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「日毎の糧、そして赦しと救いを」

2026 4/20
メッセージを読む
2026年4月19日2026年4月20日

4月19日メッセージ
小平牧生牧師
「日毎の糧、そして赦しと救いを」
マタイの福音書6章9~15節

 私たちは、伝統的に「自由祈祷」という祈り方を大切にしています。これは、キリスト者があらかじめ用意された祈祷文や式文のことばによって祈るのではなく、形式にとらわれることなく、自分のことばで、そのときの思いを、聖霊なる神に導かれるままに自由に神へささげる祈りのことです。祈りは、選ばれた人だけのものではなく、誰もがそれぞれのことばで「天の父なる神よ」と呼びかけて祈ることのできる恵みです。私たちはその恵みを大切にしています。しかし一方で、祈祷文という定型のことばを重んじる伝統的な祈りもあります。教会によって定められた、典礼文のような形式的な祈りです。
 私自身、祈りについて考えると、自由に自分のことばで祈っているつもりでも、その祈りが自分の考えや表現の範囲にとどまってしまい、ともすれば自己中心的な祈りになっているのではないかと感じることがあります。そして、それが祈りのマンネリ化の一因にもなっているのではないでしょうか。
もしかすると、祈祷文以上に、自分の内側に固定化された「型」のようなものがあり、いつも同じ内容を繰り返して祈ってしまっているのかもしれません。古い時代の祈祷文を読むと、そこには教会の歴史と信仰が凝縮されていると感じることがあります。また、神に用いられた聖徒たちの祈りのことばを通して、私たちは人生の原則や信仰的な励ましを受け取ることもできるのです。

 いくつか有名な祈りのことばを挙げてみたいと思います。一つは「フランチェスコの祈り」です。この祈りは、13世紀にイタリア半島で活動したフランシスコ会の創設者、アッシジのフランチェスコに由来するとされる祈祷文です。実際にはフランチェスコ自身の作ではないといわれていますが、歴史的に長きにわたって受け継がれ、広く愛唱されてきました。もう一つは「ニーバーの祈り」です。アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーが作者とされ、「平安の祈り」とも呼ばれています。この祈りは、アルコール依存症克服のための組織「アルコホーリクス・アノニマス」や、薬物依存症・神経症の克服を支援する「12ステップ・プログラム」に採用されたことで、広く知られるようになりました。このような祈りのことばは、すでに整えられたものであり、私たちの内側から自然に湧き出てくる祈りというよりは、外側から与えられる祈りであると言えるでしょう。しかし、このような祈りに倣って祈ることによって、それを自分自身の祈りとしていくこともできるのです。私の経験から申しますと、自分が祈ることのできないとき、「主の祈り」をはじめとするこのような祈りのことばに、どれほど助けられてきたかと思わされます。また、誰かと心を合わせて共に祈るとき、そこに交わりが生み出されます。あるいは、自分の内で思い巡らす祈りであったとしても、それをことばに表し、文字に書き記し、自分の思いをもって祈ることによって、祈りはより確かなものとなります。このように、祈りにはさまざまな助けや方法があります。私たちが祈りにおいて成長していくために、それらを覚え、実践していきたいと思います。 

 聖書には数多くの祈りのことばが記されており、その一つひとつが霊的な深みと、私たちの魂を揺り動かす力を持っています。弟子たちはイエスと出会い、朝ごとに祈りの場所へ向かわれるその姿や、弟子たちとの交わりの中で祈られる姿を見るようになりました。そして、父なる神に祈られるその姿に心を留め、深い関心を抱くようになったのだと思います。こうした中で、イエス・キリストが「主の祈り」を弟子たちに教えられた背景には、彼らの内に「正しく祈りたい」という切実な願いがあったことがうかがえます。彼らはもともとユダヤ教という宗教的社会に生きており、決まった時間に祈り、会堂に集う生活をしていました。そのため祈りは、現代の私たち以上に生活に密着した、身近な営みであったはずです。しかしイエスは、あえて祈りの模範を教える前に、祈る者の「心のあり方」について厳しい戒めを語られました。イエスが指摘されたのは、祈りが「神への対話」ではなく、「人に見せ、聞かせるための行為」へとすり替わってしまっているということです。当時の弟子たちの祈りもまた、どこかで「どれだけ長く、立派なことばで祈れるか」という自己の手応えや、周囲からの評価に心が向いていたのかもしれません。

 これまでも学んできましたとおり、「主の祈り」は大きく分けて二つの部分で構成されています。前半の三つの願いは、「御名(みな)があがめられますように」「御国(みくに)が来ますように」「みこころが天で行われるように地でも行われますように」というものです。これらはいずれも、神が神としてふさわしくあがめられ、その統治が完成することを切に願う、神を中心とした祈りです。そして後半は、私たち自身の具体的な必要を神にゆだねる祈りへと移ります。ドイツの有名な食卓の祈りには、「主よ、私たちになくてはならぬ二つのものをお与えください。日ごとの糧と罪の赦しを」という言葉があるといわれています。しかし、聖書が教える「主の祈り」には、さらにもう一つの重要な願いが加えられています。それは、「私たちを試みにあわせず、悪からお救いください」という祈りです。聖書が示すこれら三つの願いは、私たちの「からだ」「心」「霊」というすべての領域を包括しています。これらを求める祈りは、私たちが人生のあらゆる領域において、自分自身の力ではなく、神の恵みにより頼んで生きるべきであることを、改めて思い起こさせてくれます。

 今朝は、この主の祈りの締めくくりとも言える切実な叫び、「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」という御言葉に焦点を当て、その真意を探っていきたいと思います。

目次

① 試みに遭う私たち

 マタイによる福音書6章13節の御言葉は、私たちの毎日の生活の中で、試みに遭う現実を示しています。私たちは、人として生きている限り、試みを避けることはできません。私たちにとって最も大きな敗北は、試みに対して無防備であることです。人となられたイエス・キリストについて、へブル人への手紙4章15節には、このように記されています。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。」なんと慰めに満ちたことばでしょうか。イエス・キリストは、単に受肉して人となられただけでなく、すべての点において私たちと同じように試みに遭われました。決して痛みや葛藤を感じない存在であったのではなく、私たちと同様に試みに直面し、肉体的な苦しみをも経験されたのです。ですから、ここでしっかり確認したいのは、私たちは誰もが試みを避けることができず、また試みに遭うこと自体が直ちに悪ではないということです。それでは、「私たちを試みにあわせず、悪からお救いください」という祈りを、どのように理解すればよいのでしょうか。イエスご自身も試みに遭われたのに、「試みにあわせないでください」と祈ることには、どのような意味があるのでしょうか。さまざまな議論がありますが、私自身は、この13節前半と後半の御言葉を切り離して読むべきではないと考えます。この祈りは、試みに遭わないことによって悪から守られるという意味ではなく、試みに遭う中にあっても、悪に陥ることから守られるようにとの願いです。つまり、試みに遭うこと自体を問題としているのではなく、その中で悪に支配されないようにと祈る祈りなのです。私たちは試みのただ中に置かれています。しかしその中にあっても、今日この瞬間においても、「私たちを試みにあわせず、悪からお救いください」と祈ることができるのです。

“私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。” マタイ6:13

“私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでした が、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。” ヘブル4:15

② 試みの広がり

 では、その「試み」とは何を指すのでしょうか。ここでの「試み」ということばは、新約聖書においてしばしば用いられています。日本語の聖書では「試み」と訳されるほか、別の箇所では「試練」や「誘惑」と訳されています。マタイの福音書6章13節の祈りでも、新共同訳聖書では、「私たちを誘惑に遭わせず」と翻訳されています。こうした訳し方の違いによって、私たちが受ける印象も変わってきます。

 このように、「試み」ということばは、幅広い意味を持って用いられているのです。すなわち、私たちが「試み」に遭うとき、それはある場合には「試練」として、またある場合には「誘惑」として経験されるということです。しかし、私たちの実際の経験においては、これらは同じではなく、それぞれ異なる意味合いを持っています。例えば、ヤコブの手紙1章2節から4節には、「さまざまな試練にあうときは、いつでもこの上ない喜びと思いなさい」と記されています。これは、信仰が試されることによって忍耐が生み出され、その忍耐が働くことで、私たちが成熟し、完全な者へと導かれていくことを示しており、「試練」が肯定的な意味で用いられている例です。私たちが順調なときには、自分に信仰があるのかどうか、神をどのように信じているのかということは、なかなか明確には現れてきません。信仰は、しばしば見えにくいものです。しかし、試練に遭い困難の中に置かれるとき、たとえば信仰のゆえに命を差し出さなければならないときや、福音宣教のために自分の財産を手放さなければならないとき、そこで初めて神を信頼する信仰が問われ、試されるという経験をするのです。

 同じヤコブの手紙1章13節では、同じ語源を持つ「試み」ということばが「誘惑」として用いられています。この場合、その意味合いは異なってきます。ヤコブは、「誘惑」は私たちを神から引き離す力を持つものだと語っています。人が「誘惑」に遭うのは、自分の欲に引かれ、誘われるからであるというのです。ここで用いられている「誘惑」ということばは、先ほどの「試練」と同じ語源に由来しています。「試練」は信仰の成熟のために神から与えられるものですが、「誘惑」は神から来るものではなく、私たちの内にある欲望から生じるものです。このように、いずれも私たちを試みるものではありますが、あるときには「試練」として、またあるときには「誘惑」として経験されるとヤコブは記しています。

 しかし問題は、ことばの違いではなく、私たちが直面している「試み」が、神から与えられている「試練」なのか、それとも自分の弱さから生じる「誘惑」なのかを、現実には容易に見分けることができないという点にあります。なぜこのようなことが起こるのか十分に受け止められないことや、なぜこのような状況に置かれているのか理解できないこともあります。もちろん、時間が経ってから振り返ると、その「試み」の意味を理解し、受け止めることができる場合もあります。あのときは苦しかったけれど、その経験を通して神に近づくことができたと感じることもあるでしょう。一方で、あれは誘惑であり、自分の弱さによって危うく罪に陥りかけたのだと、後になって気づくこともあります。そのとき、神の憐れみによって守られていたことを知るのです。しかし、現実に「試み」のただ中にあるときには、それが何であるのかを見極めることはできません。だからこそイエスは、「私たちを試みにあわせず、悪からお救いください」と、日々祈るように教えられたのです。私たちにとって大切なのは、目の前の出来事が「試練」なのか「誘惑」なのか、その答えを出すことではありません。それを見分けること以上に大切なのは、そのような状況の中にあっても、罪に陥ることがないように私たちを守ってくださいと祈り続けることなのです。

“様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知ってい るとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を働かせなさい。そうすれば、 あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。” ヤコブ1:2-4

“だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれかを誘惑することもありません。人が誘惑にあう のは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。” ヤコブ1:13

③ 祈ることによって守られる

 このように、「試練」という形にせよ、「誘惑」という形にせよ、私たちは絶えず「試み」に遭うのです。 
 私たちは、自分が常に試みの中にあるという現実を、しっかりと受け止める必要があります。過敏になる必要はありませんが、しかし鈍感であってもならないのです。だからこそ、「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」と、日ごとに祈るのです。自分のことをよく分かっている人が悪から救われるのではなく、「救ってください」と祈る人が、悪から守られるのです。

 私はつくづく思います。先にお話ししたように、自分の思いのまま、自分の感じていることや願っていることだけを祈りとするならば、「試み」に遭ったときにしか祈らなくなるかもしれません。助けが必要なときだけ祈るようになるかもしれません。しかし実際には、「誘惑」は気づきにくいものです。たとえ罪を犯しても、高慢になっても、愛が冷えてしまっても、それでも自分は正しい、自分は分かっているのだという思いに支配されやすいのです。だからこそ、絶えず「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください」と祈らなければならないのです。そして、祈ることによって守られるのです。イエスは「主の祈り」を教えられる前に、こう語られました。「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。ですから、あなたがたはこう祈りなさい」と。神は、私たちが求める前から、私たちに必要なものをご存じです。私たちが経験する「試練」も「誘惑」も、すべてご存じなのです。私たちを成長させるために、また神を求めさせるために、神は私たちに祈りを与え、私たちの祈りを待っておられます。ですから私たちは、神を信頼して祈るのです。

“あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられる のです。ですから、あなたがたはこう祈りなさい。” マタイ6:8-

“愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いが けないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。” 1ペテロ4:12

“イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることがで きるのです。” ヘブル2:18

Author: Paulsletter

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