「教会は海を渡る」

8月4日礼拝メッセージ
小平牧生牧師
「教会は海を渡る」
(NC合同聖餐礼拝)
使徒の働き16章6~10節

 イエス・キリストの昇天後、弟子たちがエルサレムで集まって祈っているとき、聖霊が降臨し、彼らは聖霊に満たされ、他国の言葉で話し始めました。この現象は、多くの国から集まっていた巡礼者たちに、それぞれの母国語で聞こえました。これに驚いた人々に対して、ペテロは大胆に福音を語り、約3000人が信じて洗礼を受けました。これが教会の誕生です。教会の成長の様子は聖書に記されています。教会の成長は、信徒たちの献身的な働きによって支えられました。彼らは互いに愛し合い、教え合い、共に祈ることで信仰を深めていきました。また、物質的な支援や奉仕活動を通じて教会の働きを支えました。現場での働きがなければ、教会は成長することができません。

 しかし、宗教指導者たちからの迫害も始まりました。ステパノが最初の殉教者となり、エルサレムの教会は激しい迫害にさらされ、使徒たちを除く多くの信徒がユダヤやサマリアへと散らされました。迫害を逃れて北のアンティオキアに辿り着いた信徒たちは、そこで教会を設立します。エルサレムから派遣されたバルナバは、タルソからパウロを連れてきて、共にアンティオキアの教会で奉仕するようになりました。当時、アンティオキアはローマ帝国のシリア属州の首都として栄えており、多様な民族が暮らす国際都市でした。エルサレムから来たキリスト者たちは、ユダヤ教の枠を超えて、多くの異邦人に福音を伝えました。この地で、弟子たちは初めて「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。これは「キリストに属する者」という意味です。そして、アンティオキアの教会で聖霊の導きを受けたバルナバとパウロは、大規模な伝道旅行に出発します。

 パウロとバルナバは第一次伝道旅行で共に活動し、多くの教会を設立しました。しかし、第二次伝道旅行の計画を立てる際に、二人の意見が対立しました。バルナバは、第一次伝道旅行の途中で離脱した若いマルコ(ヨハネ・マルコ)を再び同行させたいと提案しました。しかし、パウロは、マルコが以前に途中で離れたことを理由に、彼を同行させることに強く反対しました。この出来事をきっかけに、パウロとバルナバの間に深い亀裂が生じ、二人はそれぞれの伝道の道を歩むことになりました。バルナバは、以前の伝道旅行で途中で引き返したマルコを伴い、自身の故郷キプロス島へと旅立ちました。一方、パウロはシラスを選び、新たな伝道旅行に出発しました。パウロとシラスはシリアやキリキアなどの地域を訪れ、すでに設立されていた教会を強化しつつ、さらに福音を伝える地へと足を広げていきました。また、リステラでテモテを同行させました。

 パウロとシラスはフリュギアやガラテヤ地方を巡る中で、聖霊から「アジア」での福音宣教を禁じられました。この時代の「アジア」とはローマ帝国のアジア州(アナトリア半島西部)を指しています。聖書は、なぜ彼らがアジアで福音を宣べ伝えることを禁じられたのか、具体的な理由を明記していませんが、聖霊は彼らの計画に直接介入し、トロアスという港町へと導きました。そこでパウロは夜、幻を見て、マケドニアへと渡るよう神から明確な召しを受けます。この出来事を契機に、パウロたちはマケドニアで福音を宣べ伝える使命を果たすべく、旅立ちを決意しました。

 このように、福音宣教が世界中に広がる歴史を振り返ると、さまざまな困難や試練を乗り越えながら、常に新たな道へと導かれてきたことが分かります。これは、私たちの人生にも当てはまるのではないでしょうか。今朝のメッセージでは、第二次伝道旅行の出来事を通して、パウロたちの経験をどのように自分たちの信仰に適用できるかを考察してみたいと思います。

① 閉ざされたことによって、新たな道が開かれる

 パウロとシラスは、アジアで御言葉を語ることを聖霊によって禁じられました。彼らにとって、これは福音を伝える道が閉ざされたように感じられたかもしれません。しかし、神の計画は人間の想像をはるかに超えていました。閉ざされたはずの扉が、新たな可能性へと開かれたのです。彼らは自分たちの計画を立てながらも、聖霊の導きによって変更を余儀なくされましたが、この出来事を通して私たちに示されているのは、神の導きが人間の計画を超えているということです。パウロたちは常に神の導きに敏感であり、聖霊の導きに従う姿勢を持っていました。その結果、彼らはマケドニアへと渡るという神からの明確な使命を授けられ、新たな章の始まりを迎えることになったのです。

 私たちも、何か新しいことを始めようとしたり、目標に向かって努力するとき、必ずしも全てが順調に進むわけではありません。壁にぶつかったり、道が閉ざされたように感じることがあるでしょう。何も挑戦しなければ、そのような経験をすることもないかもしれません。しかし、パウロとシラスの記事から、私たちは、神の導きは、私たち人間の思い描く範囲を超えて、時に予想外の道へと私たちを導くことを学びます。パウロとシラスのように、私たちも困難に直面したとき、その先に新たな可能性が開かれていると信じる心を持ち続けたいものです。

“こうして諸教会は信仰を強められ、人数も日ごとに増えていった。それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。” 5-

 使徒の働き8章1-2節は、サウロ(後のパウロ)がキリスト教徒を激しく迫害していた時代の出来事を伝えています。サウロは、最初の殉教者となったステパノの石打ちを目撃し、その死に賛成していたのです。この出来事をきっかけに、エルサレムの教会は激しい迫害にさらされ、使徒たちを除く多くの信徒がユダヤやサマリアへと散らされました。この迫害は、一見、教会にとって大きな打撃に見えますが、結果として福音はより広範囲に伝わることとなり、教会の成長に大きく貢献することになったのです。

“その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。…散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。” 8:1-

② 行き詰まりが、新たな段階への転換期となる

 パウロ一行は、小アジア地方で福音を宣べ伝えようとしましたが、聖霊の導きによってその道が閉ざされました。この地域にはローマ帝国のアシア州があり、ユダヤ人も多く住んでいたため、福音宣教の好機と考えたことでしょう。しかし、聖霊は彼らを北方のトロアスという寂れた港町へと導きました。そこでパウロは、夜に不思議な幻を見ます。マケドニアから来た男が、「マケドニアに来て、私たちを助けてください」と切実に訴えかけてくるのです。パウロはこの幻を、神からの直接的な召し、すなわちマケドニアで福音を宣べ伝える使命だと受け止めました。彼らは、マケドニアの人々にキリストの福音を伝えるために選ばれたと確信し、新たな宣教の地へと踏み出す決意を固めました。

 パウロたちにとって、当初は、道が閉ざされ、意味のない場所に導かれたように感じられたかもしれません。しかし、神の計画は彼らが思い描くものとは異なっていたのです。この出来事は、パウロの宣教活動において、アジアからヨーロッパへと舞台を移す重要な転換期となりました。

 このことは、私たちに大切な教訓を与えてくれます。自分たちの決めた計画どおりにならないことがあっても、道が閉ざされたことを悲観するのではなく、人智を超えた神の計画が進められていることを理解する必要があります。神の応答は、私たちの願いを叶えることではなく、私たちの行き詰まりの経験をも用いて、新たな段階へと導こうとすることなのです。

“それでミシアを通って、トロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。”8

③ 「彼ら」の働きが、「私たち」の働きとなる

 パウロ一行がマケドニアに渡り、ヨーロッパでの宣教を開始することは、重要な転換期となりました。この出来事により、キリスト教が世界中に広がっていく過程で、非常に重要な一歩となるのです。

 パウロたちは聖霊の導きに従い、果敢にマケドニアへと旅立ちました。ここで注目すべきは、福音書の著者ルカが、使徒の働き16章10節において、「『私たち』はただちにマケドニアに渡ることにした。」と記している点です。これまでは、パウロ一行のことを『彼ら』と記していましたが、このところから、『私たち』とルカもパウロのチームに加わったことを示しています。つまり、宣教の働きが、アジアから海を渡るという新たな段階へと進むとともに、その働きにルカも積極的に加わっていることを意味しています。

 この出来事は、私たちキリスト者にとって、聖霊の導きの重要性を深く考えさせるものです。常に聖霊の声に耳を傾け、その導きに従って行動することが求められています。また、パウロが未知のマケドニアで福音を積極的に宣べ伝えたように、私たちも慣れ親しんだ場所から一歩踏み出し、新しい地に挑戦する時が来るかもしれません。その際には、聖霊からの力と勇気が必要不可欠です。しかし、さらに大切なのは、ルカが『彼ら』(パウロ一行)の働きの一員となったように、宣教の働きが、自らも含む『私たち』の働きとなることです。パウロたちがマケドニアの人々に福音を伝えることで神の国をさらに拡大していったように、私たちも神から賜ったさまざまな才能を活かし、神の国を広げるという崇高な使命を果たせると信じています。

“パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。…”10-

Author: Paulsletter