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「ともに主の教えによって成長しよう」

2026 6/22
メッセージを読む
2026年6月21日2026年6月22日

6月21日メッセージ
小平牧生牧師
「ともに主の教えによって成長しよう」
エペソ人への手紙6章1~4節

 今日は父の日です。父の日は今日では世界中で祝われていますが、その起源は、一人の娘が父親への感謝を表したいと願ったことから始まりました。ソノラ・スマート・ドッドは、アメリカのワシントン州スポケーンに住んでいた女性でした。彼女の父は南北戦争の退役軍人で、妻を亡くした後、6人の子どもを男手一つで育て上げました。1909年、教会で母の日の説教を聞いたソノラは、「母の日があるなら、父に感謝する日もあるべきではないか」と考えました。彼女は牧師や地域の人々に働きかけ、父親をたたえる日を設ける運動を始めました。これが父の日誕生のきっかけとなったのです。

 私たちにとって、家族の在り方や、置かれている家族の状況は多様です。温かい家族に囲まれて過ごす方もおられれば、一人孤独の中に身を置く方もおられるでしょう。しかし、確かなことは、創造主なる神が、私たちがこの地上に命を受けるにあたり、父と母を与えてくださったということです。「神のかたち」に造られた私たちは、この最初の共同体を通して、愛されることや愛することを学び、人生の喜びや悲しみを分かち合います。もちろん、聖書が示す通り、最初の人間以来、すべての人は罪の性質を持っており、地上の父も母もまた、不完全で弱い存在です。時には家庭の現実の中で傷つき、深い欠けや痛みを覚えることもあります。しかし、私たちの天の父なる神は、そのような弱く、欠けのある私たち一人ひとりをそのままに愛し、傷を癒やしてくださいます。そして、血縁や環境の限界を超えて、互いに主の愛で励まし、支え合う「神の家族」として、キリストの体なる教会を与えてくださっているのです。

 今朝与えられたエペソ人への手紙6章の御言葉に思いを巡らしながら、先月の「母の日」に続き、本日は「父」という存在に心を向けたいと思います。エペソ6章では、子どもに対する教えと父親に対する教えとが対になって語られています。ここに示されている大切な前提は、父という存在は単独で成り立つのではなく、子どもがいて初めて「父」となり得るということです。同様に、子どももまた親なしには存在しません。父と子は、互いの存在を前提とする「関係性」の中に置かれているのです。聖書を読むとき、私たちは、神が人間を孤立した存在としてではなく、このような「互いの関係性の中に生きるもの」として創造されたことを、しっかりと受け止める必要があります。親子の関係は、神が人間に与えられた最も基礎的な関係の一つなのです。

目次

① 助け⼿の必要な存在として、助け⼿として

 神が天と地を創造し、「神のかたち」として人を造られたとき、その創造の御業に対して、神ご自身が「それは非常に良かった」と評価されました。しかし、その完全な創造の過程の中で、神が唯一「良くない」と言われたことがありました。それは、「人がひとりでいること」(創世記2:18)だったのです。そのため神は、人のために「ふさわしい助け手」を造られました。「神のかたち」として造られたということは、人が神との決して断ち切ることのできない交わりの中に生きる尊い存在であり、また神に代わってこの世界を治める責任を与えられた存在であることを意味します。しかし同時に、人はその存在の根源において、「助け手を必要とする者」として造られたということも、極めて重要な真理です。注目すべきことは、神が助け手を造られた理由が、「人間が罪を犯す存在だから」ではなかったということです。人間が罪を犯して堕落する前、まだ何の問題も生じていない清らかな状態の人をご覧になって、神は「助け手が必要だ」と言われたのです。ですから、私たちの中に、助け手を必要としない人は一人としていません。そしてそれは同時に、私たち自身もまた「誰かの助け手」として存在していることを意味しています。すべての人は、助け手を必要とする存在であると同時に、互いに助け合う存在として神によって造られたのです。人は一人では完成せず、他者との豊かな交わりの中でこそ、その人らしく生きることができます。神は私たちを、そのような愛と支え合いの関係の中に生きる者として創造されたのです。

 その「助け手」としての具体的なあらわれこそが、地上の父や母であり、時には友人や仲間なのです。私たちはどのような立場にあっても、誰かの助け手であると同時に、他者の助けを必要とする存在です。創世記2章18節に登場する「助け手」という言葉は、聖書の人間観と神観を理解する上で非常に重要な鍵となっています。ここで「助け手」と訳されているヘブル語は「エーゼル」です。この語は、現代日本語の「助手」や「補佐役」といった弱い意味ではありません。むしろ「他者の窮地を救う力ある援助者」という、非常に力強い意味を持っています。実際、旧約聖書において「エーゼル」という語の多くは、人間ではなく神ご自身を指して用いられています。例えば、詩篇には次のような御言葉があります。「私の助け(エーゼル)は、天地を造られた主から来る」(詩篇121:2)、「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け(エーゼル)」(詩篇46:1)。つまり、聖書が語る究極の「助け手(エーゼル)」とは、天地の造り主である神ご自身なのです。神が最初の人間アダムにエバを与えられたとき、人が互いに支え合い、助け合って生きるようにと定められました。言い換えれば、「あなたがたも互いにとって力ある助け手となりなさい」という神の御心が、そこに示されているのです。私たちは一人では生きていくことができません。窮地に陥ったとき、私たちは天を仰ぎ、究極の助け手である神を求めます。同時に神は、私たちの身近に父や母、友人や仲間といった「助け手」を備え、ご自身の愛の御手を差し伸べてくださいます。私たちは、このような神の大いなる愛と交わりの中に生かされているのです。

 神は私たちを助けてくださるお方です。しかし、その助けはどのような形で与えられるのでしょうか。それは、神が私たちに備えてくださった共同体の交わりを通して、具体的な助け手を送ってくださるということです。私たちは互いに助け手となり合うことを通して、神ご自身の生きた助けを経験するのです。その助け手として選ばれたのは、他のどの被造物でもなく、同じ人間でした。この事実は、単に男性と女性という性別の違いや、夫婦という枠組みを超えて、人間という存在の本質を示しています。父は子を助ける存在であると同時に、子によって助けられる存在でもあります。私自身の歩みを振り返っても、それは大きな方向転換の連続でした。牧師になった当初、私は「信徒を助け、世話をし、教え導くこと」こそが自らの使命であると強く信じており、そのように教育も受けてきました。そのため、「自分が誰かに助けられる」という視点はほとんど持っていなかったのです。しかし主が私に示されたのは、むしろ私自身が多くの信徒の皆さんに助けられ、教えられ、励まされているという現実でした。その事実は、私の思い込みを打ち砕き、牧会に対する考え方を大きく変えていきました。私たちが目指すべきなのは、誰かが一方的に「与え」、誰かがただ「受け取る」だけの関係ではありません。互いに助け、助けられるという双方向の交わりです。それは教会においても、家庭においても変わることのない原則なのです。

 そのことを私に決定的に教えた、もう一つの経験があります。それは、阪神・淡路大震災を通して学んだことでした。震災直後、私は「被害に遭われた地域の人々を支援すること」こそが、教会の果たすべき責任であり使命であると考えていました。しかし、被災された方々と寝食を共にし、生活を共にする中で、私の内側に大きな変化が起こりました。それまで当然のように抱いていた「支援する側」と「支援される側」という立場意識が、かえって人と人との関係を傷つけ、見えない壁を生み出してしまうことに気づかされたのです。そこで主が示してくださったのは、上から手を差し伸べることではなく、同じ被災者として同じ地平に立ち、互いに支え合う交わりでした。苦しみのただ中で何よりも大切なのは、一方的な支援という壁を取り払い、「共に苦しむ者」として生きることだったのです。そこにこそ、神が創造の初めから意図された「助け手(エーゼル)」としての人間の姿があるのではないでしょうか。

“「また、神である主は言われた。『人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、 ふさわしい助け手を造ろう。』」” 創世記2ː18

“神は われらの避け所 また力。苦しむとき そこにある強き助け ” 詩篇46:1

② 神の作品として造り続けられる私たち

 私たちは「神の作品」として造られ、また今もなお「造り続けられている存在」であることを、深く心に刻みたいと思います。エペソ人への手紙2章10節にはこう記されています。

“私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたので す。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださっ たのです。」エペソ2:10

 子どもは親の作品ではありません。私たち一人ひとりが、神の最高傑作なのです。神は人間を「神のかたち」として造り、互いに「助け手」とされました。神はご自身の尊い御業を、私たち人間を用いて成し遂げようとされます。そのために私たちを召し、必要に応じて訓練し、整えてくださるのです。私たちは、神から与えられた具体的な働きや日々の生活を通して、今もなお新しく造り変えられ続けています。「神の作品」であるということは、私たちがただ受動的にじっとしているという意味ではありません。私たちの自発的な「応答」によって、歩むべき人生の彩りは豊かに変えられていきます。だからこそ、私たちが今直面している苦難やストレスさえも、神が私たちを練り清めるための「意味あるプロセス」として、信頼して受け止めることができるのです。

 特に父親である方々に覚えていただきたいのは、私たちが「良い父親」になる前に、まず一人の人間として、また「神の子」として無条件に愛され、受け入れられているという大前提です。天の父なる神を「アバ、父よ(お父さん)」と呼べる特権が、私たちのすべての土台です。この愛の土台があって初めて、一人の男性として、その特性と役割を果たす者へと成長していくことができます。聖書の秩序においては、父親となる前に、まず「夫として造り上げられること」が極めて重要です。私たちは往々にして、男性として、あるいは夫としての内面が成熟しないまま、形だけで父親になってしまいがちです。しかし、たとえどのような状況にあっても、落胆する必要はありません。なぜなら、私たちは今も「造り主のキリストの手」の中にあるからです。私たちはいつでも原点に立ち戻ることができます。自分の力で無理にやり直そうとするのではなく、全責任を負ってくださる神の御手にお任せするのです。私たちは、神がご自身の責任において完成へと導いてくださる、未完の尊い「神の作品」なのです。

 ジョン・M・ドレッシャー著の『若い父親へ——父親としての役割を果たすための10章』(原題:If I Were Starting My Family Again)という本があります。その中で著者は、「もし私がもう一度父親をやり直せるとしたら、その子の母親である妻を、もっと熱心に愛したい」と回顧しています。つまり、「良い父親」になるためには、まず「良い夫」である必要があるということです。それこそが、神が定められた創造の秩序にほかなりません。子どもが与えられたからといって、人間はいきなり完璧な父親になれるわけではないのです。私たちはこの神の秩序を、しっかりと受け止める必要があります。先ほど開かれたエペソ人への手紙5章後半から6章前半にかけて、パウロは「妻たちよ」「夫たちよ」「子どもたちよ」「父親たちよ」と、それぞれの立場に対してキリスト者としてのあり方を具体的に教えています。しかし、私たちが絶対に見落としてはならないのは、これらすべての勧告の「大前提」として置かれている、5章21節の御言葉です。「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。」(エペソ5:21)夫婦関係も、親子関係も、すべての人間関係の土台には、この「キリストを恐れ、互いに従い合う」という大原則が流れています。つまり、私たちの家庭におけるすべての水平的な人間関係は、まず「主イエス・キリストとの垂直的な関係」が正されることによって初めて、正常に機能するように造られているのです。キリストの十字架の愛に満たされ、主への従順を知る者だからこそ、夫は妻を命がけで愛し、父は子を主の訓戒によって育てることができます。すべての源泉は、私たちの主であるキリストとの結びつきにあるのです。

“キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いな さい。…夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のために御自分を献げられたように、あ なたがたも妻を愛しなさい。…子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。… 父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって 育てなさい。” 5:21-

③ 男は怒らず、祈りの⼿を挙げよう

 パウロは、信仰の子であるテモテへの手紙の中で、「男たちは、怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい」(第一テモテ2:8)と記しています。男性にとって大きな課題の一つは、この「怒り」や「言い争い」をどうコントロールするかという問題です。私自身もかつて怒りの感情を制御するために学び、アンガーマネジメントのセミナーを受講したことがあります。しかし怒りとは、単なる精神論では片づけられない、身体・心・霊のすべてに深く関わる複雑な感情です。医学的にも、男性特有のホルモンであるテストステロンの減少が、攻撃性や怒りの衝動に影響を与えることが知られています。私自身、若い頃は怒りの扱い方に悩み、コントロールできないがゆえに、身近な人々に迷惑をかけてしまった苦い経験が数多くありました。ある時、妻が私の顔を覗き込み、「何をそんなに怒っているの?」と尋ねたことがありました。ところがその瞬間でさえ、プライドが邪魔をして、「怒ってなんかいない!」と、怒りを含んだ声で言い返してしまう自分がいたのです。

 聖書に目を向けると、人類最初の殺人を犯したカインは、激しい怒りと憤りによって弟アベルの命を奪いました。この悲劇は現代に至るまで変わっていません。もっとも身近な存在である家族でさえ、怒りの破壊力から逃れることはできません。怒りは、長年かけて築いた関係を一瞬で壊してしまう恐ろしさを持っています。牧師仲間から寄せられる相談の多くも、人間関係の破綻の根底に「怒り」が潜んでいます。他者の身勝手な振る舞いや不遜な態度に触れたとき、私たちの内なる怒りは容易に制御を失ってしまうのです。だからこそ、パウロがテモテに宛てたこの言葉に触れるとき、彼が私たちと同じ弱さを痛いほど理解していた事実に、私は深い慰めを覚えます。パウロ自身もまた、血の気の多い一人の人間として、怒りの処理に悩んだ経験があったに違いありません。パウロは、若いテモテが牧会の現場で直面していた過酷な状況と、彼の内なる葛藤をよく理解していたのです。人間である以上、怒りを覚えること自体は不自然でも罪深いことでもありません。聖書も「怒っても、罪を犯してはならない」(エペソ4:26)と教えています。大切なのは、怒りを感じないことではなく、自分の弱さと衝動性を正直に認め、隠さずに神の前に差し出すことです。だからこそパウロは、他者に向けて握りしめようとするその拳を開き、神の御顔に向けて「祈りの手を上げなさい」と命じるのです。私たちの内にある生々しい怒りも、行き場のない悲しみも、すべての苦悩も、そのまま「アバ、父よ」と呼ぶことのできる天の父なる神の御前に注ぎ出し、祈りへと変えていきましょう。神の平和が、私たちの心と体を満たしてくださいます。

 パウロが語る「きよい手を上げて祈りなさい」という言葉には、当時の社会的・宗教的背景が深く関わっています。エルサレムの神殿や会堂では、人々が手を高く挙げて祈る習慣がありました。しかし、その手はしばしば内なる罪や強欲にまみれていました。宗教指導者たちは、自らの罪を悔い改めることもなく、汚れた手を平然と挙げ、見せかけの熱心さで祈っていたのです。主イエスが最も激しく叱責されたのは、まさにこの「偽善」の姿でした。翻って私たち自身を見つめるなら、私たちもまた「きよい手」を持っているとは言えません。内には怒りが宿り、弱さを抱えています。しかし、だからこそ私たちは、自分の義ではなく、イエス・キリストの十字架による一方的な贖いの血を仰ぎ見て、その恵みによって罪赦された「きよい手」を、大胆に挙げて祈る必要があるのです。父親である方々、そして男性の皆さん。私たちは「家庭を支える立派な父」であろうとする前に、まず神の前にへりくだり、両手を挙げて降伏し、主の助けを求める「一人の祈る人」とならなければなりません。これは、数々の激しい戦いをくぐり抜けてきた使徒パウロから、若きテモテへ、そして現代を生きる私たちへと向けられた、「男から男へのメッセージ」なのです。

 父の日を迎えるにあたり、私たちは現代の様々な過酷な問題が、大切な家族の現実に激しく押し寄せていることを覚えます。だからこそ、私たちは孤立してはなりません。互いに支え合う必要があります。特に、孤独な子育てや仕事の重圧の中で必死に生きている、若い父親や母親たちを、教会は総力を挙げて応援し、包み込んでいかなければならないのです。神は、順風満帆な時だけでなく、日々の葛藤や試練という様々な場面を通して、私たち一人ひとりを素晴らしい「神の作品」へと造り上げてくださいます。私たちは誰もが、助け手を必要とする弱い存在であり、同時に、誰かを支えるために召された「助け手」です。傷つき、破れることのある地上の家庭の現実を超えて、キリストの血によって結ばれたこの教会という神の家族が、互いに生かし合い、共に主の御手によって造り上げられていく、そんな愛の共同体の交わりでありたいと切に願います。

“そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこでで も、きよい手を上げて祈りなさい。” テモテへの手紙第一2:8

“主を畏れるところに強い信頼が生まれ、子らのための逃れ場となる。”箴言14:26

Author: Paulsletter

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