墓前で想うこと…

明日は、秋の墓前礼拝です

もし、私たちの存在が死で終わりだとするなら、私たちはそれだけのものということになります。
しかし、キリストが死から復活されたことは、私たちも復活するものであることを表しています。復活しないものには、復活しないものの価値しかありませんが、永遠に生きるものには、永遠に生きるものの価値があります。キリストが復活されたのは、私たちもやがて復活し、神とともに永遠に生きるためです。

もし、人間がそのように永遠に生きるものであるとすれば、それは何が大切か、何が大切でないかという判断に大きく影響します。過ぎ去るものと、永遠に残るものは、あまりにも違うからです。

人が死んだ時、私たちは「亡くなった」と言いますが、それは残された私たちの側からの話です。その人は、神のもとに移されたのであって、なくなったのではないのです。むしろ、その人からみれば、死がなくなり、病もなくなります。劣等感も、怒りも…。反対に、何が残るのでしょう。聖書は教えています。「いつまでも残るものは、愛です。」

私たちは、永遠に残るものを大切にすべきです。過ぎ去るものに固守する必要はありません。