジケーター」の針が動いて、「聖霊100%」「今は空っぽ」といったように、視覚的・量的に測れるものではないということです。聖霊を人間がコントロールできる「エネルギー」や「超自然的な力」のように考えるのは、人間が作り出した誤った宗教観にほかなりません。神学的に言えば、聖霊は単なる「力」ではなく、「聖霊なる神」、すなわち三位一体の神の第三位格です。したがって、聖霊に満たされるとは、人間が聖霊をどれだけ保有しているかではなく、人間がどれだけ聖霊なる神によって支配され、その導きに身を委ねているかという関係性を意味します。ステパノがまさにそうであったように、聖霊に満ちた人とは、神の主権に完全に身を委ねている人です。だからこそ彼は、食卓の分配という日々の地道な奉仕(6章)においても、命がけで真理を語る説教の場(7章)においても、さらには命を奪われる殉教の瞬間においてさえ、一貫してキリストの愛と品性を現すことができたのです。

 現在、西宮チャペルでは、これまでチャペルのリーダーシップを担ってきた「執事」という職制のあり方について、これからの教会の歩みを見据えながら、どのように用いていくべきかを祈り、話し合い、慎重に検討を重ねているところであります。そしてこの課題は、単に西宮チャペル内だけにとどまらず、ニューコミュニティ全体としてもこれからの教会のリーダーシップのあり方を考える上で、ぜひ共有していただきたい共通の祈りの課題であると考えています。

 聖書の歴史を振り返ると、神はいつの時代にも、その時代の状況や文化、また教会の必要に応じて、最もふさわしいリーダーを立て、ご自分の民を導いてこられました。初代エルサレム教会でも、信徒の数が爆発的に増えるという状況の変化の中で、やもめたちへの食事の分配をめぐる実際的な問題が生じました。そのとき使徒たちは、「神のことばを後回しにして、食卓の分配に仕えるのはよくない」と判断し、自分たちは「祈りとみことばの奉仕に専念する」ため、実務を担う七人のリーダーを選び、任命したのです。この出来事は、後の教会における、祈りとみことばの奉仕に仕える牧師と、教会の働きや運営を支える執事という、それぞれの役割が協力し合う働きの原型となりました。もちろん、リーダーシップを担う人々の働きは一人ひとり異なります。年齢や性別も違えば、神から与えられた賜物や経験もそれぞれ異なっています。しかし、聖書がすべてのリーダー、さらに言えば主に仕えるすべての人に共通して求めている絶対的な資質があります。それこそ、ステパノの名に冠のように添えられている、「信仰と聖霊に満ちている」という姿です。教会の働きは、人間の組織論やマネジメントだけで成り立つものではありません。すべての奉仕は、信仰と聖霊によって初めて神のみこころにかなうものとなるからです。もちろん、その人が培ってきた能力や経験、そして主への情熱は、神の国のために大いに用いられます。しかし神学的に言えば、どれほど優れた能力や豊かな経験であっても、それが聖霊の統治のもとに置かれていなければ、人間の自己満足や肉の誇りへと変わり、時には教会そのものを傷つける働きにさえなり得るのです。それでは、私たちが目指すべき「信仰と聖霊に満ちる」とは、一体どのような状態を指すのでしょうか。これこそ、今朝の創立記念礼拝において、私たちが共に受け取りたい中心的なテーマです。その真の姿を、ステパノの歩みを通して、共にみことばから学んでまいりましょう。

目次

① 困難や苦しみの中にあって

 第1のポイントは、「信仰と聖霊に満たされる」ということは、地上の苦難を免れる「特別な人間」になるわけではない、ということです。ステパノは確かに「信仰と聖霊に満たされていた」と聖書に高く評価されていますが、だからといって、彼が人生の困難や理不尽な苦しみをまったく経験しなかったかというと、決してそうではありません。私たちと同じように、あるいはそれ以上に、彼は激しい困難の渦中に置かれ続けました。彼が聖霊に満ちていたからといって、神が彼だけを特別扱いし、危険や苦痛を魔法のように回避させてくださったわけではないのです。

 『使徒の働き』第7章は、全60節に及ぶ新約聖書の中でも屈指の長い章です。これは、教会史上最初の殉教者となったステパノの命がけの説教であり、同時に彼の生涯最大の「証し」でもありました。彼は2節から53節にかけて、イスラエル民族の父アブラハムから始まり、ヨセフ、モーセ、そしてダビデやソロモンに至るまでの救済史(神による救いの歴史)を語り始めます。しかし、これは単なる歴史の要約ではありません。ステパノはこの長い説教を通して、「神は常に忠実に先達を遣わしてご自分の民を導こうとされたのに、頑なな民はいつも神の警告を拒み、預言者や救い主を迫害し続けてきた」という一つの痛烈なテーマを論証していったのです。その直言を聞いた最高法院(サンヘドリン)の宗教指導者たちは、激しい怒りに「はらわたが煮え返り、ステパノに向かって歯ぎしりした」と聖書は生々しく記しています。人々は理性を失って大声で叫び、耳を覆いながら一斉に彼に襲いかかり、町の外に引きずり出して、彼を石で打ち殺したのです。さらに、ステパノが命を落としたことで事態が好転したわけでもありません。彼の殉教をきっかけとして、エルサレムの教会に対する激しい迫害が全土に燃え広がり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方へと散らされていきました。ここから私たちが受け取るべき神学的な真実は、「信仰と聖霊に満たされている」からといって、私たちの周囲に都合よく奇跡が起こり、すべての危険や困難から自動的に守られるわけではないということです。

 聖書はここで、もう一つの象徴的な現実を私たちに突きつけています。殉教の現場には、上着の番をしながらステパノの殺害に全面的に賛同していた一人の青年がいました。後に大宣教者となるサウロ(パウロ)です。もしこれが人間の作り上げた劇的なサクセスストーリーであれば、ステパノの聖霊に満ちた死に様を目の当たりにしたサウロが、その場で激しく悔い改め、回心する、という展開になっていたでしょう。しかし、聖書が記す現実はまったく異なります。サウロはステパノの死に心を打たれるどころか、なおも教会を荒らし、家々に押し入り、男女を問わず引き出しては牢に送り続けました。さらに、主の弟子たちに対する脅迫と殺害の意気に燃え、遠く離れたダマスコにまで迫害の手を伸ばそうとしていたのです。ステパノの殉教の瞬間、周囲には「目に見える大逆転の奇跡」も、敵の悔い改めも何一つ起こりませんでした。では、「信仰と聖霊に満たされている」ことの真価はどこに現れるのでしょうか。それは、環境が好転することではなく、むしろ絶望的で不条理な状況のただ中にあっても、なおキリストのように生き、キリストのように愛することができるか、というその内なる品性の現れにこそあります。

“人々はこれを聞いて、はらわたが煮えくり返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりをして いた。”54

“人々は…一斉にステパノに向かって殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石を投げつ けた。” 57-58

② 主を見上げ、主に委ねて

 第2のポイントは、「主を見上げ、すべてを主に委ねる」ということです。最高法院(サンヘドリン)の敵意が最高潮に達したその時、ステパノの姿は第7章55節にこう記されています。「しかし、聖霊に満たされたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た。」聖霊に満たされたステパノは、怒りと殺意に四方八方を囲まれていながらも、状況の恐ろしさに支配されるのではなく、聖霊に完全に支配されていました。彼は自分を非難し、断罪しようとする地上の敵対者たちを見る代わりに、天をじっと見つめていたのです。そしてそこで、彼は「神の右に立っておられるイエス・キリスト」を見たのです。ここで神学的に極めて重要なのは、イエスが「座っておられる」のではなく、「立っておられる」と記されている点です。聖書の他の箇所では、主イエスはすべての贖いの業を終えて、天の父なる神の右の座に「着座された」と描写されていますが、ここでは、殉教の瞬間、主イエスは立ち上がっておられます。それは、地上の法廷で不当に有罪とされ、石を投げつけられている最愛の僕(しもべ)ステパノを、天の法廷の最高判事である主ご自身が「私はあなたを認める」と立ち上がって弁護し、また最初の殉教者を「よくやった」と両手を広げて温かく迎えようとしておられる姿にほかなりません。私たちは、全く同じ状況の中に置かれていても、その人の霊的な状態によって「見え方」や「見えるもの」が異なります。ある人にとっては、四方八方が塞がれ、絶望の暗闇しか見えない状況かもしれません。そこからは不平や不満の言葉しか出てこないでしょう。しかし、聖霊に満たされている人の霊の目には、まさにその同じ苦難のただ中に天が開かれ、自分を支え、とりなしてくださるイエス・キリストの栄光が見えるのです。そして、その心からは不条理をも超える賛美と感謝が自然と湧き上がってくるのです。

 何がこの決定的な違いを生み出すのでしょうか。環境が変わることではありません。変わるのは、私たちの「霊的な視点」です。私たちの内には、キリストを信じたその日から、聖霊なる神が住んでおられます。このお方を崇め、その統治に身を委ねる時、私たちの霊の目は開かれ、閉ざされた地上の現実の向こう側にある、天の現実を見ることができるのです。私たちの人生の歩み、そして教会の歩みも全く同じです。とりわけ今月、私たちの西宮チャペル、またニューコミュニティの家族からは、主にある愛する大切な兄弟姉妹たちが相次いで天へと召されていきました。地上の肉体の目で見れば、そこにあるのは目前に迫る死の宣告であり、愛する者を失うという悲痛な死の現実です。しかし、私たちが信仰と聖霊に満たされて歩む時、私たちはその死の現実の「向こう側」にあるものを見ることができます。それは、地上での闘いを終えた愛する者たちを、今まさに立ち上がって、温かく抱きとめて迎えてくださっているイエス・キリストの御姿であり、残された私たちをも力強く支え、守ってくださっている神の真実です。これこそが、信仰と聖霊によって生きる人間の確信です。ステパノは、投げつけられる石の激痛の中で、「なぜ私がこんな目に遭うのですか」とも「この苦難から助けてください」とも言いませんでした。彼が最期に語った2つの言葉は、私たちの信仰の本質を指し示しています。59節で、彼は「主イエスよ、私の霊をお受けください」と祈りました。「主を呼び求めて」とあるように、彼は自らの意思で、命の主権者であるキリストに自分自身を完全に明け渡したのです。投げ飛んでくる石から肉体が守られること以上に、自分の全存在(霊)を神の御手に委ねることこそが、永遠の、そして完全な守りであることを彼は知っていたからです。そして60節、命が消えゆく極限の苦痛の中で、彼は膝を屈し、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫びました。これは、かつて十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と祈られた、主イエス・キリストの姿そのものです。環境がどれほど過酷であっても、ステパノの内側にあるキリストの命は、決して損なわれることはありませんでした。自分を殺そうとする者のためにさえ、引き裂かれるような大声で赦しを執り成し祈る、この圧倒的な愛の現実こそが、聖霊に満たされた者が放つ、本物のキリスト者の姿なのです。自分の霊を神に完全に委ねた者だけが、自分を傷つける者を心から赦し、祝福することができます。

 今、私たちの教会には、様々な働きや次の一歩に向けた話し合いがあります。先ほど申し上げたように、「執事」という職制をこれからどうしていくべきかという課題は、それぞれのチャペルが真剣に向き合っている現実的な問いです。しかし、私たちが何よりも忘れてはならない最も大切な優先順位があります。それは、私たちが執事という職務に就いているかどうかにかかわらず、私たち一人ひとりが、まず日々の生活において「信仰と聖霊によって生きる」ということです。どんな時も、状況ではなく天を見上げて生きること。そして、自分の人生の主権を完全に神の御手に委ねて生きること。これこそが、2000年前のステパノから現代の私たちへと受け継がれているキリスト者の真の姿であり、創立68周年を迎えた私たちの教会が、これからニューコミュニティ全体と共に一歩一歩目指していくべき、光に満ちた信仰のゴールなのです。

“しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立って おられるイエスを見て、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。” 55-56

“こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエ スよ、私の霊をお受けください。」” 59

③ 信仰と聖霊によって

 本日の説教題に掲げました「信仰と聖霊に満ちた人」という言葉を聞くと、私たちはどうしても、自分とはかけ離れた「特別な聖人」の姿を思い浮かべてしまいがちです。しかし聖書を注意深く読むとき、信仰と聖霊に満たされて生きるということは、決して一部の特別な人だけに許された特権ではないことに気づかされます。牧師であっても、一人ひとりの信徒であっても、信仰の年長者であっても、これからの教会を担う若い世代であっても、私たちがイエス・キリストを信じ、聖霊によって「新しく生まれた者」として日々を生きる姿、そのキリスト者の基本的なあり方そのものこそが、「信仰と聖霊に満たされて生きる」という姿にほかなりません。これは、私たちの努力の対価ではなく、神の圧倒的な恵みによってすでに与えられている、キリスト者の本来のアイデンティティなのです。私たちは、自分の意志でキリストを信じ、自分の力でキリスト者として生きていると思いがちです。しかし聖書的な真実は逆です。私たちは、人間の側から神を選んだのではなく、聖霊の働きによって霊的に新しく生まれ変わらせていただいたのです。今、聖霊なる神が私たちの内に住んで(内住して)おられます。ですから、私たちは自分自身の正しさや、自分のうちにある律法によって生きているのではありません。ただ、イエス・キリストにある信仰(神の真実)が、私たちの全人生を背後から支え、前へと導いているのです。

 昨日、私たちの教会では「祈りを学ぶ」という成人分級がオンラインで行われました。このような学びの機会には、ぜひいつでも、どなたからでも積極的に参加していただきたいと願っていますが、その学びの中でも分かち合ったように、私たちの人生というものは、常に「先が見えないもの」です。神学的に言えば、信仰の歩みとは、地上の先の見えない不安や、自分では想定していなかった過酷な現実を、人生から綺麗に消し去ることではありません。私たちが信仰を持つということは、何か目に見える保証や、世的な確かさを手に入れて不安を打ち消すことではないのです。むしろ信仰とは、「そのような先が見えない不安や恐れをも、イエス・キリストの十字架と復活の恵みのうちにすべて受け止めて、主と共にその現実のただ中を歩み続けていくこと」にあります。しかし、そのように先が見えない世界にあってなお、私たちの内には、聖霊によって「神に対する絶対的な信頼」という賜物が与えられています。私たちは、日々直面する暗闇の中で、一歩先が見えなくても「それでも神は正しい。神に従う」という小さな信頼の決断を、毎日、毎週、地道に積み重ねていくのです。その従順の積み重ねによってのみ、私たちの内にある神への信頼は、試練を経て本物へと練られ、さらに豊かなものへと成熟していきます。

 教会創立68周年を迎えた今日、私たちはこの地で紡がれてきた68年の歴史の重みを噛み締めています。振り返れば、私たちの先輩方も、そして私たち自身も、常に先が見えない時代を生きてきました。しかし、この68年の歩みの中で、私たちは困難な時も、痛みの時も、常に主によって奇跡的に導かれ、主に信頼する経験を一つひとつ積み重ねてきたのではないでしょうか。いま、信仰の旅路の「先」を歩んでいる私たちが、これから次の世代の若者たち、子どもたちへと遺していくべき最も価値ある財産とは何でしょうか。それは、目に見える教会の建物でも、人間的な伝統でもありません。先の見えない暗闇の時代の中で、それでも「神は真実であった」と主を信頼し、祈り、従ってきた、私たちが積み重ねてきた小さな信仰の足跡、いわば「信頼の霊的貯蓄」にほかなりません。「先は見えない。しかし、主が共におられるから大丈夫だ」と確信して、私たちは今日も主を見上げ、主に信頼して一歩を踏み出す。そのような私たちの信頼の姿こそが、次の世代の人たちに私たちが命がけで繋いでいくべき、生きた信仰のバトンなのです。「信仰と聖霊によって生きる」。それは、私たちキリスト者の最も基本的で、最も力強い生き方です。神を心から信頼し、そして私たちのうちに宿っておられる聖霊なる神を最高の主として崇め、従いながら、このニューコミュニティ全体の家族と共に、輝かしい次の1年へと、信仰の一歩を踏み出してまいりましょう。

“イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」…肉によって生まれた者は肉です。御霊によって 生まれた者は霊です。” ヨハネ3:3,6

Author: Paulsletter

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