3月23日メッセージ
小平牧生牧師
「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として 」
(ペテロから私たちへの手紙⑫)
ペテロの手紙 第一 3章1~7節
神の民として生きるキリスト者の歩みについて、ペテロは、奴隷と主人の関係に続いて、夫婦の在り方について語ります。古代のユダヤ社会における夫と妻の関係は、現代とは大きく異なり、従属的な側面が強かったことは事実です。家父長制が支配的で、家族の中で父親が絶対的な権威を持ち、妻や子どもは夫の保護下に置かれていました。財産や重要な決定権は基本的に男性に委ねられ、女性の権利は極めて限られていました。
その後、紀元前63年にローマ帝国がエルサレムを占領して以降、ユダヤはローマ帝国の支配下に置かれました。ローマ総督が派遣され、ローマ法に基づく統治が行われるようになります。当時のローマ法においても、女性の権利は非常に限られていました。イエス・キリストは、こうした夫婦関係の不公平さに目を向け、結婚を単なる契約関係ではなく、神の前での聖なる結びつきとして尊重しました。そして、夫婦は愛と忠実によって互いを支え合うべき存在であると強調しました。イエスが、男性が安易に離婚することを「神が結び合わせたものを、人は引き離してはならない」と批判したのも、その一例です。
ペテロも、このイエスの教えを受け継ぎ、神の民としての生き方を説きました。それは、奴隷と自由人、異邦人とユダヤ人、男性と女性の間に区別がないという神の前での平等を直接的に主張するものではなく、キリスト者としてふさわしい生き方を示すものでした。
今朝は、ペテロが私たちに何を奨励しているのか、そして現代に生きる私たちがどのようにこの原則を実践できるのかを共に学びたいと思います。
① 私たちの内面的なあり方を価値あるものとしよう
3章の冒頭では、ペテロは妻に対する忠告から始まっています。当時、キリスト教に改宗した妻が、そうでない夫と共に暮らすことには多くの課題が伴いました。前述のとおり、女性の権利は非常に限られており、夫が宗教を変えない中で、妻だけが信仰を変えるのは難しかったと思われます。そのような状況の中で、ペテロは、キリストの教えに耳を傾けない夫に対しても、妻が従順であるよう勧めています。妻の語る言葉だけでなく、その生き方や態度によっても、信仰が示されるべきだと教えているのです。ここに出てくる「無言のふるまい」とは、神を畏れる純粋な生き方を指しています。妻が多くを語るよりも、愛と敬意をもって夫を尊重し、誠実に接することこそが、神に導かれる道であると示しています。神の愛は、雄弁な言葉によってではなく、むしろ内面的な態度によって伝えられ、福音の豊かさがより深く感じられるのです。また、家族がイエス・キリストに導かれないからといって、自分自身の行動や生き方を責める必要はありません。どれほど神を畏れる生き方をしていたとしても、救いに導かれるのは神の定めた時であり、信仰を与えてくださるのは聖霊の働きです。ペテロの勧告は、決して責めるものではなく、むしろ励ましの言葉として語られているのです。
ここで見落としてはならない言葉は、「同じように」という表現です。これは、前章からの流れを示す重要な言葉です。前章では、奴隷が主人に対してどのように振る舞うべきかについての教えが述べられました。ペテロは、神の民としての在り方は、奴隷であっても自由人であっても、妻であっても夫であっても、すべての立場の人に共通すると伝えたかったのです。イエス・キリストが模範として示された足跡に従って生きることの重要性を強調しており、特別にキリスト教的な妻の在り方を限定的に語ろうとしているわけではありません。この前提をしっかりと理解したうえで、ペテロは外面的な美しさよりも、内面的な在り方を価値あるものとするよう勧めています。彼は、内面的な姿勢を「柔和で穏やかな霊という朽ちることのないもの」と表現していますが、これは単に人間的な性格を指しているのではなく、神との関係における在り方を意味しています。すなわち、神に対する静かな信頼の姿勢こそが真に価値があるというのです。もちろん、この教えが女性の外見を完全に否定しているわけではありません。神から与えられた体を軽視してよいということではなく、それ以上に内面の霊的な成長を重視することが求められているのです。ペテロは、自分の内面に神への信頼と「柔和で穏やかな霊的な在り方」を築くことの大切さを強調しているのです。
“夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。” 2-4
② いのちの恵みをともに受け継ぐ者であることを大切にしよう
7節以降では、夫たちに対して忠告しています。ここでも、「同じように」と始まっており、イエス・キリストが模範として示された足跡に従って生きることを前提として語っているのです。ここでは、妻のことを「自分より弱い器」と表現しています。これは、創造の秩序を示している言葉であり、アダムが先に造られ、続いてエバが造られたことを示しています。「自分より弱い器」とは、夫が強くて妻が弱いということではなく、もちろん、妻が強くて夫が弱いということでもありません。夫も妻も弱い存在であり、人間は誰しも弱い存在であるということです。誰に対しても、自分の愛する人や大切にする人を、「弱い器」として取り扱いなさいということなのです。つまり、「大切な器」に注意書きが添えられているように、自分より弱い存在であることを理解して、妻を大切にして共に生活しなさいという意味なのです。もちろん、これは夫の妻に対する姿勢だけではなく、妻の夫に対する姿勢でもあり、互いに尊重し合うよう勧めているのです。
そして、そのために大切なことは、「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい」ということです。「いのちの恵みを受け継ぐ」とは、私たちが神によって新しく生まれた者であり、永遠のいのちという生ける望みを共に受け継ぐ者であることを意味します。地上では旅人であり寄留者として、神の国を目指して共に歩んでいる存在なのです。この考え方は夫婦の関係に限らず、教会内の交わりにも同様に当てはまります。私たちは神の祝福を受け継ぐために、キリストにある一致を目指し、互いに愛し合い、尊重し合い、仕え合うように求められています。また、痛みや悲しみを共に分かち合い、寄り添う姿勢を持つことが重要です。そのためには、自分自身も弱い存在であることを理解し、他者を大切に扱う心を持つことが求められます。それが「いのちの恵みをともに受け継ぐ者」としての使命であり、イエス・キリストを模範として生きていく姿勢なのです。
“妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りは妨げられません。” 7
“最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。” 3:7-9
③ イエスキリストの歩みを模範として生きよう
ペテロは3章において、「妻たちよ」「夫たちよ」と書いていますが、私たちは、妻や夫である前に、イエス・キリストの「しもべ」です。その在り方の基本原則は、これまで「同じように」と繰り返し勧めてきたとおり、イエス・キリストが十字架の苦難と死を経験し、その足跡に従うようにと、私たちに模範を示されたことにあります。
私たちは社会において、良い妻・夫、親・子になろうとする視点で物事を捉えがちです。しかし、ペテロが「愛する者」と語っているように、私たちは神に愛されている存在であり、神の民として、神の国を目指す旅人です。ですから、何よりもまず、私たちの前を歩まれたイエス・キリストの足跡をたどって生きることが求められているのです。
“同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。” 1
“同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して妻とともに暮らしなさい。また、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈
りは妨げられません。” 7
“このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。” 2:21
Author: Paulsletter