だから、だいじょうぶ

今日の聖書の箇所は「終わり」について語っていました。

「終わり」のことを「終末論」と言いますが、聖書の「終末論」は、ノストラダムスとか日本沈没とかがイメージする「破滅論」ではなく、「完成論」です。

私たちの人生は「先が見えない」と言われますが、それはそこまでの道のりが見えないのであって、ゴールははっきりしているのですね。

だから、だいじょうぶ、なのです。