MENU
  • ホームHome
    • ライブ礼拝 Live
    • お知らせ NewsNews
    • 牧師室から Pastor’s RoomPastor’s Room
    • メッセージを読む Read Worship Message信徒による礼拝メッセージの要約です。目で読むことでさらに理解が深まります。
    • SNS instagram & facebook
  • ごあいさつWelcome
  • 教会紹介About Us
    • ビジョン VisionVision
    • 教会の歴史 HistoryOur History
    • 所属教団 DenominationDenomination
    • 教会ギャラリー GalleryGallery
  • 集会案内Service/Activities
    • 日曜礼拝 Sunday ServiceSunday Service
    • 教会学校 Sunday SchoolSunday School
    • 聖書の学び Bible StudyBible Class
    • その他の集まり OtherOthers
  • よくある質問FAQ
    • 礼拝について Worship ServiceWorship Service
    • クリスチャンについて ChristianChristian
    • 結婚について MarriageMarriage
    • 子育てについて ChildrenChildren
    • お墓について FuneralCustom
  • アクセスLocations
    • 西宮チャペル NishinomiyaNishinomiya Chapel
    • 三田チャペル SandaSanda Chapel
    • 学園都市チャペル GakuentoshiGakuentoshi Chapel
  • 教会員ページMembers only
    • アナウンス
    • 礼拝動画
    • ダウンロード
    • 祈りのページ
    • 聖書の学び
    • 成人分級
    • 証し集
    • 各はたらき
    • ギャラリー
西宮を中心とするプロテスタントのキリスト教会です
ニューコミュニティ キリスト兄弟団西宮教会
  • ホームHome
    • ライブ礼拝 Live
    • お知らせ NewsNews
    • 牧師室から Pastor’s RoomPastor’s Room
    • メッセージを読む Read Worship Message信徒による礼拝メッセージの要約です。目で読むことでさらに理解が深まります。
    • SNS instagram & facebook
  • ごあいさつWelcome
  • 教会紹介About Us
    • ビジョン VisionVision
    • 教会の歴史 HistoryOur History
    • 所属教団 DenominationDenomination
    • 教会ギャラリー GalleryGallery
  • 集会案内Service/Activities
    • 日曜礼拝 Sunday ServiceSunday Service
    • 教会学校 Sunday SchoolSunday School
    • 聖書の学び Bible StudyBible Class
    • その他の集まり OtherOthers
  • よくある質問FAQ
    • 礼拝について Worship ServiceWorship Service
    • クリスチャンについて ChristianChristian
    • 結婚について MarriageMarriage
    • 子育てについて ChildrenChildren
    • お墓について FuneralCustom
  • アクセスLocations
    • 西宮チャペル NishinomiyaNishinomiya Chapel
    • 三田チャペル SandaSanda Chapel
    • 学園都市チャペル GakuentoshiGakuentoshi Chapel
  • 教会員ページMembers only
    • アナウンス
    • 礼拝動画
    • ダウンロード
    • 祈りのページ
    • 聖書の学び
    • 成人分級
    • 証し集
    • 各はたらき
    • ギャラリー
  • ホーム
  • ごあいさつ
  • 教会紹介
  • 集会案内
  • よくある質問
  • アクセス
  • 教会員ページ
ニューコミュニティ キリスト兄弟団西宮教会
  • ホームHome
    • ライブ礼拝 Live
    • お知らせ NewsNews
    • 牧師室から Pastor’s RoomPastor’s Room
    • メッセージを読む Read Worship Message信徒による礼拝メッセージの要約です。目で読むことでさらに理解が深まります。
    • SNS instagram & facebook
  • ごあいさつWelcome
  • 教会紹介About Us
    • ビジョン VisionVision
    • 教会の歴史 HistoryOur History
    • 所属教団 DenominationDenomination
    • 教会ギャラリー GalleryGallery
  • 集会案内Service/Activities
    • 日曜礼拝 Sunday ServiceSunday Service
    • 教会学校 Sunday SchoolSunday School
    • 聖書の学び Bible StudyBible Class
    • その他の集まり OtherOthers
  • よくある質問FAQ
    • 礼拝について Worship ServiceWorship Service
    • クリスチャンについて ChristianChristian
    • 結婚について MarriageMarriage
    • 子育てについて ChildrenChildren
    • お墓について FuneralCustom
  • アクセスLocations
    • 西宮チャペル NishinomiyaNishinomiya Chapel
    • 三田チャペル SandaSanda Chapel
    • 学園都市チャペル GakuentoshiGakuentoshi Chapel
  • 教会員ページMembers only
    • アナウンス
    • 礼拝動画
    • ダウンロード
    • 祈りのページ
    • 聖書の学び
    • 成人分級
    • 証し集
    • 各はたらき
    • ギャラリー

「祝福を受け継ぐために」

2025 4/07
メッセージを読む
2025年4月6日2025年4月7日

4月6日メッセージ
小平牧生牧師
「祝福を受け継ぐために」(NC合同礼拝)
(ペテロから私たちへの手紙⑬)
ペテロの手紙第一 3章8~12節

 「キリスト者」とは、新約聖書の使徒の働き11章26節に起源を持つ言葉で、「キリストに属する者」「キリストに従う者」を意味します。この呼称は、アンティオキアという町で、イエス・キリストを信じ、その教えに従って生きる人々に最初に使われました。新約聖書は、キリスト者が「キリストに似た者に変えられていく」過程をさまざまな表現で示しています。この変容は、単なる外見的な模倣ではなく、内面的な変化、つまり霊的な変革を伴うものです。例えば、かつてイエスを裏切ったペテロ自身が、イエス・キリストの十字架の死と復活を経験し、神の愛と赦しを体験したことによって、キリストを模範とする姿に変えられていきました。ペテロの手紙第一2章21節には、「あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのです。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたがその足跡に従うようにと、ご自身の模範を残されました」と記されており、ペテロ自身がキリストの模範に従うよう教えています。

 それでは、私たちはどのようにすればイエス・キリストに似た者となっていくのでしょうか。聖書を通して、イエスの言葉と行動を深く理解することが重要です。「イエスなら、どのような状況でどのように語り、行動されるか」を常に意識することが、模範とするための第一歩です。そして、私たちの内なる聖霊の働きによって、キリストに似た者となるための力が与えられます。私たちのキリストに倣う生き方は、日々の生活の中での選択と行動の積み重ねです。聖書は、私たちがどのように生きるべきかの指針を与えてくれます。神の言葉を心に留め、日々の生活の中で実践することが、キリストに似た者となるために重要です。

 イエス・キリストは罪を犯すことがなく、その口に欺きもありませんでした。罵られても罵り返さず、苦しめられても脅すことはありませんでした。それにもかかわらず、私たちのために十字架上で苦しみを受け、ご自身の足跡に従うようにと、私たちに模範を示してくださいました。

 ペテロは「最後に言います」と語り始めます。この「最後に」という言葉は、手紙を締めくくろうとするものではなく、これまでの議論を踏まえて、「キリスト者の在り方」についての総括を語ろうとしています。今日は、「キリスト者の在り方」をさらに具体的に学びたいと思います。

目次

① 私たちは祝福を受け継ぐために召された

 当時、ディアスポラのユダヤ人たちは、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散らされ、寄留していました。ペテロは、そうした人々に向けて、「一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心優しく、謙虚でありなさい」と語りました。これらの勧めは、努力によって達成すべきことを求めているのではありません。むしろ、キリスト者はすでにキリストの愛によって結ばれた共同体であり、互いに愛し合うよう召されているのだから、自然にそのような姿が現れるべきだというのです。

 さらにペテロは、具体的な行動としてこう教えます。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐために、あなたがたは召されたのです。」これは、キリスト者の生き方が世間の価値観とは根本的に異なることを示しています。一般には、悪には悪を、侮辱には侮辱を返すのが当然と考えられます。しかし、キリスト者はそうした報復の連鎖を断ち切り、代わりに祝福を祈るよう召されているのです。それは、キリストご自身が十字架の上で、自分を迫害する者たちのために祈られたことに倣う生き方です。この手紙の読者は、散らされたユダヤ人であり、キリスト者であることを理由に、社会的・経済的な圧力や差別、嫌がらせを受けていたと考えられます。そのような状況の中で、彼らはしばしば非難され、悪口を言われ、嘲笑や侮辱、中傷にさらされていたのでしょう。ペテロは、そうした迫害や苦難の中にある人々に向かって、「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、むしろ祝福を与えなさい」と勧め、迫害する者に対して祝福するよう励ましました。そして、それこそが、神の祝福を受け継ぐ者に与えられた使命であると語ったのです。ペテロの手紙は、苦難という現実に直面している彼らへの励ましのメッセージであると同時に、キリスト者として生きることへの挑戦を促す勧めでもありました。

 では、なぜペテロは、そのような挑戦を促す勧めを与えたのでしょうか。また、私たちはなぜ、そのような生き方を目指すように求められているのでしょうか。それは、神の祝福の約束を受け継ぐように召されているからです。よく考えてみると、本当に大切で価値あるものは、私たちだけの中に留めておくものではありません。それらは、神から預かった大切なものを先人たちが受け継ぎ、私たちがそれを受け継ぎ、さらに次の世代へと伝えていくべきものです。私たちは、神から与えられた「新しい命」、「使命」、さらには「教会」さえも、神から預かっているものだと言えるでしょう。

 ペテロも、この手紙の1章冒頭で、「朽ちることも、汚れることも、消え去ることもない資産を受け継いだ」と記しています。また、3章7節では、夫に対して「命の恵みを共に受け継ぐ者として、妻を尊敬しなさい」と勧めています。このように、私たちは神から無償で大切な資産を受け継いでおり、それを次世代へと受け継がせていく責任があるのです。だからこそ、私たち自身も、受け継いだものの尊さをより意識して歩んでいくべきなのです。

 そして、今回メッセージを準備している中で発見したことは、「あなたがたは祝福を受け継ぐために召された」の「祝福」に使われているギリシャ語(εὐλογία、エウロギア)は、「賛美」とも訳される言葉であり、黙示録や『ハレルヤ・コーラス』に登場する「賛美」と同じ語であるということです。黙示録には、「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」という一節があります。ここで用いられている「賛美」という言葉は、単に神をほめたたえるだけでなく、神の恵みに対する感謝や喜び、そして神の栄光を宣言する意味も含んでいます。ですから、私たちは、格別な神の恵み─否、神ご自身─を受け継いでいるのであり、そのために召されているのです。したがって、そのような「祝福」を受け継ぐために召された者の生き方は、この世の価値観とは当然異なるものであると、ペテロは語っています。

 神の祝福を受け継ぐ者の生き方とは、次のような人のことを指しているのです。

“…あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。” 9

② 悪の連鎖に巻き込まれず

 ペテロの手紙第一3章9節には、こう記されています。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐために、あなたがたは召されたのです。」

 前述のとおり、この手紙の読者たちは、キリスト者であることを理由に、社会的・経済的な圧力や差別、嫌がらせを受けていました。彼らはしばしば非難され、悪口を言われ、嘲笑や侮辱、中傷にさらされていたのです。そのような理不尽で不当な迫害の中にあって、ペテロは、「しばらくの間、さまざまな試練の中で悲しみ」、「不当な苦しみを受け」、「善を行って苦しみを受ける」と繰り返し語っています。それでもなお、「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい」と命じています。それは、私たちが神の祝福を受け継ぐために召されているからです。

 イエス・キリストも、山上の説教において、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と教えられました。この教えは、旧約聖書にある「隣人を愛しなさい」(レビ記19:18)という戒めをさらに深め、敵意や憎しみの連鎖を断ち切ることを目指すものです。旧約聖書の律法には「目には目、歯には歯」(出エジプト記21:24)と記されていますが、これは「やられたらやり返せ」という報復を推奨するものではありません。本来は、被害に見合った正当な償いにとどめ、過剰な報復を防ぐための規定でした。しかし、当時のユダヤ社会の一部では、これを曲解し、「隣人を愛し、敵を憎め」と教える者たちもいたのです。イエスは、そのような誤った解釈を否定し、すべての人に対する無条件の愛を説かれました。パウロもまた、「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ローマ12:21)と語っていますが、これもイエスの山上の説教に基づく教えです。

 悪に対して悪で返し、侮辱に対して侮辱で返すならば、それがたとえ正当な行為であったとしても、相手はさらに悪や侮辱を返そうとするでしょう。そのような報復の連鎖には、平安も喜びもなく、真の平和は訪れません。キリスト者は、報復や憎しみの連鎖を断ち切り、祝福をもって応えることによって、神の祝福を受け継ぐ生き方へと召されているのです。

 イエス・キリストは、すべての報復を受けて十字架に架かられました。しかし、罵られても罵り返すことなく、苦しめられても脅すことはありませんでした。私たちは、そのような十字架の恵みの中に生きているのです。そして、悪の連鎖に打ち勝つ力を与えられています。そのような生き方を具体的に示しているのが、次のポイントです。

“悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。” 9

“『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。” マタイ5:43-

“だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。…悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。” ローマ12:17、21

③ 祝福を受け継ぐ者として生きる

 ペテロは「最後に言います」と語り始めます。この「最後に」という言葉は、手紙を締めくくろうとするものではなく、これまでの議論を踏まえて、大切なことを改めて確認するための表現です。ペテロは2章から続けて、奴隷の立場、妻の立場、夫の立場と、それぞれの立場について語ってきました。そしてここで、それらを総括し、「キリスト者の在り方」について語ろうとしているのです。

 私たちは、迫害の中にあっても、順風満帆のときであったとしても、キリスト者として、キリストに似たものとしてどう生きるかが求められています。その生き方が、ペテロの語る、「一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心優しく、謙虚でありなさい」という一節です。これらは、イエス・キリストにあって神の国を目指して歩む私たちの生き方について、特別な信仰的な用語を用いることなく、誰にでもわかりやすい言葉で語っています。

 第一に、「一つ思い」になることが挙げられます。「一つ思い」とは、話し合って意見をまとめることではありません。キリスト者がイエス・キリストにあって、信仰において一致することです。たとえ教会の中であっても、考え方や感じ方、受け取り方は様々です。イエスの十二弟子の中でさえも、熱心党のシモンがいれば、取税人のマタイもいました。熱心党はユダヤ国家主義者で、ローマに反逆する政治的立場を取っていました。一方で取税人は、元々ローマのために収税を請け負っていた親ローマの立場にあり、政治的立場はまったく真逆でした。それでも、彼らに共通しているのは、イエスから「ついてきなさい」と言われて、従順に従ったことです。二人の意見や考え方が一致していたからこそイエスについていったのではなく、それぞれが異なる立場でありながらも、イエス・キリストの弟子として、キリストに似た者になりたいという思いが一致したからです。ですから、そのような信仰における一致がなければ、たとえ教会であっても、すぐに分裂や争いが生じてしまいます。それではもはやキリストの教会とは言えないのです。
 
 第二に、「同情し合う」ことを挙げています。「喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しむ」という御言葉がありますが、ペテロの手紙第一では、「苦しむ」を意味する動詞が頻繁に登場することから、ここでは特に、苦しみや悩みに共感し、互いに苦しみを分かち合うことを指していると考えられます。すなわち、迫害や試練の中にあるキリスト者たちが、互いに同情し合うことが重要であると教えているのです。これは、キリスト者が、「一つ思い」になることでなし得るのです。 

 第三に、「兄弟愛」を挙げています。当時の苦難の中にあっては、互いに反目し合っている場合ではありません。むしろ積極的に互いに愛し合うべきです。イエス・キリストを土台として、そのうえに積み上げられている生ける石となる自覚が「兄弟愛」を生み出すのです。

 第四に、「心の優しい人となる」ことを挙げています。「心の優しい人」とは、他人に対して憐れみ深く、思いやりと慈しみをもった心を指しています。つまり、試練の中にあっても内面的な優しさ、思いやりを持つことが求められているのです。ここでいう「優しさ」とは、自分に向けられるものではなく、他者に向けられる感情です。困難の中にあるとき、人は自分のことで手一杯になりがちですが、ペテロは、いかなる状況にあっても他者に心を向けるよう促しているのです。

 最後に、「謙虚」であることを挙げています。聖書が教えている「謙虚」とは、イエス・キリストご自身が「柔和でへりくだっている」と言われたように、日本人が美徳とするうわべだけの「謙虚」ではありません。これは、自分の弱さをしっかりと認めることのできる人であり、自分にできないことを認め、助けが必要なことを知っている人のことです。それは、すなわち、神の前での「へりくだり」や「従順」であり、イエス・キリストの御姿そのものなのです。

 ペテロはさらに、詩篇34編の言葉を引用して続けます。「命を愛し、良い日々を送りたいと願う人は、舌を制して悪を言わず、唇を閉じて偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めなさい。」ここには、キリスト者の生き方が単に悪を避けるだけでなく、積極的に善を行い、平和を追い求めるべきであることが示されています。なぜなら、「主の目は正しい者たちに向けられ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる」からです。つまり、神の祝福を享受するためには、悪を行わず、悪を語らず、平和を追い求めることが求められます。このようにして、報復や憎しみの連鎖を断ち切り、祝福をもって応えることによって、神の祝福を受け継ぐ生き方をするのです。そして、私たちは共に交わりの中で、神の祝福を受ける人々を生み出すことができるようにと願っています。

“最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。” 8

Author: Paulsletter

メッセージを読む
  • 「復活信仰とは」
  • 「私たちのために捨てられるイエスキリスト」

関連記事

  • 「問題が起こったときこそ」
    2025年6月15日
  • 「収穫は多いが、働き手が少ない」
    2025年6月8日
  • 「教会の光と闇と」
    2025年6月1日
  • 「神にある多様性の麗しさ」
    2025年5月25日
  • 「新しく生まれた教会の姿」
    2025年5月18日
  • 「新たなスタートのために」
    2025年5月11日
  • 「教会に必要なもの」 
    2025年5月4日
  • 「あなたはわたしを愛していますか」
    2025年4月27日
  1. ホーム
  2. メッセージを読む
  3. 「祝福を受け継ぐために」
メニュー
  • ホーム
  • ごあいさつ
  • 教会の紹介
  • 集会案内
  • よくある質問
  • アクセス
  • 教会員ページ
アクセス
(宗)基督兄弟団西宮教会
ニューコミュニティ西宮チャペル

〒662-0913 西宮市染殿町2-6
TEL: 0798-26-0332
FAX : 0798-26-9249
mail: office@ncchurch.or.jp

三田チャペル
学園都市チャペル
(コンタクトは西宮チャペルまで)
LINK





  • ホーム
  • プライバシーポリシー

© ニューコミュニティ キリスト兄弟団西宮教会

目次