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「教会の誕生の準備」

2026 5/17
メッセージを読む
2026年5月17日

5月17日メッセージ
小平牧生牧師
「教会の誕生の準備」
(聖霊に導かれて①)
使徒の働き1章3~26節

 『使徒の働き』の著者は、その冒頭で「私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き」と記しています。この「前の書」が『ルカによる福音書』を指すことは明白であり、これら二つの書物は「ルカ・使徒の働き」として、前編・後編の連続性を持つ単一の系譜に属する著作であるというのが現代の聖書学における広範な理解です。伝統的に著者とされるルカという人物は、イエスの十二使徒ではなく、またユダヤ人でもなかったと考えられています。その根拠としては、割礼の民(ユダヤ人)と区別されて「愛する医者ルカ」と言及されている点が挙げられます。また、4世紀の歴史家エウセビオスの『教会史』などの古代の教会伝統においても、ルカはシリアのアンティオキア生まれで、医術を職業としていたと記録されています。著作に用いられている専門的な医学用語の痕跡、卓越した文学的文体、そして異邦人の救いに対する強い関心という思想的背景を総合すると、彼が高度な教育を受けたギリシャ人(異邦人キリスト者)であった可能性は極めて高いと推測されます。さらに聖書学者たちの研究によると、『ルカによる福音書』および『使徒の働き』は、新約聖書の他の書物に比べて、当時の地中海世界で知識層が用いた最も洗練された格調高いギリシャ語(コイネー)で執筆されていると評価されています。とりわけ各書の序文に見られる文学的表現は、当時の古典ギリシャ世界における歴史叙述のスタイルを踏襲しており、著者の高い教養を裏付けるものとなっています。

 ルカは、二部作の第一部である『ルカによる福音書』の序文において、自らが筆を執った経緯と執筆の意図を明確に書き残しています。前編にあたる『ルカによる福音書』では、イエス・キリストの誕生から公生涯、十字架の死と復活、そして天への昇天までが描かれています。それに続く後編の『使徒の働き』では、キリストの昇天から約束の聖霊の降臨、そして弟子たちによる初代教会の宣教の歩みが活写されています。著者であるルカ自身も、聖霊に導かれた宣教の進展、とりわけ異邦人への福音の広がりに強い関心を寄せていました。使徒の働きの随所に見られる一人称複数の記述(いわゆる「わたしたち」)が示す通り、ルカはパウロの伝道旅行の忠実な同労者として宣教の最前線に同行し、その実体験をもとに『使徒の働き』を書き進めたのです。

 ここで注目すべきは、両書の冒頭に共通して「テオフィロ(閣下)」という特定の人物が献呈先として記されている点です。「神を愛する者」という意味を持つテオフィロの正体については、すべてのキリスト教徒を代表する象徴的名であるという説から、ルカの執筆活動を財政的に支援したパトロン説まで諸説あります。しかし、ルカが彼に用いた「閣下」という敬称は、当時ローマ帝国の総督クラスの高官に用いられたものであるため、実在したローマ帝国の高位高官であったとする見解が有力です。このテオフィロは、イエス・キリストの生涯や、その後に起きた福音宣教の広がりについて、すでにある程度の教えを受けており、深い関心を抱いていました。ルカはこれを受け、目撃者や証言を初めから綿密に調べ上げ、諸教会の成立事情とその神学的背景を歴史的順序に従って書き上げました。その究極の目的は、ルカによる福音書の序文に記されている通り、テオフィロが「すでに教えを受け、信じている事柄が、動かしがたい真実であること」を確信させるためであったのです。

 今朝の聖書箇所には、復活されたイエス・キリストが弟子たちの前に現れ、四十日間にわたって「神の国」のことについて語られた後、天へと昇っていかれる場面が記されています。この後、2章において約束通り弟子たちに聖霊が降臨し、爆発的に福音宣教が進んで諸教会が生み出されていくわけですが、今朝の箇所はいわば、その偉大な神のわざが始まる直前の「備えの期間」を描いています。聖霊のバプテスマという約束を待ち望むこの緊迫した状況の中で、弟子たちは一体どのような「前準備」をしていたのでしょうか。大いなる宣教へと押し出される前に、彼らが心を合わせて取り組んだ神への備えについて、今朝は共に向き合い、確認していきたいと思います。

目次

① 約束の確認

 3節には、「イエスは苦しみを受けた後、多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた」と記されています。思い起こせば、イエス・キリストの公生涯の第一声は「時が満ち、神の国は近づいた」であり、その宣教の始まりは神の国の到来を告げることでした。そして、十字架の死と復活という大いなる神の業を成し遂げ、再び弟子たちの前に顕現されたイエスが語られたのもまた、やはり「神の国」についてだったのです。つまり、イエスのメッセージの中心は、最初から最後まで一貫して「神の国」にありました。このルカの神学的視点は、『使徒の働き』の結びにも貫かれています。『使徒の働き』の最後で、ローマに軟禁されていたパウロについてルカは、「いささかもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」と記しています。すなわち、ルカにとって、イエス・キリストの生涯から使徒たちによる福音宣教に至るまでの全歴史は、まさに「神の国を宣べ伝え、その支配を拡張していく歩み」そのものであったのです。イエスは、この神の国の奥義を弟子たちに教えられました。そして、彼らがその使命を生涯忘れることなく果たしていくために、「エルサレムを離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待ちなさい」と命じられました。ここで語られている「父の約束」とは、イエスが最後の晩餐の席で約束された、父なる神が遣わしてくださる「もうひとりの助け主」、すなわち聖霊のことです。イエスは、ご自身が肉体をもって地上を去られた後も、弟子たちを決して孤立させることなく、聖霊を通して共に歩み続け、神の国を推し進める力をお与えになるのです。それこそが、父なる神が備え、御子イエス・キリストによって遣わされる聖霊の約束なのです。

 しかし、これほどまでに「神の国」について教え込まれていたにもかかわらず、弟子たちの関心はなおも「イスラエルという地上の国の再興」という、政治的・民族的な解放に留まっていました。だからこそ彼らは、「主よ、イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか」と問いかけたのです。それに対してイエスは、「いつ、どのような時になるかということは、あなたがたが知る必要はありません。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっていることです」と告げられました。地上の政治的なタイムスケジュールは神の主権に属することであり、弟子たちが思い煩うべきことではなかったのです。その上でイエスは、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」と語られました。これこそが、イエスの言われる「聖霊の約束」の真意です。すなわち、諸教会が生み出されていく直前の、最大の霊的備え(前準備)の一つは、弟子たちの視野が「イスラエル再興」という狭い民族的なビジョンから、壮大な「神の国」のビジョンへと塗り替えられることでした。ここで言われる「神の国」とは、領土的な国家のことではなく、「神の主権的な支配」そのものを意味します。それは、武力や政治的な権力闘争によって打ち立てられるものではなく、聖霊が私たちの内に働き、私たちの人生を愛と真理によって治めてくださることによって実現していくものです。したがって、弟子たちに委ねられた最も重要な使命は、戦うことではなく、イエス・キリストの福音を命がけで証ししていくことに他なりません。そしてこの「神の国」のビジョンは、エルサレムという局地的な場所から始まり、ユダヤ、サマリア、そして「地の果て」にまで広がっていくものでした。さらに時間的には、主イエスが天に昇られた日から、再び栄光を帯びて来られる「主の再臨」の時に至るまで、全歴史を貫いて進展していく壮大な神の計画なのです。

 ここで、「天に昇られる」ということについて、少しお話ししたいと思います。「主イエスが天に昇られた」ということは、一体どういう意味を持っているのでしょうか。9節には、「イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた」と記されています。実は私自身も、かつてはここに記されている出来事の意味がよく理解できませんでした。「天の上に神の国がある」という古代世界の世界観に合わせた象徴的な描写なのだろうと、自分を納得させようとしたこともあります。しかし、医師であり歴史家でもあるルカが、冒頭であれほど「綿密に調べた」と明言しているにもかかわらず、このような超自然的な記述が堂々となされていることに、どこか違和感を拭えませんでした。一方で、教会が歴史を通じて告白してきた「使徒信条」では、これがキリスト教の正統な教理、最重要の信仰告白として規定されています。それゆえに、「この昇天の本質をどう理解すればよいのか」と、深く悩んでいた時期があったのです。聖書には、人間の理性を超えた奇蹟のような出来事がいくつも記されています。なぜそのようなことが起こったのか、その理屈や科学的な仕組みが分からなかったとしても、また、にわかには信じ難い出来事であったとしても、その「意味」や「必然性」が理解できれば、私たちはそれが神のわざであると深く納得することができます。しかし当時の私は、イエス・キリストがわざわざ「肉体を持って天に昇っていく姿を見せる」ということの必然性が見出せずにいたのです。そう思い悩みながら、何度も何度も聖書を読み返していたあるとき、一つの重要な事実に気がつきました。それが、9節から11節の記述です。ここを注意深く読むと、驚くほど「目に見える」ということに関する言葉が強調されていることが分かります。「彼らが見ている間に」「見えなくなられた」「天を見つめていた」「見上げて」「見たとき」など、わずか3つの節の中に「見る」という意味の表現が繰り返し使われているのです。この執拗なまでの描写から分かることは、イエス・キリストは絶対に「弟子たちの目に見えるかたち」でこの地上を去らなければならなかった、ということです。地上の働きを終えられた主イエスが、天の御国、すなわち神の統治される霊的な次元へと戻られる際、誰も知らないうちに静かに姿を消すことも当然できたはずです。それにもかかわらず、これほど劇的で印象的な形で昇天が行われたのはなぜか。それは、イエスが天の御国に帰還されたという厳然たる現実を、弟子たちに疑いの余地なく分からせるためでした。弟子たちの目の前で天に上げられ、神の臨在の象徴である「雲」に包まれて見えなくなる。この一連の可視的な出来事を通して、主は「この地上におけるわたしの肉体的な使命は、いま完全に完了したのだ」という連続性の区切りを、はっきりと示されたのです。そしてそれは同時に、「肉体を持ったイエスが去ることで、代わりに『約束の聖霊』が与えられる、次なる新しいステージが始まったことを告げる公的なシグナルでもありました。これからは、時空に制限される肉体のキリストではなく、いつでも、どこでも、すべてのキリスト者の内にとどまって働かれる「聖霊なる神の時代」へと突入したことを、弟子たちの目に焼き付ける必要があったのです。ですから、何の疑念も挟む余地がないほどに、イエス・キリストは見えるかたちで天に昇られました。その事実を弟子たちに理解させることには、神の計画において絶対的な必然性があったのです。だからこそ、その直後の弟子たちの「行動」の変化が、見事に理解できるようになります。それまで地上のイスラエル再興ばかりを考えてピントの外れていた弟子たちの生き方が、この昇天の目撃によって、一気に神の国のビジョンへとピントの合った生き方に変えられたのです。驚くべきことに、彼らは誰かに命令されたわけでもないのに、エルサレムの階上の部屋に戻ると、すぐに「心を合わせて祈り始め」ました。時代の転換を確信したからこそ、彼らは自発的に神の御力を受ける備えを始めたのです。

 私たちも今、この「聖霊の時代」を生きています。今、目に見えるかたちでイエス・キリストを認識することはできません。しかしだからこそ、私たちは、聖霊なる神が今この瞬間に私たちと共にいてくださるという現実を、もっとはっきりと意識すべきなのです。それは、何か特別な霊的体験を追い求めたり、霊的に敏感になったりすることではありません。そうではなく、聖霊なる神が御言葉を通して私たちの内に働き、私たちの人生を日々導いてくださっているという約束を、客観的な事実として、ただまっすぐに受け止めるということです。その事実を私たちがしっかりと受け止められたとき、弟子たちがそうであったように、私たちもまた、主の主権に信頼を置く「本当の祈り」を始めることができるのです。 

“イエスは彼らに言われた。「…しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」” 8

“しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。” ヨハネ14:26

② 心を一つにした祈り

 弟子たちは、主イエスの言葉に従って、オリーブ山からエルサレムへと引き返しました。本来、彼らのほとんどは北部のガリラヤ地方の出身です。生活の基盤も、愛する家族も、慣れ親しんだ仕事もすべてガリラヤにありました。何より、エルサレムはつい数週間前に自分たちの師であるイエスを十字架にかけ、今なお自分たちの命をも狙いかねない危険な場所だったのです。人間的な感情や安全を優先するならば、彼らが帰るべき場所は当然ガリラヤのはずでした。しかし彼らは、「エルサレムを離れないで、わたしから聞いていた父の約束を待ち望みなさい」という主イエスの命令に、実直に従いました。主の証人となる世界宣教のわざは、このエルサレムから始まるという神の計画に、自らの歩みを委ねたのです。この従順こそ、彼らの目的が民族的なビジョンから、壮大な「神の国」のビジョンへと完全に塗り替えられたことの何よりの証拠でした。

 エルサレムに戻った弟子たちは、滞在先であった建物の「上の部屋」に上がりました。これがいわゆる「アッパールーム」の由来です。この部屋は、イエスが十字架に架けられる前夜に「最後の晩餐」を行われた場所であり、また後に初代教会の拠点となる「マルコの福音書」の著者・マルコの母マリアの家であったとされています。まさにこのアッパールームこそ、聖霊なる神を共に崇め、心を一つにして祈りの交わりを捧げるための、初代教会の産声の場となったのです。聖書を読んでも、この部屋に集まった彼らが「どのように祈ればよいか分からない」と戸惑ったり、祈りの内容に窮したりした様子は一切記されていません。かつて地上のイエスから「祈りを教えてください」と願った彼らですが、今は主の証人として一つの場所に集まったその瞬間から、自然と祈り始めることができました。その祈りが、宗教的に洗練されていたか、あるいは流暢な美しい言葉であったかなどは、一切問題ではありません。彼らはただひたすらに、約束された聖霊なる神を慕い求め、神の御心が成るようにと祈ったのです。ここで注目すべきは、彼らが「みな互いに心を合わせ、ひたすら祈りに専念していた」という事実です。イエスが捕らえられたときには、恐れのあまり互いにバラバラになって逃げ出したあの弟子たちが、ここでは見事なまでに一つに結ばれています。

 弟子たちは、「聖霊を待ち望みなさい」というイエスの言葉を固く信じ、ただ純粋に聖霊なる神を求め続けました。その結果として、彼らは自分たちの人間的な力ではなく、すでに彼らの内に働き始めていた聖霊の促しと導きによって、自発的に、そして命を燃やすようにして祈ることができたのです。私たちもまた、この聖霊の導きに信頼し、心を合わせて祈る特権へと今、招かれているのです。

“彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。” 14

“彼らはイエスを礼拝した後、大きな喜びとともにエルサレムに帰り、いつも宮にいて神をほめたたえていた。” ルカ24:52-53

③ チームであるということ

 イスカリオテのユダは、主イエスを裏切った後、罪の重責から自ら命を絶ってしまいました。イエスによって選ばれた十二使徒には、それぞれ特別な務めが与えられていたため、その欠けた人員を補充する必要が生じました。ここでペテロがエルサレムに集まった信徒たちの前で指導力を発揮し、どのような人物が使徒の後任として相応しいか、その資格について語り始めました。聖書が示す使徒の絶対的な資格とは、「主イエスが私たちと共に生活された間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、始終行動を共にした者」であり、なおかつ「イエスの復活の目撃者(証人)」であるということでした。ここで重要なのは、この選出が単なる組織の欠員補充や事務的な手続きではなかったということです。彼らに求められたのは、何よりも「イエス・キリストの復活の真正性を命がけで証明する証人となること」でした。しかし、『コリント人への手紙第一』15章に記されている通り、復活された主イエスに出会った人は十二弟子以外にも数多く存在し、ある時には「五百人以上の兄弟たちに同時に現れた」とあります。したがって、単に「復活のキリストを目撃した」という個人的な体験だけではなく、イエスの公生涯のすべてを知り尽くした上で、教会の土台として立つことのできる公的な「復活の証人」であることが条件だったのです。結果として、この厳格な条件に合致する候補者の中から、バルサバと呼ばれ、別名ユストというヨセフと、マッティアの二人へと絞られました。そして弟子たちは祈りを捧げたのち、くじを引いてマッティアを選び出しました。人間の好き嫌いや知恵を完全に排除し、100%神の主権的選択に委ねたのです。こうしてマッティアが十二使徒の数に加えられました。ところが不思議なことに、このマッティアという人物がその後、どこでどのような宣教の働きをしたのか、その詳細は聖書に一切記されていません。では、なぜルカはこれほど紙幅を割いて、この選出の記事を詳しく書き残したのでしょうか。それは、ここでの本質が「誰が後任になったか」という個人の実績にあるのではなく、「神が整えられた『十二使徒』というのチームの連帯にあるからです。主の証人になるということは、誰か一人が聖霊に満たされ、突出したカリスマ性を持ってチームを引っ張っていくことではありません。そうではなく、キリストと出会い、共に生きた経験を共有する「弟子たちの集団」が、一つのチームとして機能することなのです。後に回心したパウロも自らを使徒と名乗りましたが、それは彼がダマスコの途上で復活のキリストと人格的に出会ったという事実を、教会全体が共有し、認めていたからに他なりません。聖霊が降臨するとき、私たちには大いなる力が与えられます。しかしそれは、私たちが超人的な「個人の能力」を得て、自分の力で教会の課題を解決していくという意味ではありません。そうではなく、イエス・キリストに出会い、聖霊なる神が内に住んでくださった私たちが、互いに「心を一つにして祈る姿」そのものが、主の生きた証拠(証人)となるということなのです。聖霊に満たされるとは、何か特別な霊的能力を獲得することではなく、自らの高ぶりを捨てて「神の完全な主権のもとに自らを明け渡し、導かれていく」ことに他なりません。自分の力で歩むのではなく、神が備えてくださった教会というチームの一員として、互いに聖霊を崇め、祈りを合わせ、御霊の導きに従って一歩一歩進んでいくこと。それこそが、神が初代教会の最初の前準備として、マッティアの選出を通して弟子たちに、そして現代を生きる私たちに教えておられる大切なメッセージなのです。

“ですから、主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした人たちの中から、だれか一人が、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。” 21-22

“彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。”使徒2:42

Author: Paulsletter

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