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「『終わり』の時にむかって」

2025 7/14
メッセージを読む
2025年7月13日2025年7月14日

7月13日メッセージ
小平牧生牧師
「『終わり』の時にむかって」
ペテロの手紙第一 4章7~11節

 この世で語られる「終末論」はしばしば破滅と混乱、恐怖を中心に語られます。それは自然災害、戦争、環境破壊などによって「世界が終わる」という破滅的なイメージに結びついています。しかし、聖書が語る終末論は、決して破滅を意味するものではなく、「完成」に向かう希望の物語(「完成論」)です。聖書は、この世界に初めがあり、そして終わりがあることをはっきりと示しています。創世記1章1節は、「初めに神が天と地を創造された」と宣言し、聖書の物語は神の創造によって始まります。そして、ヨハネの黙示録21章では、神がすべてを新しくされる「新天新地」の約束によって締めくくられます。つまり、神こそがこの世界の初めであり、終わりであり(黙示録22:13)、その御手の中で歴史は完成へと導かれているのです。

 イエス・キリストご自身も、公生涯の初めにこう宣言されました。「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15) これは、神の支配がこの地に始まっていることを示す希望の言葉です。そして、その神の支配はやがて完全な形で現れます。ペテロも、このイエスの言葉を想起させるように、次のように語ります。「万物の終わりが近づいています。ですから、祈りのために心を整え、身を慎みなさい」(Ⅰペテロ4:7)ここで言う「終わり」とは、単なる終焉や崩壊ではなく、神の救いのご計画が完成に向かって進んでいることを意味します。したがって、私たちは恐れにとらわれるのではなく、目を覚まして祈り、愛と希望に満ちた歩みをするように召されているのです。

 ペテロは、イエス・キリストの再臨と最終的な裁きの時が近づいているという終末論的な視点に立ちながら、その時を待ち望むキリスト者のあるべき姿と生き方を示しています。今朝の聖書箇所(ペテロの手紙第一 4章7〜10節)は、ギリシャ語の原文において統一された文脈構造を持ち、とりわけ7節が全体の中心軸(主節)となっています。7節には、「万物の終わりが近づいているのです。ですから、心を整え、身を慎みなさい。祈るためです。」とあります。ここで用いられている「心を整える」「身を慎む」という二つの動詞は命令形であり、「祈るために」という目的に向けた必要な心構えを示しています。この「祈り」こそが、この段落全体の中心的テーマであることが明らかです。さらに、8節から10節では、この「祈り」を中心とした命令に対する具体的な実践内容が、7節を修飾する形で分詞構文によって展開されています。本日は、この「祈り」のために私たちに求められている心構えと具体的な実践について、共に学びたいと思います。

目次

① 祈りのために心と身を整える

 ペテロは、「終わりが近づいているのだから、あれをしなさい、これをしなさい」と命令を羅列しているのではなく、まず「祈るために、心を整え、身を慎みなさい」と語っています。「心を整える」とは、思慮深くあることを意味しており、感情の赴くままに振る舞うのではなく、冷静で落ち着いた心の態度を保つようにという勧めです。ペテロは、祈るためにはそのような心の整えと、身を慎むことという自己制御が必要であると教えているのです。なぜなら、世の終わりが近づくとき、私たちの心を騒がせ、気を散らすような出来事が次々と起こるからです。そうした中でこそ、意識的に心を整え、身を慎む姿勢が求められているのです。言い換えれば、私たちが祈ることができなかったり、祈ってはいても心が神に集中できない理由は、心が乱れ、騒がされ、あるいは欲望や恐れに支配されてしまっていることにあるのです。私たちにとって祈りとは、神との交わりそのものであり、信仰生活の中心的な営みです。その重要性は十分に理解していても、実際に祈りに向かうには、心と体の備えが必要であることを、ペテロは私たちに教えているのです。

 イエス・キリストの生涯は、私たちに祈りの模範を示しています。福音書には、「イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」と記されています。この記述から、イエスが祈りのために、朝の早い時間と、静かな場所を聖別し、心と体を整えられていたことがうかがえます。私たちの祈りの生活においても、イエスのように、祈りのための環境を整えることは非常に重要です。ペテロは、ペテロの手紙第一4章7節で「万物の終わりは近づきました。ですから、あなたがたは慎み、気を確かに持って、祈りなさい」と命じています。この「終わり」という完成に向かっている時だからこそ、祈りのために「心を整え、身を慎む」ことが、私たちキリスト者に求められているのです。祈りは、個人的な行為であると同時に、共同体の中でも実践されるべきものです。私たちの教会には、バイブルノートがあり、毎日同じ聖書箇所を読み、そこから与えられた恵みを、アッパールームなどの交わりで分かち合っています。このような恵みの分かち合いと祈りの交わりは、私たちの信仰生活に不可欠です。

“万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。” 7

“そこで、彼らに言われた。「どうして眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていな さい。」” ルカ22:46

② 互いに愛し合いつつ、

 ペテロは、「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい」(8節)と命じています。ここで「熱心に」と訳されている言葉は、もともと馬が全速力で走るときの筋肉の張りを表す表現であり、全力を尽くして持続的に取り組む姿勢を意味しています。つまり、私たちは感情的な好意以上に、意志をもって全身全霊で相手を愛することが求められているのです。これは、イエス・キリストの教えとも一致します。イエスは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マタイ22:37)と語られました。また、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」とも命じられています(マタイ22:39)。これ以上に深い愛し方はありません。神を愛し、隣人を愛することが、私たちの信仰生活の土台なのです。

 では、なぜ愛することがそれほど大切なのでしょうか。それは、「愛は多くの罪を覆うからです」(Ⅰペテロ4:8)。ここで言う「罪」とは、自分自身の罪だけでなく、他者の過ちも含まれます。私たちは日々の交わりの中で、他人の罪や欠点に気づくことがあります。そして、ときにはそれを指摘したり、責めたくなったりすることもあるでしょう。 しかし、互いに熱心に愛し合うならば、たとえ隣人に罪があったとしても、それを赦し、受け入れ、不完全さを補い合うことができます。愛は、他人の過ちだけでなく、自分自身の罪さえも包み込み、赦しと和解へと導いてくれるのです。この真理は、旧約聖書の箴言にも表れています。「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべてのそむきを覆う」(箴言10:12)。ペテロの教えは、この箴言を土台としたものでもあるのです。

 台湾の教会のリーダーの方々と共に過ごす貴重な機会が与えられました。台湾の教会では、「神の御国」を理念とし、牧師と教会が一つとなって、北部と南部の教会間の関係強化や、17の原住民族の間にある和解にも積極的に取り組んでおられるとのことでした。今年は、第二次世界大戦の終結から80年、また日本による台湾統治の開始(1895年)から130年という、日台関係において節目の年にあたります。そのような中で開催された最初のレセプションにおいて、台湾の牧師が挨拶の言葉を述べられました。開口一番、「私たちは、日本人宣教師と日本の教会に心から感謝しています」と語られたのです。ここで言及された日本人宣教師とは、井上伊之助(1882年〈明治15年〉生まれ)のことを指しています。彼は中田重治から洗礼を受け、東洋宣教会の聖書学院に入学し、校長の笹尾鉄三郎の薫陶を受けました。彼が聖書学院の2年生だった時、父親が台湾東部・花蓮県の山中で、台湾原住民であるタロコ族の襲撃を受け、命を落とすという痛ましい事件が起こりました。それにもかかわらず、伊之助は聖書学院を卒業後、「台湾原住民への伝道」という召命を受け、医術を学び、宣教師としての備えを整えたうえで、単身台湾へと赴きました。彼は、台湾原住民への伝道を開始し、同時に台湾総督府からの委嘱を受け、診療所に勤務しながら6年間にわたり医療活動にも従事しました。そして、伊之助が帰国した後、台湾の原住民の間にリバイバルが起こったのです。

 台湾の牧師は次のように語ってくださいました―「伊之助先生は、台湾宣教の肥やしとして用いられ、その働きを通して多くの魂が救われる実を結んだのです」。さらに続けて、こうもおっしゃいました。「人生における最も強い力は、軍事力でも政治力でもありません。それは“愛”です。愛には、自分だけでなく他者をも変え、国をも変える力があります。愛があるからこそ、人と人との間にある憎しみも溶けていくのです」と、深く頭を下げて感謝の思いを表してくださいました。私は、台湾に対する謝罪の言葉を準備していましたが、その場の雰囲気の中では、それらの言葉は必要ないと感じさせられました。もちろん、統治下においては数多くの悲惨な出来事があり、それら一つひとつについて和解が必要であることは言うまでもありません。しかし、改めて思わされたのは、キリストの愛こそが多くの罪を覆い、罪から生じたさまざまな問題を解決に導く力がある、ということでした。ペテロが語っているのは、そのように愛し合いつつ、祈りのために、心を整え身を慎みなさいということなのです。

“何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。” 8

“憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きをおおう。” 箴言10:12

③ 互いにもてなし合いつつ、

 ペテロの手紙が書かれた紀元1世紀は、「家の教会」の時代でした。そのため、当時の教会(共同体)において、互いにもてなし合うことは、なくてはならない重要な務めの一つだったのです。パウロがテモテに宛てた第一の手紙にも、教会の指導者の条件として「もてなしをすること」が挙げられており、人々を喜んで受け入れる姿勢が求められていました(Ⅰテモテ3:2)。それほどまでに、もてなしは信仰者の成熟と教会形成において重要な役割を担っていたのです。この原則は、現代の教会においても同様に適用されるべきものです。互いをもてなし合うことを通して、私たちは心と身体を整え、祈りに備えていくことができます。もてなしの実践は、祈りの生活を支える土台でもあるのです。しかしながら、そのような働きを行うときに、私たちが注意しなければならないのは、「不平を言わない」ということです。ペテロも「不平を言わずに、互いにもてなし合いなさい」(9節)と勧めています。もてなしはすべきことですが、もしそこに不満や愚痴が混じるならば、私たちの心は神に向かって祈る状態から外れてしまいます。その結果、祈ることそのものが困難になってしまうのです。せっかく良い働きをしていても、神との交わりである祈りが妨げられるならば、それは本末転倒です。私たちは意図的に神に逆らうつもりはないかもしれませんし、喜んでもてなしているつもりでも、もし自分の力を超えて無理をしてしまうと、心身が疲れ果て、神との交わりが途絶えてしまうことがあるのです。教会の働きが多く、活動が盛んであること自体は決して悪いことではありません。しかし、それが祈りを妨げ、奉仕者の心と身体を損なってしまうとしたら、それは教会のあるべき姿とは言えません。だからこそ、私たちは喜びをもって互いにもてなし合いながら、何よりもまず祈りのために心を整え、身を慎み、神の前にふさわしい者として教会の務めを果たしていくことが大切なのです。

“不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。” 9

“ですから監督は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀 正しく、よくもてなし、教える能力があり…” 1テモテ3:2

④ 互いに仕え合いつつ、

 ここでは、一人ひとりに神から「賜物」が与えられていることが記されています(10節)。この「賜物」とは、私たちの特質や生まれ持った能力というよりも、神から委ねられた、預けられている恵みのことです。神は私たちに賜物を与えることも、取り上げることもできるお方です。だからこそ、私たちはこの恵みを「良き管理者」として、忠実に用いる責任があるのです。「恵み」とは、本来ふさわしくない者に与えられるからこそ恵みと呼ばれます。愛されるに値しない者が愛されること、報いを受ける資格のない者が祝福を受けること、それが神の恵みです。ですから、私に賜物が与えられているとすれば、それは私にふさわしいからではなく、ただただ神の一方的な恵みによるものなのです。

 この賜物は、自分のためではなく、互いに仕え合うために神が委ねてくださっているものです。つまり、「賜物」と「能力」は本質的に異なります。能力はしばしば「自分の力」として自己中心的に理解されがちですが、賜物は神の目的のために、教会の働きのために、互いに仕えるために与えられるものなのです。また、私たちに与えられている力、知恵、時間、機会さえも、すべては自分自身のものではなく、神から託されたものであることを覚えるべきです。そして、この神からの賜物を正しく用いることによって、私たちは互いに仕え合い、心と体を整えて祈りに備えていくことができるのです。

 ペテロが紀元一世紀に語った「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい」(7節)という言葉は、現代を生きる私たちにとって、さらに重みを増しています。当時も終末的な様相を呈していましたが、今日、私たちはその「終わり」に一層近づいていることを意識しなければなりません。このような時代だからこそ、私たちは心を騒がせることなく、慌てることなく、祈りのために、心を整え身を慎むべきです。これは単なる個人的な備えにとどまりません。教会の在り方、そして完成を目指すべき私たちキリスト者にとって、何よりも神への「祈り」を大切にしたいと願います。その目的を果たすためには、ペテロが続けて記したように、互いに熱心に愛し合い(8節)、不平を言わずにもてなし合い(9節)、そして各自の賜物を用いて互いに奉仕し合うこと(10節)を忘れてはなりません。これらの実践を通して、私たちは共同体として一致し、祈りの力を高め、最終的にはイエス・キリストを通して神が栄光をお受けになる(11節)ことを目指し、共に歩んでいきたいと心から思います。

“それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用い て互いに仕え合いなさい。” 10

“兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機 会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。” ガラテヤ5:13

Author: Paulsletter

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